憧れだったカウンターの向こう側

社用で外出し、信号待ちをしていたときのことだ。何気なく道路傍の用水路に目を向けると、カルガモの姿が目に入った。10羽のカルガモたちは、時に泳いだり、戯れあったりしながらテクテクと川の方へ歩いていく。

一生懸命に歩く様がとても可愛い。

同じ場所にいるはずなのに、全く違った時間の流れがそこにはあった。仕事のスイッチがONになっていた私は、フッと肩から力が抜けていくのを感じた。

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金融機関に勤めていた頃、私はカウンターの向こう側に憧れを抱いていた。来店されるお客さまは皆、それぞれの日常を生きている感じがしていたからだ。

その頃の私といえば、日常を生きるというよりも仕事のために日々を生きているようだった。制服を着ている間だけではなくて、休みの日すらもどこか気の抜けない毎日を過ごしていて、それが次第に苦しくなっていった。転職し、憧れだったカウンターに向かう側になった私は今、しっかりと日常を生きているように感じている。

先日初めて、金融機関で勧誘を受けた。

お金を貯めたい・お金を増やしたい・車を買いたい・老後の資金を貯めたい…。気になる項目にチェックをつけてくださいと差し出されたアンケートには、約10個にわたる項目が並べられていた。

私くらいの年齢の人に勧誘するなら、ローンか投資信託あたりだろうな。なんて思いながら「うーん。特にありません!」と答えると、案の定「ご興味ある項目はありませんか?積立NISAなどはご存知でしょうか?」と話が進められていく。こうなると、「知っている」と答えても「知らない」と答えても、勧誘が続くことは分かっていた。

私があちら側にいたときは、こういう風に他人の日常を探る行為が苦手で仕方がなかった。給与はどこで受け取っているのか、各家庭のライフイベント…。なんというか、それを尋ねた後の「こっちはこっちで考えているから放っておいて」というオーラが耐え難かったのだ。

文字にすると少し冷たく聞こえるかもしれないが、私は基本的に他人にそれほど干渉したくない。他人に興味がないというわけではなくて、他人の人生に口出しするのが苦手なのである。

困っている人は助けてあげたい。でも、頼まれてもいないのに、わざわざプライベートに踏み込むのはどうなんだろうと思ってしまうのだ。少なくとも私は、ずかずかとプライベートに踏み込んでくるようなタイプは苦手だ。

私には私なりの、人とのちょうどいい距離感がある。

人との距離感だけではなく、きっと仕事にも、ちょうどいい距離感というものがあるのだと思う。

不思議なことに、金融機関を辞めてからの方が、私はお金の勉強をするようになった。転職で選んだのが経理・総務職というのもあるけれど、特定の商品知識ではなくて、自分の人生に必要な社会保障制度なんかも学ぶようになった。

それも仕事が終わって、自宅に帰ってからである。「自宅に帰ってまでなんでこんなに勉強ばかりしなきゃだめなんだ」と、苦悩の日々を送っていたあの頃を思うと、にわかに信じられないことである。自らやるのとやらされるのでは、こんなにも意義が異なるものなのかと改めて思い知らされた。

仕事がない時間がプライベートなのではなくて、プライベートの中に仕事をしている時間がある。花に水をやったり、料理をしたり、モノを書いたりする時間があるように、日常の一部に仕事をしている時間がある。

私はこれからも、そう感じられる人生を送っていたい。

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