見出し画像

これまでに「意味」をもたらしたマスターピース / ドラゴンクエストXI

日本人による日本人向け国産RPGとしておそらく最も有名であろう作品、『ドラゴンクエスト』。1986年に生まれた本作は、今やナンバリングだけで11タイトル、派生ゲームも含めると30タイトル以上も発売された、非常に巨大なシリーズになっている。

去る2017年。その長寿ゲームシリーズの30周年記念作品として、新たなタイトルが生まれた。それが『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』だ。

前作『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』から8年、3Dウォークスルーを採用した『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』からは実に11年という長期間の空白を経た、非常に期待が持たれたタイトルだった。

私はこれまでほぼすべてのドラクエをやってきた身なので、もちろん発売当時やりたさはあった。しかし、なんだかんだで持て余し、触れることはできないままだった。そして、発売されて8年が経った今、ようやくプレイすることに。

気がついたら完全版が発売してるし、次作も発売されそうになってるしでだいぶ遅れた参戦だったが、ひとまず最後までやりきったので、その感想をここに述べていきたいと思う。とっても楽しい良ゲーだった。ありがとう堀井・すぎやま・鳥山3神。

もちろんトロコンしました

良いところ

OPのワクワク感は異常

予想を超えたストーリー展開

中盤以降の怒涛のラッシュ

これまでのドラクエと言えば特にストーリーに驚きはなく、良く言えば「王道の」、悪く言えば「お決まりの」物語だったように思える。一部、2つの世界が合わせ鏡になっているⅥや、Ⅶのように完全アウェイの詰み状態から始まる変化球のような作品も存在するが、ほとんどは直球だ。

もちろんそれは王道だからこそ感動するということはあるし、そもそも悪いことではない。私は親子三代に渡る魔族との戦いを描いたⅤや、自分の職場と上司にかけられた呪いの解除方法を探すⅧが大好きだ。王道だからこその安定感は確かにある。

しかし、何度も続くとなればそこに「飽き」や「既視感」が生まれてしまうのもまた必然だろう。

さて本作はと言えば、基本はこれまで通りの展開でありながら、骨子がかなりミスリードを含む異端なものだった。そもそも主人公は「勇者」であるものの、同時に「悪魔の子」とも呼ばれ、二律背反のイメージを持っている。この、マイナスからスタートするところに意外性を感じた。

それだけではない、とにかく物語を通して常に「なぜ?」が多く、それが前に進む原動力になる。文字通り、先が気になるストーリーだったのは間違いない。

そしてⅪを語るに外せない部分として、宿敵ウルノーガを倒した後に始まる過去改変パート、「過ぎ去りし時を求めて」編。これは完全に予想すらしないストーリーだった。まさか直接的に分岐をゴリ押していくタイムリープものをドラクエでやるとは思わなかった。

ⅥのムドーやⅧのドルマゲスなど、当初の目的目標が実は中盤戦でしかなく、裏にデカい存在がいるというのはお決まりで、そこは予想できた。しかし「すべてをやり直す」という展開はまるで予想がつかなかった。

デルカダール王が操られているとか、グレイグが仲間になるとか、悪魔の子の意味などはプレイ中に概ね分かっていたが、サブタイの意味やニズゼルファなどはネタバラシの時までまず思い浮かびすらしなかった。まさしく、そう来るとは、だ。

OPにすでにいた謎の存在

ということで世界崩壊以降は辞め時が分からず、プレイを中断することが困難だった。これはどうなるんだろう、という純粋なワクワクをもとにプレイするのは久しぶりだったように思える。この中盤以降の予想もつかない展開は、本作を語るうえで決して外せない部分だろう。

そもそもを言ってしまえば、その中盤に至るまでは少し退屈だった。

「やっぱりドラクエはこうでなくちゃ」という感情と「まあドラクエってこんな感じだよな」という正負のものが、やや後ろ向きに傾いていたからだ。しかし勇者の剣消滅の場面からはそんな既視感もなく、ただひたすらに惹き込まれていた。

まるで実家に帰ってきたかのようなおなじみのドラクエで間を持たせつつ、中盤から一気にこれまでのドラクエと違うところを見せていく構成・・・・・・見事にその魅力に取り憑かれたウォークスルー、ストーリー展開だった。

個性豊かな仲間キャラクター

いい写真だあ・・・・・・

冒険が楽しくなる旅の相棒の存在は必須事項、お決まりだ。Ⅳは8人という大所帯で進む中、馬車で一生を過ごす悲しいおっさんが生まれ、ⅥのアモスやⅦのマリベルはその軽妙な会話で道中を楽しませてくれた。戦闘も移動も、仲間の存在は欠かせない。

Ⅺもその例に漏れず、非常に個性豊かな8人が集結した。「個性豊かな」は決してクリシェではなく、本当に文字通りの意味なのだから驚く。

謎の預言に従って主人公を守る正ヒロインの盗賊。
ロリコン歓喜の生意気なクソガキ魔法使い。
地味かと思いきや終盤で出番が増加する僧侶。
出オチと思わせつつ聖人君子かつ超強力なユニットの旅芸人。
クリムゾンの同人作品に出てきそうな武闘家。
トルネコのパチモンかと勘違いした商人(というか賢者)。
声優の時点でどうせ仲間になることが察せるパラディン。

こう羅列すると、本当に濃いメンツの集まりだと思う。

彼らはみな一様にキャラが立っていて、いなくても困らない、いなくてもいい存在など誰一人としていなかった。そのすべてが冒険に必要で、不可欠な人々だ。素直に全員に愛着が湧いた素晴らしい人選だったと思う。

そして、キャラの造形や立ち位置だけでなく、性能面でも非常によくバランスが取れていると感じた。バトル面に関しても「他で代用できる」みたいなのがいないのは驚き。このあたりについては後述するので、ひとまずここでは割愛する。

ドラクエらしさのある新しいグラフィック

これがドラクエで出来るのかという感動

人によって「ドラクエらしさ」というのは変わるだろう。私は人生で初めてプレイした作品がⅧだったため、未だあのゲームが最高のドラクエであり、そして原体験もまたそれに当たる。私にとってドラクエは、頭身の高いキャラが広い世界を歩き回るものなのだ。だからこそ今回の移動やバトルは大満足だった。

