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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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そして誰もいなくなった/オリエント急行の殺人


前置き

 執筆タイムトライアル中です。今回は1時間を目標にします。
 前回はこちら。

 タイムトライアルで感想を書くような題材じゃないなと自分でも思うほどの名著ですが、逆にみんな読みすぎてて説明不要なのでぴったりな気がしてきました。
 私、これでもいちおうドラマ版のポアロ(デヴィット・スーシェのあれ)とか、ミスマープルは結構見て育ってきています。というか実家にいると避けられないくらいの頻度で流れているので、水戸黄門くらいの感覚です。あとは当然、グラナダ版シャーロックホームズも。
 それなのになんで原作を読まなかったのか。それは小説嫌いの子供だったから。
 特に青い鳥文庫が嫌いだったので、ホームズなんか読む気にならず、漫画ばっかり読んでましたね。パタリロとかポーの一族とか。
 しかし本棚にある大量の筒井康隆を読み始めたときに気づいたんです。私はただ、字が大きくて平易な言葉の小説が苦手だっただけだと。
 そこから細々と小説は読んできたものの、推理小説はほとんど読まなくなりました。青い鳥文庫のイメージがあって読みたくなかったんだと思います。
 私は世にも珍しい、青い鳥文庫憎しの人間なのです。

 しかし小説以外の推理ものは好きだし、推理小説好きの夫が傍にいるので、せっかくなら読んでみようと思い尋ねてみました。
 彼が薦めてくれたのが今回の『そして誰もいなくなった』と『オリエント急行の殺人』。
 ミステリー好きのみなさんが、若かりし頃に手に取り、いまだにナンバーワンであり続けると言われる名著を、ずぶの素人が大人になって読んだ感想を書きます。

基本情報

ジャンル:推理小説
著者:アガサ・クリスティー
訳者:青木久惠(あおきひさえ)
レーベル:ハヤカワ文庫
発売日:2010/11/10
ページ数:387ページ

ジャンル:推理小説
著者:アガサ・クリスティー
訳者:山本やよい(やまもとやよい)
レーベル:ハヤカワ文庫
発売日:2011/4/5
ページ数:413ページ

 ↑今Amazonから見ると、オリエント急行は映画版のカバーになってるね。
 というか、今、早川書房がメンテナンス中で公式のURLが貼れない……。

あらすじ

 あまりにも有名すぎる&書いても意味がないからなし!

ネタバレなし感想

 万が一読んだことのない人のために、星を書きます。

そして誰もいなくなった

推理:★★★☆☆
ストーリー:★★★★☆
文体:★★★★★
初心者オススメ度:★★★★★

 とかく文体が素晴らしいです。クリスティーはたぶんすべての本がそうなのでしょうが、気持ちよく引きこまれて振り回されます。ただ、今回読んだ2冊を比較すると、『そして誰もいなくなった』の方がいいと感じました。訳者が違うので、その差である可能性が高いです。
 推理をする必要はないし、ジャンルを気にせずに小説として読める点で、ミステリー初心者にオススメされた理由がよくわかりました。ただ薦めた人間からすると、推理が鮮やかだから薦めたとのことで、若干意見の相違はありました。
 いずれにしろ読んで損することは絶対にないと言っていいでしょう。

 唯一注意点として。
 前 書 き を 絶 対 に 読 ま な い で く だ さ い。
 
クリスティーの親族が書いているもので、結構なプロットをしっかり書きやがっています。ほんとこれやめたほうがいいよ。私は地雷センサーが働いたので読まなかったため無事でした。
 そういえば『パワー』では前書き風の手紙から始まったと思ったら、本編として重要な内容だったりもしていたし、見極め難しいよね。

オリエント急行の殺人

推理:★★★★☆
ストーリー:★★★★☆
文体:★★★★☆
初心者オススメ度:★★★★☆

 夫にも聞いたし、あとがきにもありましたが、ミステリーをあまり読まず”スレてない”人ほど、『オリエント急行の殺人』を読むべきだそうです。
 いわゆるミステリーのお決まり(ノックスの十戒)を破っているらしく、読みすぎていると深読みしすぎる(ただしそれがまたおもしろい)らしいので、まず最初に読んでから、出戻りしてもう一度読むと味わい深くなりそう。
 ただ、私は文章としてのおもしろさが勝ったので、初心者には『そして誰もいなくなった』を最もお勧めします。どっちも素晴らしいけどね。

ネタバレあり感想

そして誰もいなくなった

 ドラマでミスマープルを観ていたら想像はつくのですが。
 情景描写の緻密さにため息が出ます。なんて美しいのか……。
 緻密さと言っても細かく描写するわけではなく、例えば今ぱらっと開いたところ。第3章の冒頭部分。

 食事も、そろそろ終わりだった。
 料理はすばらしかったし、ワインも申し分なかった。ロジャーズの給仕も行き届いていた。
 全員、機嫌がよくなっていた。前よりも気軽に言葉を交わして、会話がはずんでいる。

