カタリ(本間文子) 第1回

長嶋有さん(第3回佳作)や福永信さん(第1回大賞)、戌井昭人さん(第1回審査員特別賞)など、現在も活躍する作家も受賞した、リトルモアのストリートノベル大賞。本間文子さんは、その最後となる第10回で大賞を受賞し、デビューしました。今回、12年ぶりに書き下ろした新作は、家族の借金を返すために、画集の自費出版を勧める「カタリ営業」というブラックな仕事に就かざるをえなくなった20代女性が主人公。彼女が巻き込まれる事件を通じて、変化の激しい現代において働くことやお金を稼ぐこと、生きることの意味を考えさせる意欲作となっています。自費出版ビジネスの裏側を知りたい人、営業職に就いている人、新しい視点の「お仕事小説」を楽しみたい人、必読!

 私だって、人の幸せにつながる仕事をして、お金を稼ぎたい。
 心の底からこう思った日のことを、棚絵奏(たなえ・かな)は今でもはっきり覚えている。
 奏だって、ほどほどに善良で、相手を尊重して平和を重んじる、普通の二十歳なのだ。
 詐欺師である前に。

 6月の第1金曜日。東京都北区の公共美術館では、甲高い歓喜の声がときおりエントランスにまで響いている。展示スペースに併設されているレストラン「華」には、50人近くが集まっていた。年齢は40代後半から60代後半で、ときどき30代の女性や、70代の男性がいる。服装はバラバラだ。男女ともスーツが多めだが、ドレスや和装の人もいれば、ジーンズにジャケットを羽織ったカジュアルな人もいる。
 会場内のBGMにはクラシック音楽が流れており、壁に大きく「アールヌーベルヴァーグ展~燦(さん)~」と印刷されたポスターが貼ってある。アールヌーベルヴァーグ展の開催は今回で3回目となる。展覧会名は「誰もがどこかで耳にしたことのある、それらしい単語を用いて、なおかつ価値観を刷新する雰囲気を出す」ことを意図して、社長がつけた。1950年代の後半にフランスで起こった映画表現の新しい潮流を指す「ヌーベルヴァーグ」からとったそうだ。ちなみに第1回のサブタイトルは「逸(いち)」、第2回は「日(に)」だった。
 奏を含めた真美術出版舎の社員4人のうち、2人が「華」の入口で入場案内をしている。奏と社長の黒澤敦志(くろさわ・あつし)は会場内の上手で、招待客に声をかけて着席を促していた。配膳は「華」の従業員がしてくれるが、案内は奏たちが行っている。
 招待客はアールヌーベルヴァーグ展に出品している美術家たちだ。日本画家、洋画家、書家、彫刻家、工芸作家、写真家と多種多様だ。彼らは受け付けを済ませてからも、席につくまで時間がかかった。半数以上が初対面なので、遠慮し合ったり、面識のある人を見つけて話し込んだりして、場の空気を探っている。一度席についた後にも、知り合いや著名人を見つけて、挨拶に立つ人が少なくない。
 特に奏はひっきりなしに声をかけられている。もしくは会場の隅から、自分が来ていることを奏に気づかせようという、わざとらしい視線を浴びせられている。
 会場で名前を呼ばれるたびに奏は、もう戻れないところまで来ているのかも知れないと、目の前が暗くなった。しかし、あと数日でこの仕事から足を洗うのだから大丈夫。そう心の中で言い聞かせながら、不安の中で笑顔をつくり続けていた。
「ねえ、あなたが棚絵さん?」
 いいえ、違います。そう答えたい衝動を抑えながら、奏は笑顔を張り付ける。声をかけてきたのは、50代の活発そうな痩せた女性だった。ベビーピンクの、ラメのドレスをまとっている。奏は視界の端で相手の胸元の名札をチラリと見ると、少し大げさに反応した。
「まあ、森井先生! 本日はありがとうございます」
 先生。そう呼ばれた女性は、さも満足げに微笑む。
「普段は電話だけだから、なんだか不思議な感じよね」
 担当の営業社員とじっくり話すことで緊張をほぐしたいという欲求が、招待客の過半数から奏に向けられている。真美術出版舎ではこういったイベントの場を除き、一顧客に対して1人の社員が営業からアフターフォローまで担当しているためだ。安心したいと言えば聞こえはいいが、招待客たちはあわよくば普段の営業電話と同じように、誉められたくてウズウズしている。
 奏は受け答えを約8秒と決めていた。作業の邪魔にならず、相手もそれなりに、忙しい奏を独占したという優越感を得られる時間を、社内でシミュレーションを行って何度も測った。その平均がこの数字だ。相手の話は聞かず、ただ笑顔で頷く。腹の中でゆっくりと8まで数えてから、こう切り出した。