ただ、シリーズ全体を通してみるとこれは異端だ。初代からⅪに至るまで、大多数を占めるのは2Dマップであるわけだし、特にバトルはⅦまで空間のある演出ではなく、平面のものが基本だった。多くの人にとってはこの平面感こそが「ドラクエらしさ」になるのだろう。

しかし、Ⅺのマップや移動にドラクエらしさを感じるのもまた間違いない。では、なぜそう感じるのかと言えば、下手にリアルや現実感を求めたのではなく、本当に「ドラゴンクエスト」を忠実に書き起こしたからなのだと思う。

この細かい「らしさ」を言語化して表現するのは難しい。しかし、全体的な色合いや雰囲気、空気感・・・・・・そういったものすべてが収束して「らしさ」が生まれている。その絶妙なバランス感覚が、2Dではなくとも「ドラクエらしさ」を生んでいてユーザーに寄り添ってくれるのだと思う。

「広い世界を歩く」というのは、何もここ最近のドラクエの話ではない。初代でも文字通り世界をめぐり、秘宝を集め、目と鼻の先にある魔王の居城に多大な時間をかけて乗り込んでいた。2Dの世界であっても同じことをやっていたのだ。

その体験を貶すこと無く新しく、しかしどこか懐かしいグラフィックに落とし込んだ本作のグラフィック面は素晴らしいものであると、声高に叫んでいきたい。Ⅷの正統進化と言っていいだろう。あとモブキャラが超可愛い。神。

過去作で体験したことのないゲーム性

今日はもうキャンプしようぜ

思えばドラクエにおいて「新しい試み」というのは少なかったように感じる。シリーズが長く続く作品ならばどんどんと変わっていくことが常であるが、良くも悪くもドラクエは変わらないままだった。

たとえば、対抗馬としてよく見られる『ファイナルファンタジー』シリーズは、そのナンバリングごとにまったく違う試みが見られ、もはや番号が振ってあるだけの別作品になっている。まさか初代とⅫが同じシリーズなんですよ、なんて言われても未プレイには分からないだろう。

「変わらない体験」というのは、それはそれで安心感や意味があるのだと思う。いつも帰りに寄る店で出てくる、そこまで美味しくも不味くもないラーメンはもはや生活の一部になっていて、変わる必要もない・・・・・・それに似た甘い停滞のようなものだろう。

だが、やはり1ゲーマーからするとドラクエの変化の無さは面白みに欠けているとずっと感じていた。プレイしている層に40代以上が多いことから、いわゆる保守的な人が多く変化を拒む声も多いのだろう。だが、それでも何かの変化が欲しかった。

そこでⅪは移動面から何まで大幅に刷新が加わり、これまでにあった「当たり前」がいろいろと見直されたように思える。もちろん根幹はいつものドラクエなのだが、同時に、確かに新鮮さがあったことは間違いない。ここが衝撃であると共に面白く感じた。

中でも、三次元的なマップ探索に関しては驚いた。1時間をかけて探索したデルカダール城下町は、地下に潜り、屋根に登り、煙突から侵入し・・・・・・とにかく、これまでのドラクエでは考えられない自由な移動が実現されていた。

チュートリアルとして適切すぎる

また、キャンプや鍛冶という部分も評価したい。拠点の間にある微妙な距離感を補う中継地点としてのキャンプは非常に優秀だった。そしてまたこれが冒険感をさらに演出していて、ただの舞台装置としてしか機能していないことはない。

鍛冶はミニゲームにしては謎に楽しく、そこはかとない運要素がありつつも、スキルを駆使して装備を強化する過程が面白い。これまでにあった店売りで整える「当たり前」を打破し、かつ、Ⅷの錬金釜のように煩雑な手順がないのも高評価だ。

つくづく、Ⅺはドラクエでありながら新しい・・・・・・相反する可能性を開いた作品だと感じた。

快適さという部分を注視したシステム

リンクスじゃないか!

本作を中盤までやって「異様だな」と思ったことがひとつある。それは「悪いところが見当たらない」ということだ。どれだけ捻くれた見方をしても、このゲームのダメな部分というのが分からなかった。

私は基本的に純度100%の逆張り捻くれオタクなので、良い部分を見つけるのと同じくらい、悪い部分を明らかにするのが得意だ。もちろん「悪いところなんてわざわざ見なくていいだろう」という指摘はもっともなのだが、やがて感想を書く以上、見つけておくに越したことはない。

良い部分だけ述べる感想には重みも厚みもない。対象が好きならば、悪い部分から目をそらすべきではないと思うのだ。だから私は自分の感想では良い部分と悪い部分は常に1:1で書きたいと思っている。

しかし。

このゲームの悪いところは本当に数少なく、少なくとも中盤に至るまでは良い部分ばかりが目に付いてしまっていた。そう表現すると言い方が悪いのだが、要は一般的に不満に感じるシステム部分が軒並み潰されているのだ。「こうだったらいいのにな」が悉く実現されているのだから恐れ入る。

たとえば室内でのルーラ。私は自然とリレミトからのルーラを行ったり、町の探索中にも室外に出てから行っていたのだが、そこにコメントで「いつでもルーラできるよ」とのことがあった。半信半疑でやってみたら本当に出来てしまったのだから驚愕。

また、鍛冶を行う際に足りない素材を買い集めるのが面倒だなと思っていたが、これも自動で集めてくれる仕様に気づき驚嘆。世界の何処かにあるショップから自動で購入してくれるとか神か?