『そして誰もいなくなった』ハヤカワ文庫
P63

 たった5文です。こんなに淡々とした文章で、過不足なく、その場の状況と雰囲気を描写している。
 たくさんの人物が出てきている場面で、働いているロジャーズを除くすべての客がほぐれている様子をまず描く。そしてその後、判事や医師など、他の人物の描写を畳みかけるので、読者は客の和気あいあいな様子を目に浮かばせながら、ズームインするように人物の解像度を上げることができる、巧みな技。
 適当に開いたページでこれです。全編にわたってこんな感じですから、中断が難しい読書体験になるのは致し方ないでしょうね。
 もちろん一番すごいのは、登場人物の心理がざわざわと揺れ動くさまを、転がるように描写していくテンポ感です。
 うーん、これは名著の妙。みなさん、こんなもの思春期に摂取していて大丈夫ですか? その後の読書体験は。

 で、肝心の推理についてですが、4人に減ったところでだいたいわかりますよね?
 これ、あとで読了済みの人間2人に聞いたら2人とも、犯人はわからないしわからなくてよいのだ、と言っていて驚きました。
 
た、確かに、犯人わからないほうが楽しくね? 失敗した……。
 この反省を生かして、次に読んだ『オリエント急行の殺人』は推理せずに読むことにしました。

 いちおう、どんな感じで気づいたかというと。厳密に合っているかはわからないけど――。
 4人(医師・教師・警部・大尉)に絞られてから、医師が突然描写から消える。そうすると、それまでに明らかにあやしい(犯人捜しを仕切っている割に、自由時間は椅子で一人でじっとしている)判事が、医師に何かの話を持ち掛けていたシーンが思い出されて、あれ? 判事の死は医師しか確認していないな、と。そして医師が海に身を投げたあたりから、まあまあこれは、となり、残り3人は絶対にないので、犯人は判事だとわかる、と。
 厳密にどんなトリックなのかはわからなかったです。というか、トリックというほどでもないよね。判事が死体として運ばれたとき、誰か気づかないんかな(医師が仮死状態にする薬を盛ったのかと思ってたけどそれもなかった)、とか、最後の自殺はいくらなんでも無理があるだろ、とは思った。

 正直、推理はどうでもよくて、冒頭に述べたような文章のスリリングな美しさがすべてだと思います。

オリエント急行の殺人

 『そして誰もいなくなった』は孤島での悪天候だし、今回は急行列車で雪の事故だし、もう発行後から全世界的にこすってこすってこすられた密室設定なのだと思います。すごいよね、本当に天才。
 両作を並べてみると、『そして誰もいなくなった』は犯人含む全員が死に、『オリエント急行の殺人』は被害者以外が全員犯人。しかも警察を除く全員が罪を犯しているという、犯罪者の展覧会みたいになっています。それなのに、どの人物も人情に溢れていて、読後感がさっぱりしている。これぞ人間観察の神髄と言っていいでしょう。どちらも傑作ですね。
 『オリエント急行の殺人』は、ポワロが探偵役として君臨していることや、豪奢な列車の旅であること、そして完ぺきな演技を披露したハバード夫人の役回りもあって非常に劇場型が強い作品になっている。つまり、定型的な主人公の存在・きらびやかな舞台・役者心をくすぐる役の3点がそろっているために、特に他媒体で表現したい欲を刺激するわけですね。結末がわかっていても何度も観たいと思わせる仕掛けがある。きっと映画化、ドラマ化、舞台化が数えきれないくらい盛んにされていることでしょう。現代からしてみると、小物がオシャレに映るのもよいですね。

 一番印象的だったのは、ポワロが謎解きで事前に2つの案を提示するところ。つまり、最初からポワロは犯人を”許す”選択肢を与えているわけです。
 事故で電車が止まらなければ、殺人計画を変更する必要もなかったわけですが、ポワロは謎を解ききってしまったうえで、警察に引き渡すほかなかったかもしれません。事故による偶然の密室が、ポワロに許す手段を与えたと考えると、すべてが犯人”たち”のフェイクであったトリックの中で、唯一、自然による偶然によって鮮やかなラストが導かれたとすれば、これほど美しい、運命的な筋書きもないかなと感じます。
 ポワロはどんな殺人者でも許さない右京さんとは違い、残虐な犯人を殺したいほど憎んだ遺族の執念を認めて見逃します。いや、見逃すというより、共犯者になります。他にその場にいたのは警察ではなく、私企業の鉄道会社役員(ともしかしたら犯人以外の従業員)のみ。誰もが真実に口をつぐみ、論理的にあり得るフェイクの推理を警察に伝えるべきだと考えるでしょう。
 人情を優先し、最後の最後に読者まで巻き込んで犯罪者にしてしまうという結末で、しかも後味残さずすっぱりと終える本作は、もし劇場型文学なるジャンルがあるなら、その最高峰に並ぶでしょう。

 推理については、赤いショールの描写で、なんかこれ見たことあるな、と途中で気づいちゃいました。推理ではなく、知っていた――。こんな悲しいことがあるだろうかッ……!!
 たぶん過去に見た三谷幸喜版のオリエント急行ですね。野村萬斎のやつです。何で見ちゃったんだろう。今見ると面白いキャストですね。

後書き

 2時間かかったけど1作1時間と思えばセーフか?
 名作は読むべきだね。
 次は『ABC殺人事件』と『アクロイド殺し』を薦められたので読みます。

 おわり。

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