「ところで先生、お席はもうお決めになりましたか?」
 返ってくる答えは人それぞれだ。それが何であれ奏は2秒ほど聞くと、右手で誘導しながら一緒に移動する。
 その美術家を適当な席まで案内し、先に座っている美術家に紹介する。手掛けているジャンルが違ったとしても、彼らには表現という共通点がある。奏は2秒ほどその場に留まって会話を繋ぐと、席を離れた。その際に添える言葉は4つのパターンを用意していた。
「またのちほどお話を聞かせてください」
「どうぞごゆっくりお楽しみください」
「主役の先生(あなた)もいらしたことですし、そろそろ始めます。少しだけお待ちください」
「あ! ちょっと失礼いたします。慌ただしくてすみません」
 電話営業をしたときの内容を懸命に思い出しながら、相手によって使い分けた。
 全員に対してそれぞれを特別扱いしながら、周囲からはそう見えないように。
 奏はただでさえ人が大勢いて四方八方で会話が飛び交う場が苦手なのに、今日はほぼ全員と接しなければならない。神経が張りつめて、首の後ろから肩甲骨にかけての筋肉がギリギリと痛んだ。緊張から時おり頭の中が真白くなりそうだったが、一方で心は冷え冷えとして、すべてが他人事のようだ。
40万円、40万円、40万円。
 奏は腹の中で繰り返しながら、顔面に笑みを張り付けた。そして先の4種類の言葉を注意深く選びながら提供する。もっと自分だけにかまってほしい人にも、安くはない参加費を払ったという意識が不満の引き金になりそうな人にも。「賞」だの「特別」だのと煽てられて来たものの、自分は大勢の中の1人でしかないとわかって不安になりかけている人にも。また、自分が背中を見せることで育てている新人、あるいは孫のようにかわいい営業担当者の顔を立てる意味で参加しただけだと責任転嫁している人にも、この言葉は対応できる。
 この懇親会費は、展覧会への出品とセットで10万円。まだ参加者は知らないが、1週間後には彼らに対して記念画集への掲載を1ページ30万円で売る手はずが整っている。10万円が40万円に育つかどうかは、今日の満足度が左右するといっても過言ではない。
 多かれ少なかれ、人は誰もが顕示欲を持っていて、その傾向はおおまかに4種類に分けられる。奏たちはそれぞれに対して、相手の存在を認めて肯定し、自分は人として大切にされていて、世間的にも芸術家として特別な存在だという実感、つまり相手の「自己重要感」を売っている。

 開場から15分ほどで、ようやく全員が席についた。奏たちは配膳係りの人と一緒に、全員のグラスに乾杯用のスパークリングワインを注いだ。アルコールが飲めない人にはソーダか炭酸アップルジュースから選んでもらい、飲めるくせに遠慮している人には、できるだけスパークリングワインを勧めた。
「貴重なパーティですので、できましたら。みなさんも召し上がっていらっしゃいますよ。是非」
 この台詞は、相手のプライドをくすぐりながら集団行動を乱す行いを抑止するために、黒澤と奏が考えた。事前の打ち合わせで、社員だけでなく配膳係りの人にも言ってもらうことにした。最後に「是非」を付けさえすれば、それ以外のキーワードは、どの順番でもいい。奏は相手によって「貴重」を「公式」と言いかえた。
 黒澤は会場を見回すと、マイクに向かった。フレームの細い眼鏡をかけた30歳そこそこの男だ。ふっくらとした童顔なので、どこかスーツに着られている印象がある。一見しただけでは社長だとわからないだろう。
「本日はお忙しいところ、真美術出版舎主宰、アールヌーベルヴァーグ展~燦~のレセプションパーティにご参列をいただき、誠にありがとうございます。本日は、世界的に著名な美術家の方々や、新進気鋭の作家の方々、50名ほどにお越しいただいております。また、評論家の佐藤正先生、岸田真一先生にもお越しいただいております。真の価値を提言していらっしゃるお二方ですので、お集まりいただいた作家先生の中にも、すでにお作品を介して感性の交流をしておられる方が、少なくないかと存じます。本日は是非、豊かな時間をお過ごしいただければ幸いです。それでは洋画家の佐伯利通(さえき・としみち)先生に乾杯をしていただきましょう。みなさん拍手でお迎えください。佐伯先生、よろしくお願いいたします」