バトルスピードも手軽に変更可能で、冗長な戦闘にはならない。これに限らず本作は非常にテンポが良く、面倒に思えてならない事象が本当に少ない。とにもかくにも、ダメな部分が本当に見当たらないことが一番驚くポイントだ。

当たり前にあった不便さを無くし、やらなくていい苦労を撤廃する。現代のゲームとしてあるべき「完全版」にふさわしいシステム面の配慮だったと思う。ユーザビリティに関しても歴代ドラクエの集大成と言っていいだろう。

悪いところ

ブッッッッッッッ

相変わらず退屈なバトル

いつもの

こと、ドラゴンクエストという作品はバトルが単調でつまらない。

弱点や耐性という概念はあるものの、結局はそれぞれ1ターンごとの行動で「バフデバフをかけて殴るだけ」に終止する。テンションやゾーンなど、各作品で脱却しようとした試みの残滓はあるものの、やはり本質は初代から何も変わらないままだ。

今回の目玉としてあるゾーンも、テンションから離れたくて導入されたシステムなのだが、結果としてあまりスパイスの効いたものにはならなかったのではないかと感じる。少なくとも、私はゾーンというシステムはほぼ裏ボス専用みたいなものだと思えた。

しかし、ターン制コマンドバトルの戦略性を広げるのは実際難しい。革命を起こした『真・女神転生III-NOCTURNE』のプレスターンバトルや、それを発展させた『ペルソナ3』のワンモアプレスバトルは未だ通用する奥深さがあるものの、それも今や息切れを感じる。

さて、私はこれまでドラクエをやってきた中で、バトルが楽しい・面白いと感じた瞬間はただのひとつとて無い。もちろん、職業熟練度が上がり強力な全体攻撃で一掃出来たときは楽しいが、それはバトルの本質部分とは違う。

だからこそ、今回もそこまで期待はしていなかった。どうせドラクエのバトルだし、またルカニとバイキルトゲーなんだろうな、ぐらいで。

ただ、最初こそ可能性を感じた。それは、フリー移動バトルモードの存在によるものだ。

革命起こ・・・・・・らないです

私は最初にこれを見た時、MMOやRTSのような位置取りを重視するバトルになったのかと思った。たとえば、範囲攻撃をひとりで受けるためにタゲを持ったキャラが離れる(しかし、範囲回復からは漏れる)、相手の背後から殴ればダメージが増加する、など。

「これは非常に面白い!」と思い、意気揚々とスライムの背後を取り、殴ったものの、結果としてそれに意味はなかった。このシステムはただ戦闘中に動き回れると言うだけで、戦術面にはなんの効用もないのだ。これは本当にがっかり。

まだⅨが発売する前、Vジャンプか何かにボストロールを4人で囲んで攻撃する、みたいな挿絵があったことを憶えている。結局のところ、Ⅸも別に自由に動けるわけではなかったのだが、あの頃から私はこういう戦いに憧れと期待を抱いていたのだと思う。

それがようやく実現できたのか・・・・・・と思いきや、まあ結果としては古臭いままの、いつものドラクエのバトルだったわけだが。

使い回しの多すぎるBGM

多すぎィ!

後半になるにつれて増大していった不満点がこれだ。申し訳ないがこれについては手抜きを感じざるをえない。ただ、一概に「悪い、ダメ」とも言えない複雑さがあるのが眉をひそめてしまう。

まず先に言っておきたいのだが、私はドラクエのBGMが大好きだ。未だにサントラを聴いているし、なんなら今もⅦのそれを聴きながら書いている(『失われた世界』が特に好き)。

Ⅱの『Love Song 探して』はチップチューンならではの切なさを含む、良い意味で「らしくない」幕間曲だし、Ⅴの『街は生きている』は奴隷生活から抜け出してこれからを踏み出すふたりと、夜に照らされたオラクルベリーの情景が思い浮かび、泣きそうになる。Ⅷの『広い世界へ』はあのゲームの体験を最も表現している屈指のフィールド曲だし、Ⅸの『天の祈り』は天界とは相反する非常に悲しげな旋律がいつまでも記憶に残っている。

そういうわけで、私はすぎやま氏の生み出す楽曲が大好きだ。そのうえで、今回のBGM部分を批判したい。

問題点は2つだ。「印象に残らないⅪそのもののBGM」と「使い回しの多すぎる過去曲」。特にヒドいのは後者。

微妙すぎるラストバトル

まず、はっきり言って本作のBGM(Ⅺ独自のBGM)はまったく記憶に残らなかった。それはBGM自体に問題がある(すぎやま氏の才能が枯れた)のではなく、2つ目の点が強すぎるゆえのとばっちりだと思われる。

今思い返してみても「Ⅺで印象に残ったBGMはなんだろう」と考えても、出てくるのはⅥの『敢然と立ち向かう』やⅤの『はめつの予感』などだ。あるいはⅦの『パラダイス』も私にとっては当てはまる。ここでⅪの楽曲がまったく思い当たらないのがなんとも・・・・・・。

これまでのドラクエの集大成という作品だからこそ、過去作のオマージュやパロディを盛り込むというのは分かる。そして1ファンとしてそれは大変に嬉しいことだ。ⅤのOPをそのまま模した出産シーンなどは懐かしさと面白さが混在していたわけだし。

しかし、それはⅪという作品の中にたまに登場するからこそ味がするのであって、そんな定期的に過去作を擦られてはどうしても「過去の遺産の切り崩し」にしか思えない。

開発の長期化やボリュームの極大化によって各パートに求められる総量が増えてしんどいのは察する。しかし、それでも私はⅪの音楽が聴きたかった。私は「ドラゴンクエストⅪ」がやりたかった。

せめてラスボスぐらいは・・・・・・と思ったが、ここでも過去曲が流れるものだからなんとも微妙な幕引きになってしまった。残念。

「過ぎ去りし時を求めて」そのもの

アイデア自体は良いんだけど

良い点として評価した第3部(過ぎ去りし時を求めて)だが、正直言うと私はこれについてかなり懐疑的な印象を持っている。あくまで「これまでにない衝撃的なストーリー」としては評価しているものの、中身に関しては微妙だったなと。

実際、プレイ中も違和感を覚えながら進めていたが、クリア後、冷静になるとその違和感は更に強まった。さすがにやっている最中は下手なツッコミも野暮なので考えないようにしていたが、しかしまあ気になる点が多すぎる。

ここに第3部への不満点をすべて挙げていくとキリがないので一部だけを取り上げるが、まず私が気になったのは「ルール設定の曖昧さ」にある。ここがどうしてもふわっとしていて納得できないし、これのせいで感動も出来なかった。

