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マダラ蝶【7】

「菜月さんは、強い女性だったんですね」
咲希の口からは、自然とそんな言葉が漏れる。
「ああ、僕なんかよりもずっと強い人だった。なあ、話すのが嫌だったら無理に言わなくていいけれど、もしよかったら君の話を聞かせてくれないかな。君は時々、寂しそうに笑ってるから」
背中越しに、藤永の真剣な雰囲気が伝わってくる。咲希は少し間を置いたあと、星空を見上げながらゆっくりと話を始めた。

「寂しいって気持ちがあるのは当たってます。私にはもう、家族がいないから。帰るところも、帰りを待ってくれる人もいない。平気なふりをしているだけで、常に孤独を感じながら生きている。そのくせ私は、大切な人を作るのも恐いんです。失うのが恐いから」
心なしか、口調が少し刺々しさを帯びる。現実を受け入れて生きているつもりでも、その事実を口に出すと、この上ない孤独が咲希に襲いかかった。
「そうか…。君と僕は、少し似たところがあるのかもしれないね。もしかすると菜月も、同じような気持ちを抱いたことがあったのかもしれない。僕もこう見えて、大切な人を作るのが少し恐いんだ。永遠はないと身をもって知ってしまったからね。だけど、人は大切な人がいてこそ強くなれるって思うことはないか?」
二人の間に、しばし沈黙が流れる。
「…強さって、なんなんでしょうか」
咲希のその質問に、少し間を置いて藤永は答えた。
「難しい質問だね。寂しいとか、辛いとか、僕たちはそういったものに気が付かないふりをしがちだけど、別にその感情だって、恥ずかしいものなんかじゃない。そんな弱い自分を受け入れることもまた、人の強さなんじゃないかと僕は思う」
「でも…。蓋をしなければ、その穴の底に落ちてしまいそうになるでしょう」
「僕はこう思うことにしたんだ。孤独を感じるのは愛を知っているからだって。だから、どれだけ強く生きているつもりでも、結局人はひとりでは生きていけない。愛は1人では生まれないからね。君にもそんな愛を感じられた思い出があるだろう?」

 あの頃の私は、流れ星になにを願うつもりだったのだろうか。咲希は先程の記憶を思い出していた。それまで、温かな思い出は祖母とのものが多かったが、母親はいつでも咲希を大切にしてくれていたことを思い出す。
 記憶の糸を手繰り寄せれば、父とのそんな思い出も少しはあるのかもしれない。与えられなかったことばかりに目を向けて、大切なことから目を逸らしていたのは、もしかすると自分自身だったのかもしれないと咲希は思った。
「確かにもう、君に家族と呼べる人はいないのかもしれないけれど、君はきっと色んな人に愛されて、今ここにいる。失ったものを嘆き続ける生き方もあるけれど、確かにあった温かい思い出と共に、前を向いて生きていくことだって出来るはずだ。僕はそれをここにいる人々から教わった」

 咲希の目からは、自然と涙が溢れ出す。人前で涙を流したのは久しぶりのことだった。咲希は藤永に背中を預け、止まらない涙を両手で拭った。藤永は何も言わずに、ただ寄り添ってくれていた。幼い頃、母がそうしてくれたように、咲希の気が済むまで、ただただ隣で見守ってくれていた。
 どのくらいそうしていたのだろうか。小刻みに震えていた身体が落ち着きを取り戻した頃、藤永は咲希に声を掛けた。
「そろそろ戻ろうか。遅くなってしまったから、家まで送っていくよ。話してくれてありがとう」
 2人は立ち上がると、先程の砂利道をゆっくりと引き返していった。

♦︎

 くるみ堂と朝倉家のちょうど中間あたりに、あのフジバカマの花畑はあった。夜の花畑には華やかさは少しもなく、闇夜に溶け込んでその愛らしい姿を隠しているようだった。
 街灯の少ない夜の田舎道。自転車を押しながら歩く咲希の隣を、藤永が並んで歩いている。暗闇に目が慣れてしまえば、それほどの不自由は感じられないが、夜に1人で歩くにはどこか心細さを感じるような道だ。

「なあ、もし仕事の調整がつけばだけど、しばらくこっちにいるってのはどうかな?もしかすると無駄足を踏ませてしまうことになるかもしれないけど、もうすぐ彼らに会える気がするんだよ」
「木曜には一度向こうに戻らないと。金曜に打ち合わせがあるんです」
「あと2、3日というわけか。君は本当に、蝶のような女性だね。アサギマダラも、姿を見せたかと思うと3、4日でパッといなくなってしまうと聞いたことがある」
「もともとこっちには、あまり長居はしないつもりだったんです。だって、お墓参り以外に用事がないから。1、2日泊まったあとは、個展用に県内の撮影を少しだけして向こうに帰って…」
「個展?」
藤永が言葉を被せる。
「私、春に個展をするんです。大きな場所ではないけれど、こっちで撮った写真も何枚か出す予定なので、よければ…」
「もちろんお祝いに駆けつけるよ。詳細が決まったら、必ず連絡を入れてほしい」
 そんな些細な約束が、咲希にはとても大切なもののように感じた。

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