神の領域をも犯す現象を取り扱う際、まずもって厳密にしなくてはいけないのはルールや法則だ。これが適当だと「なんでもあり」になり、それまでやこれからの展開に一切の重みがなくなる。「じゃあ最初からそうしろよ」と言われたら終わりなのだ。

世界かあなたか選べない

たとえば、『ドラゴンボール』における神龍は最初こそ「願いを1つ叶える」という分かりやすいものだったが、これに制限がない場合、不老不死になり、強敵を消滅させられ、とりあえずドラゴンボールでどうにかするかという構図が生まれてしまう。

しかしそんな展開に面白みはない。制限があるからこそ秘技には価値がある。だから後発的に「2回までしか復活できない」「神龍の力を遥かに超える相手には願いが適応されない」など、制限を設けていった。じゃないと、すべてがドラゴンボールで安易に解決できてしまうからだ。

これは同様に、過去改変やタイムリープでも同じだ。何かを得るためには何かを差し出さなければならない・・・・・・等価交換やトレードオフと同じく、都合の良いタイムスリップなんてあってはならず、そこにはためらうほどの代償が無くてはならない。

この手の話としてはもはや古典に足を踏み入れている『バタフライ・エフェクト』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』、『STEINS;GATE』など・・・・・・これらは明確にハンデが存在していて、必ずしも都合の良い展開は起こり得なかった。

やり得ならやるでしょ

さてⅪと言えば、元の世界から同じ時間軸の過去に戻り、分岐をやり直すという展開になった。そもそもこれは別の世界(仮にB世界とする)に行くのではなく、ロールバックなのかという驚きはあったのだが、特に問題ないように進んでいった。

ここでの代償は「今ある仲間たちと離れる」ということなのだが、実際これが機能しているのかと言うと微妙だ。というのも、巻き戻りでしか無いのだから結局仲間とは会えるし(イベントの省略による思い入れの差はあるにせよ)、むしろベロニカ復活によってオトクとまでも考えられる。

ここが仮に、B世界に行っての過去改変ならまだ分かる。そしたらその世界には主人公が2人いることになり、もとの主人公(その世界の主)のために奔走し、未来を変えるも、自分自身は本来そこにいてはならない人間なので誰にも認識されずに消えていく・・・・・・とかで代償が機能する。

しかし実際はそんなこともなく、なろう系よろしく先の展開を潰していくだけだ。強くてニューゲームでしかない。茶番じゃないか?

結局のところ、あまりに都合が良すぎるのが私にとって気になって仕方ない部分なのだ。もちろん「みんなが幸せになる」という展開そのものは素晴らしいと思う。誰もが笑顔で終われる最後はとても素敵だ。そうなったらどれほどいいだろうと、それは分かる。

だが、過ぎ去りし時を求めてについては、都合が良すぎて「これまでが茶番ではないか」と思えてならない。様々な苦悩や試練にぶつかり、そこで立ち向かって得た絆や強さというものが、無かったことになってしまう。じゃあ、これまでってなんだったの? と思ってしまい、後半はかなり冷める。

無かったことにしてはいけない

さらに衝撃的だったのは、公式で「同一世界線上の物語」だと発表したことにある。これが一番驚いた。過去を改変した以上、お決まりのように様々な世界が生まれる、パラレルワールドだと私は思っていた。というか、じゃないと成り立たない。

しかし公式によるとすべては一本線で繋がっている。となると、セニカによる過去改変で起こり得る未来、それはそもそも主人公たちが存在し得ない世界・・・・・・パラドックスが起きるということになる。じゃあ、本当にそれまでの冒険ってなんだったの?

もっと言うと、仲間との思い出がなかったことになるのもしんどかった。ベロニカの死によって新たな決意を宿したセーニャも、彼なりに考えて仲間として認めてもらうよう奔走したグレイグも、すべてが無かったことになり、第3部では空虚な関係性になってしまった。

あるいは、カミュが命がけでマヤを救ったのに関しても無かったことになり、主人公が剣を光らせたらそれで呪いが解除されるというソードマスターヤマトばりのスピード解決。なんじゃそりゃ。

私は、過去改変以降の仲間は、同じ見た目をした別人にしか思えなかった。だからこそ思い入れもないし、ベロニカに会えても何も感じられなかった。彼らはスワンプマンなのだ。

そもそもを言ってしまえば「ベロニカひとりのために過去改変をする」というのも無理を感じる。こんな言い方は良くないが、勇者にとってベロニカは仲間のひとりでしかなく、そのためにあらゆるすべてを投げ売ってオーブを壊すだろうか。逆ならまだ分かる。しかし、そもそも意思表示をしないドラクエ主人公の行動としては飲み込みづらい。

発想はいいが勢いだけ。過ぎ去りし時を求めて、という大層な名前のパートに対する印象はそんなところだ。無視できない細かいところがありすぎる。

ただ邪魔なだけのボウガン

ゴミ

本作において許せない部分が1つだけある。それがボウガンだ。

これは本当に意味がわからない。あらゆる部分で利便性や不快な部分を排除している、大変に配慮されたこの作品において、これだけが異次元に邪魔くさい。もう本当に邪魔で邪魔で仕方ない、ただのデバフだった。

私はこれまでに100時間ほど本作をやっていて「ボウガンがあってよかったな」「ボウガンは良いシステムだな」と思った瞬間は本当にただの一度も存在しない。それよりも「誰が得をしているのかわからない」「これを導入した人は絶対にテストプレイをしていない」とたびたびキレそうになるぐらい、邪悪な仕様だと感じた。

これの問題としてあるのは「なんら意味をなさない仕様」「暴発する危険性のあるボタン配置」の2つだ。

まず、前者については言わずもがなだろう。もしかしたら私が有効な使い方をしていないだけなのかもしれないが、少なくともこの100時間、これがあって良かったと思う場面が1フレームすらも無かった。

そして後者。これは本当に頭が悪いと思う。なぜ✕ボタンにボウガン発射を配置するのかが分からない。キラキラを調べようとしたらボウガン、攻撃しようとしたらボウガン・・・・・・こんなの少しでも触れば分かるはずだ。

これが例えばR3押し込みで発射するとか、そもそも設定でボウガン使用のオンオフを切り替えられるのであれば何も文句はなかった。暴発する可能性のある配置を強制させられるあたり、これだけが異質の気持ち悪さを放っていた。まるでここだけがQAチェックを抜けてしまったかのような違和感。

アプデで消してください。現場からは以上です。

シリーズ史上最悪のラスボス

あのさあ

「終わり良ければ全て良し」。これは至言だと思う。仮にそこまでの道中がそこはかとなく気に入らないものであろうとも、最後で満足できれば「なんだかんだ良かったな」と思えるものだ。もちろん、逆もしかりだが。

RPG(のみならず、ゲーム全般)におけるラスボスの存在は本当に重要だ。それがすべての終わりで、これまでの総決算なわけだから、簡単にやられてはいけないし、かと言って無理ゲークラスなのも違う。そして強さだけでない、リスペクトを持てる対象、姿なのも大切だ。

それを踏まえて今回のラスボスを見ていくと、正直言って「残念だったな」という印象が強い。ウルノーガ(及びウルナーガ)に関してはまだギリギリ擁護できるが、ニズゼルファが本当にヒドい。そもそもダサい。これが本当にヤバい。

これまでの魔王はその戦闘力もさることながら、何よりかっこよかった。このシルエットは2つとして似るものがないなと思えるぐらい神がかったデザインで、敵ながら造形に惚れ惚れしていた。

それは裏ボスたちも同じく、無類の強さを誇るエスターク、終身名誉最強の存在ことダークドレアム、すべてを超越した竜神王などなど・・・・・・どれもがそもそもとしてかっこよかった。最高のデザインだった。

ラプソーンですらまだマシ

しかしニズゼルファはどうだろう。こんなのがラスボスなのかと。しかも専用BGMですらないのかと。心の底からガッカリした。特にアツい展開になるわけでもなく、ジレンみたいな見た目のよくわからん宇宙人を倒しておしまい。これでいいのか本当に。

ニズゼルファは設定だけなら非常にアツい存在だった。実は魔王よりも強大な存在がいたんだよ、それを封印したのが「勇者の星」というブラフだったんだよ、というのは間違いなく面白い。

それで出てきたのがセルの身体を持ったゆるキャラみたいなのなんだから泣ける。こんなのって無いよ。

その他感想

7周年ですけども

キャラバランスが非常に良い

産廃、ナシ!

私は、スタメンの規定数に対してプレイアブルキャラの量が大幅に上回るゲームが苦手だ。「前線に4人しか出せないのに全12人います」とかはそれだけで頭を抱えてしまう。戦略面としてはかなりフレキシブルに対応できて何よりなのだが、気持ち悪さが付随するのがしんどい。

具体的には「育成状況の散漫化」「使用率のばらつき」などが内訳としてある。どちらも大きいのだが、問題点としてよく感じるのは後者。

まず前者から見ていくと、控えには経験値が入らないタイプのゲームが当てはまる(ポケモンとか)。こうなると結局、使わないキャラはレベル差が開き、より使わなくなるという悪循環に陥ってしまう。

それだけならまだいいのだが「2手に別れて攻略する」みたいなパートが来ると悲惨で、チーム内のレベル差が30もありましたなんて事態を引き起こしかねない。しかし、だからと言ってわざわざ均すようなレベリングもまた無駄だなあと思ってしまう。

しかし、本作は控えでもなんでも構わず、経験値の100%が入るようになっており、進めるうちにレベル差がつくことはほとんど無い。というか進めれば進めるほど勝手に均される。今となってはむしろこういう形が当たり前だが、やはり楽で嬉しいことなのは間違いないだろう。

心置きなくメタル狩りができる

次に、後者の問題についてだが、これはどのゲームでもぶつかることだと思う。簡単に言うと、性能被りや上位互換の存在によって「いなくてもなんとかなるキャラ」が出てきてしまうのだ。これも嫌。

私はやはり、それぞれが意味のあるキャラであってほしいと思っている。特に、今回のような全員一丸となって戦う物語において「あんだけ威勢よく言ってたのに結局この人なんもしないじゃん」となったら興ざめだ。

で、結局Ⅺはどうだったのかと言えば、産廃とも呼べるような「要らない子」はいなかった。使用率が低めなのはいるにせよ、誰をスタメンにしても攻略できるし、そして誰もが強みを持っているというバランスで素晴らしかった。

特にキャスター陣が秀逸で、それぞれ呪文がバラけているので、何かを使おうものならそのエキスパートを入れなければならない構造になっていた。これは「編成を強要されている」という言い方もできるが、私は「性能のトレードオフ」という面として評価したい。

少なくとも「この人がいれば他はいらない」なんて事態にはならない。その方がよっぽど健全だろう。

最高のファンサービスの数々

そこはサービスしなくていいから

BGMの項でも触れたが、やはり本作は記念作品に恥じないオールスターゲーム・・・・・・ファンサービスについては文句なしの内容に仕上がっている。過去作のオマージュや音楽でも満足できるが、私は冒険の書の世界を心から強く評価したい。最高だった。

少し各作品のチョイスに謎な部分はあったが、それにしても懐かしく、想い出深いあの場所に行けるというのはシンプルに嬉しい。BGMもチップチューンアレンジがほどこされ、MIDIだった頃のものは新たな発見のある仕上がりになっていた。

ただ、サマルトリアのボケカスを探し回ったり、ロンダルキアをもう一度探索させられたりと、誰がそこまでやれと言ったようなリバイバルもあった。しかし、やはりそれも文句を言いながら懐かしいと思えてしまうのだから面白い。こうやって人は懐古厨になっていくんやなって。

個人的にはⅧのトロデーン城でクエストを達成した後に、ヤンガスたちの会話を聞けたのが一番印象に残った。別に泣けるような場面じゃないのに、思わず泣きそうになってしまったのはあの頃を思い出してしまったからだろう。

エンドロールの振り返りと言い、つくづく本作は「これまでドラクエをやっていて良かった」と心から思える作りになっていた。何よりもこれまでのユーザーを大切にしているのが分かる、そんな作品だと思う。

主人公が喋らないことの違和感

Ⅷから続く問題

これはⅧの頃からずっと言われ続けていたことだが、とにかくイベントや探索における違和感がスゴい。その正体はやはり、主人公の奇行にある。人の家で物を漁る勇者行為、何を聞かれても無言、ピンチ時の棒立ち・・・・・・こういったものの違和感がもう拭いきれない。

もちろん「ゲームだから」という言い方で擁護は出来る・・・・・・のだが、やはり頭身が高くなってリアルになればなるほど違和感は増大する。Ⅷのメディばあさんやチェルスの時も大概だったが、今回も結構ヒドかった。

正直、これまでのドラクエはドットだから許されていたような部分が多々ある。イベントの悲惨さなどもそう。ドットでデフォルメしていたからこそ、その間隙をプレイヤーが勝手に想像する・・・・・・そんな余剰によって成り立っていた。

しかし、今やそんなことはなく、徒党を組んで入ってくる男たちが家探しをし、別の家に突撃する。まあこれはこれでシュールでもあるのだが、いい加減に無理があるよなあと思えてならない。

個人的には無言なのが一番気になってしまった。それならいっそ、呪いで喋ることができなくなってしまった、ぐらいやれば自然なのかなと思ってしまう。「ドラクエの主人公は意思表示をしない、プレイヤーの分身である」というお約束は分かっているが、違和感については別問題だろう。

ロトシリーズに繋げる必要はあったのか

擦り過ぎでは

OPの時点からロトシリーズとは関係性があると思わせておき、結局はⅢの前日譚・・・・・・はるか過去の話でしたよというオチだった。これ自体は感動したし「なるほどなー」という気分であったものの、それをする意味が果たしてあったのかと思えてならない。

ドラクエはいわゆるハイパーリンクスターシステムみたいなものを採用していて、ロトシリーズや天空シリーズのみならず、他作品間でもゆるいつながりがあったり無かったりする。

中でもⅦ、Ⅷ、Ⅸというのは独立しており、あくまでそれ単体の物語としてあるうえで他作品のオマージュや共通設定などが入ってくる程度。それでなんら問題はなかったし、むしろそういう方がくどくなくて個人的には好みだ。

だがⅪにおけるロトシリーズの擦り方というのは少し異様にも思えるぐらいで、終盤はⅢ(というかロトシリーズ)を知っているかどうかでかなり評価が変わるんじゃないかなと思えてしまう。

もちろん、ここはやはり記念作品だからという面が強いのだろう。これまでに意味をつくったからこそ、特段批判されるポイントでもないことは分かっている。しかし、それにしたってロトに依存しすぎているのではないかと感じる。

実際、世界樹の正体とその後、ロゴの意味、Ⅰの主人公の存在やⅢのOPにつながる演出などは、知っている人とそうでない人とではかなり印象が変わるだろう。「知らない人に配慮しろ」ということではなく「過去作要素を盛り込み過ぎなのでは?」という部分が気になった。

フォトモードの完成度の低さ

いい笑顔

これは結構残念だなあと思う部分。実装してくれただけありがたいとは思うが、どうもイマイチ足りてないフォトモードだった。失礼を承知で言わせてもらうが、たぶんこれを監修した人は普段こういう機能を使わない方なんじゃなかろうか。

というのも、フォトモードとしては根本的に足りていない機能、できないことがあまりに多い。配置の歪さもそうだし、何よりチルトなど、カメラの画角に自由度がなさすぎる。そのせいで似たような写真ばかりになるのはいただけない。

ついでに言えばキャラごとのモーションストップが無いのも気になる。パルプンテをしてそれぞれが奇跡のタイミングでシャッターを切らないとならいいのはちょっと難易度が高すぎる。結局、みんなでサムズアップとかになって面白くない。

ポストプロセシングやスクリーンフィルタなどは別に興味ない・・・・・・というかあってもなくてもな機能なのでそこまでは望まないが、もう少しアングルに自由度があれば良かったなと強く思う。

冒険の旅にはキャンプも欠かせないが、これまでの道中を記録する写真もまた、同様に大切なものだと思う。プロンプトもそう言ってた。だからこそここはもうちょっと力を入れてほしかった。

キャラ別所感

コスプレ集団

主人公

主人公らしくない見た目

とにかく見た目の華やかさが皆無。なんだか最近のドラクエ主人公は勇者っぽさがなくなりつつあるが、Ⅺも例に漏れずそんな感じだった。髪型が多分悪さをしているんだと思う。

なぜ「悪魔の子」と呼ばれているのか・・・・・・その理由は至極単純だったが、少し違和感もある。まさかデルカダール王の進言がそうも世界に流布されるまでとは思わなかった。流されやすすぎでは、世界。

それこそ、同じく会議に出席していたクレイモランやサマディーの王たちが何かしら疑問を呈せば少しは悪評も変わったのかなと思うが・・・・・・国のパワーバランス的に難しかったのだろうか。

戦闘面では最序盤こそやや寂しい立ち位置ではあったが、両手剣スキルとデインを覚えてからは第一線で活躍できるポジションに。勇者マジ勇者。序盤片手剣の貧弱さが悲しい。

最終的にはギガブレイクでの範囲焼き、ぎんがのつるぎ+つるぎのまいでのルカニ、ベホマズンやザオリクのサポートなど、2番手役として活躍。シルビアと同じぐらい、最初から最後まで出番のあるオールラウンダーだった。

カミュ

正ヒロイン

あらゆるすべてがイケメンすぎる真の相棒。本作に登場する遍くヒロインよりよっぽどヒロインしている気がする。ルドマンの屋敷では真っ先にカミュを選んだ。それぐらい相棒として最適任だと思う。

最初こそスカした野郎なのかなと思っていたが、おそらくパーティーの誰よりも主人公のことを理解しており、決して見捨ても諦めもしない非常にアツい男。記憶を失ってさえ守りたい誰かに主人公がなっているのはこれもう純粋に愛です。CVから何まで非の打ち所がない。

ただ正直言うと記憶喪失のくだりが幕間含めても結構あっさりとしすぎていて、やや舞台装置になりさがった感じは否めない。もう少しひっぱるなり、記憶喪失ならではの展開があと何個かあればよかったような気もするが・・・・・・ちょっと早すぎた?

預言者含めて割と出自が謎の男だったが、いずれにせよ良いやつだったのでまあいいかなというところではある。ついでに、妹のドヤコンガも兄に似て見た目が非常に良いだけに、もう少し言葉遣いがお上品ならいいのになと思った。恵まれた見た目と声から残念な口調。まるで中の人みたいだあ。

戦闘面では文句なしのTier1だろう。序中盤はほぼ役に立たない・・・・・・というか他のユニットに比べて目立ったところがないためベンチ要員だったが、パネル解放以降はカミュを基準にすべてが回るレベルで戦いが激変。真の相棒たる活躍を見せてくれた。

ぶんしんからの単体タナトスハント、複数デュアルブレイカーで相手は死ぬ。ついでに、ちいさなメダル集めや金策用の盾集めでも大活躍してくれた。Ⅲと同じく、盗賊が最強のゲームだった。

セーニャ

ぶっちゃけ地味

やがて木になる、賢者の生まれ変わりの片割れ。正直言うとあんまり思い入れがない。というかこの双子に対してそこまで入れ込んでないため、性能面ぐらいでしか語れない。でも見た目はスゴい好き。デコ出しかわいい。

とは言うものの、性能に関してもほぼ使わなかったのであまり・・・・・・というところなのが悲しい。道中ではまず出番ないし、ボス戦にて敵の攻撃が苛烈すぎて、シルビアだけじゃ回復が間に合わない場合にしぶしぶ使っていたぐらい。スクルトもそんな活躍しなかったな。

最終的にはカミュをサポートするためにあくまの調べを使っていたが・・・・・・まあそれもぶっちゃけベロニカでいいよねというところではある。ホーリーライトが結構良いダメージを出したりもしていたが・・・・・・イマイチこの子がいたから突破できたという場面が思い浮かばない。災厄怨念ですら出番ないし。

おっとりしている性格ということで、ストーリー上だととにかくアクが無い。毒にも薬にもならない発言ばかりでぶっちゃけ影が薄い。姉が結構エキセントリックであるからこそなおさら感じる。

ベロニカ死後の覚醒以降で出番がかなり増えるものの、そもそも彼女の永久離脱のインパクトが強すぎて印象に残らない。いっそのこと、物腰柔らかだけど発言はエグい、ぐらいの落差があれば記憶に残るキャラだったのかなと思う。

どうでもいいが防御実行時の「よいしょ」がギャンかわ。

ベロニカ

ロリコン向け

セーニャの片割れ。セニカのニカの方。実年齢はそこそこなのに、見た目に引っ張られてクソ生意気な態度をとることでおなじみの魔法使い。最初はめんどくそうな子だなあと思ったが、実際はシルビアとは別ベクトルの良いムードメーカーだった。カミュと絡んでるとだいたい面白い。

「ドラクエの味方メンバーは死なない」という先入観があったため、死亡による永久離脱はビビった。悲しいとかではなく驚き。セーニャが髪を切るまで「実は生きてました~w」なパターンだとばかり。死ぬんだ・・・・・・。

ということで、驚きが強すぎて泣けなかった。これまでドラクエに、事実を伝えられて絶望しどっか旅に出たり、女に惚れて過去にとどまるような奴らはチラホラいたが、死亡して離脱するのはたぶんいなかったと思う。本当に衝撃だった。

戦闘面ではカミュに次ぐTier1キャラ。ほぼスタメンだった。雑魚戦は呪文で殲滅、ボス戦はルカニとバイキルトで手厚い。ついでにマジックバリアの軽減も含めると、ここまでのサポートは彼女にしか出来ない(マジバリそのものはグレイグも可能だけど)。

あとはMPドーピング+魔力かくせいによるダメ押しのマダンテ。3000確定ダメージでだいたいゴリ押せる。しかしカミュの前ではこれでもやや物足りなく思えるんだからいかにアイツが狂ってるのかよく分かる。

まあそれはそれとしてイオグランデ+やまびこで全体1800ダメージとか出せるんだからさすが賢者の生まれ変わりですわ。

シルビア

ぐう聖

神。Ⅺプレイヤーで彼が嫌いな人などおそらくいないであろうウルトラユニット。大好きです。この人がいなかったらこのゲームは成り立たない。

最初こそ違和感バリバリの存在で、怖いもの見たさみたいな気分で出会いを待っていたが、実際ストーリーを進めてみると歴代でもトップクラスの有能&イケメンだと判明。シナリオもバトルも、この人がいなかったら詰んでるという場面があまりに多い。

そして人格的な部分も非の打ち所がなく、人を不快にさせることが無い。かと言っておちゃらけた人なのかと言えばそんなこともなく、時には一緒に迷い、時には仲間を導く名誉スーパースターだった。

戦闘面ではこちらも圧倒的Tier1。おそらく、シルビアがスタメンから外れたことは無い。加入時点であまりに高いステータスと豊富なスキルプール、それでいて必須SPが少ないことによる運用のしやすさで、ダメな部分が本当に一切なかった。

入手時期的には強力すぎる回復手段のハッスルダンス、デバフリセットのツッコミ、強力な全体攻撃であるローズタイフーン、単体範囲問わず強力なキラージャグリング、カミュをサポートするためのヴァイパーファングなどなど・・・・・・。

のちのちに解放されるきしどうスキルも強力なものが多く、特に行動順を操作できるレディーファーストが便利。ジャスティスもシンプルに強いし、本当にそつなくなんでもこなせる。さらには呪文でのサポートもできるんだからビビるね。

あと最終盤で手に入るシュバリエスタイルがマジイケメン。・・・・・・この人360°完璧すぎないか? 最後の最後まで隙がないシルビア姐さん、さすがです。

マルティナ

後半空気の女

同人誌ですでに出会っていたのであまり初対面という感じはしなかった。なんかすいません。ブギー様のことも存じ上げておりました。

おっぱいデカくて好き! ってことで、鳴り物入りで加入したはいいものの、だんだんと影が薄くなっていってしまったのが残念。割とマジでユグノア辺りが最盛期だったような気がする。あとモンスターカジノでのアレ。

別にマルティナに限った話ではないのだが、このゲームはとにかく男キャラが印象面として強いせいで、他が影になりがち。女キャラにブヒるより、シルビアとかカミュとかグレイグにアツさを感じる場面のほうが多い。てわけでそういう連中に比べるとマルティナのパンチはやや弱かったなというところ。

戦闘面でも「一時期は強かった」という過去の女。加入したあたりはいいのだが、だんだん燃費の悪さやカミュの超性能のせいで割りを食っていってしまった。さみだれ突きしか脳のない女と、単体&範囲超威力を出せる盗賊のどっちをとるのかって話ですよ。おっぱいじゃボスは倒せない。

シルビアが事前印象が最低からの最高に遷移したキャラと考えると、マルティナは真逆だった。あと宗教上の理由でCV小清水亜美は面白くなってしまうのがなんとも。

ロウ

ベンチ要員

確かにロウにしか出来ないこともあるんだけど、だからといってその場面が来るかと言われるとノー。ほぼ出番なかった。けどマルティナとのボイスドラマは泣いちゃったので、まあええか!

ロウよりもニマ大師のかわいさについて語りたいと思った。このゲーム、リーズレットちゃんといい、ルージュ先生といい、ババアがかわいすぎる。もふもふ! もふもふ! リーズレットちゃんの髪の毛もふもふしたいお!!

グレイグ

におうだちの習得が遅すぎる

過ぎ去りし時を求めて編のせいで一番微妙な存在になった男。改変後のグレイグは仲間とは認めてない。ただの傭兵というか、あんなん都合上なんとなく付いてきた人だから。

逆に言うと改変前はとても良いキャラだった。何が良いってその性格・・・・・・主人公とのタッグを組む前から組んでる最中、そして最後まで彼の誠実な性格が伝わる細かいカットから分かるアレコレだ。あそこがもっとテンポ良かったら評価は真逆になっていただろう。

グレイグという男はとにかく質実剛健、実直な男で、良くも悪くも主君に尽くす以外、他のことを考えていない。「勇者とは悪魔の子である」という突拍子のないデルカダール王の言葉をそのまま信じてしまったのは彼が愚かだからではない。そんなことを言われても信じられる、信頼関係がすでにあったからだ。

それは一見、盲目的とも思える。しかし、実際彼は戦災孤児という立場から始まり、デルカダール王からの寵愛を受け、我が子のように大切にされてきた。そんな大恩ある相手にあんな緊迫した状況で狼狽することなど出来るだろうか。騎士の役目は、主君の剣であり盾になることなのだ。たとえそれが鈍く汚れていたとしても。

ということで誤ったことを信じ、主人公にヒドいことをしてきた。だが、それが誤解だとわかり、さてどうするかという場面。ここでの行動がいかにもグレイグだと思う。「ごめんなさい」と、サクッと謝らないのが本当に彼らしい。

この謝らない姿勢というのは何も「謝りたくない」のではない。「謝れない」のだ。ここまでヒドいことをしてきて「勘違いでした。ごめんね」なんて許されないことは、他の誰でもないグレイグが分かっている。しかし、じゃあ何を言えば良いのかがわからない。そういった葛藤がデルカダール奪還編では細かく描かれていて良かった。

これじゃ足りないことは本人が一番わかってるはず

グレイグは基本的に、かなりオープンな性格だ。敵対していたときはいかにも厳格で、とっつきづらそうな印象を覚えるが、実際のところ彼は新しきを歓迎する、人当たりのよい男だ。

たとえば世界崩壊後、シルビアと合流した際のサーカス衣装をなんの前触れもなく着るとか、えっちな本に明るいとか、あれらはおもしろおじさんだろうが変態だろうが少しでも距離を縮めようとした彼なりの頑張りなんだと私は感じる。

こういった点を見ると私は、グレイグという男は少し不器用なだけで、とても誠実な騎士だと思えて仕方ないのだ。

さて、戦闘面については最終的に出番がなくなるかなというところ。加入してしばらくはかなり強い。タンクとして文句なしの働きをしてくれる。ただ、問題になるのは「におうだち」という必須スキルが最終盤まで手に入らないところにある。これはどうなの・・・・・・。

パラディンとしてにおうだちが無いのはだいぶマズい。あったらあったで強すぎるのは間違いないが、それにしたってアイデンティティの獲得がしばらく先なのは気になってしょうがなかった。おかげさまでひたすら鉄甲斬連打の、ただの戦士だった。

まあ呪文でのサポートもできるので、足が遅く耐久のある魔法戦士ってところだろうか。それでも強いことには強いんだけど。

さいごに

この壁紙すき

長く続く活動において、新規顧客を取り込むという姿勢は大切だ。滞留してしまった澱みはやがて毒になる。流れを作るということはその後に様々な良い影響をもたらすため、やはり「新規」はどの界隈においても大切にする必要があるのだ。

しかし、それ以上に大切にするものが「それまでついてきてくれた人々」なのは間違いない。少なくとも、新規を獲得するために古参を切るというのは良い判断とは言えないだろう。「今」があるのは「これまで」があるからなんだから。

本作はとにかく、これまでのドラクエファンを見据えたサービス精神あふれる、本当に「記念作品」としてふさわしいものでありつつ、初めてドラクエを触れる人にも易しい、丁寧な作りになっていた。

滾る情熱と確かな信条を以て作られた作品はいつだって素晴らしい。ドラゴンクエストⅪはその細部まで制作者の強い意思が感じられる、本当に良くできたゲームだった。

私はこれまでもドラクエが好きだったし、これからもきっとドラクエが好きだろう。それはやはり、好きで良かったと心から思えるような体験を、いつだってドラクエがさせてくれたからに他ならない。プレイできてよかった。そう思える100時間だった。

最後に、配信を見てくれた方々に感謝を! 言わずともネタバレをしない民度で最高だった。良識あるドラクエおじさんたち、ありがとう!!!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?