 マイクと客席の中ほどに立っている奏に、黒澤が目で合図をする。奏が右手で促すと、最前列のテーブルから、白いハットを斜めにかぶった60代前半の男性が、さっそうと歩み出る。背筋がまっすぐに伸びて、ブルーのピンストライプのスーツを上品に着こなしている。場馴れしているのだろう。緊張している奏とは違い、佐伯は身のこなしが自然だ。
 スタンドマイク横の小さなテーブルには、シャンパングラスが用意してある。佐伯の移動に合わせて、真美術出版舎の浜元桔(はまもときっ)平(ぺい)が、ボトルの栓を抜く。
 マイクの前に立つと、佐伯は笑顔で言った。
「只今ご紹介に預かりました、佐伯です。なぜか僕は、こういった席でよく乾杯の音頭をとるように言われます。先日、迎賓館で行われた授賞式でもそうでした。こういった場に居合わせるアーティストというのは、限られていますから、本日も他のパーティで頻繁にお見かけする方が少なくありません。まあ、僕のことはいったん置いておくとして、才気あふれるアーティストが一堂に会する場というのは、それ自体が最高の美術作品であると僕は思います。そして、先ほどまでの雨とはうってかわって、この場を照らす輝かしい光はどうでしょう。いみじくも今回は『燦』ということで、まるで美の女神の愛が燦々と降り注がれているようではありませんか」
 奏が何気なく窓の外を見ると、庭園の樹の葉先に残っている水粒が、キラキラと輝いている。手元に視線を戻すと、グラスの中の気泡も、光を拡散させながら、奏の手元でパチリ、弾けて消える。
――いけない。
 日常生活を送る上でも、視界の端に何気なく宿っている美しさに気づくと、その瞬間に心が無防備になって隙ができる。奏は周囲に気づかれないように手の甲をつねった。
 佐伯の挨拶は続いている。
「また、本日も国際的にご活躍されているアーティストの方々がたくさんいらっしゃいますね。実は、僕は今度フランスのさる評論家の推薦である賞を受けることになっています。聞くところによると今日ここにいる中からも数名、受賞することが決まっているようです。そこで本日は、フランス語で乾杯の音頭をとらせていただきます。みなさんもご一緒に、ア・ヴォートル・サンテと天に向かって乾杯いたしましょう。では、ア・ヴォートル・サンテ!」
 奏は適当に口を開けながらグラスを少し上げた。申し訳ないが、大勢が一丸となって声を上げる場面が気恥ずかしくて苦手だ。乾杯の声はバラバラだったが、笑い声が起こった。佐伯も満足そうに笑っている。奏は素直に「みんな楽しそうでよかった」と思うと同時に、「この役を佐伯に満足してもらえているようで、よかった」とも安堵する。佐伯はこの役を40万円で買っているのだ。
 5分ほどたってから、黒澤がマイクで自由に席を立つように勧めた。しばらくすると佐伯が席を立ち、会場をゆっくりと歩き回る。奏は佐伯に声をかける。
「先生。ありがとうございます。やっぱり佐伯先生のような方に乾杯をしていただくと、場の輝きがグッと増しますね」
「いやいや、ただの年の功だよ。それと、こういうパーティでも日本人は決まった席にジッとしてなかなか動かないから、僕が先陣を切って動いてあげないといけないと思って、こうしてウロウロしているわけ」
 奏に、横から女性が無言ですり寄ってくる。化粧気のない40歳前後と見受けられる女性。長い黒髪を中央で分け、足首まであるブルーの絞り染めのコットンワンピースを着ている。左の肩に、大きなブルーの花のコサージュを飾っている。
 かわいい! 奏の心はそう感じたが、素直に言葉を発するのはためらった。いつからだろう? 人前でする発言を厳選し、頷くポイントや表情に気を張り巡らせるようになったのは。それはすべて、足元をすくわれないための警戒心によるものだ。一方で、いつまで奏の心は、素敵だと感じるものに無防備に反応してしまうのだろうか。無邪気な感性など、この道を歩く上で邪魔でしかない。
 奏は先ほどと同じように、相手の胸元のネームプレートを横目で確認すると、大袈裟な声を上げた。
「まあ、中園先生!」
 そう呼ばれて中園万里子(なかぞのまりこ)は、奏の顔を照れくさそうに見上げる。
「あなたが棚絵さん?」
「はい、さようです。初めまして、とご挨拶するのもおかしな感じがいたしますね。いつも先生にはお世話になりまして、ありがとうございます」
「いえ、こちらが勉強になることも多いので助かっていますよ。こう言っては失礼だけど、棚絵さんはお若いのにしっかり情報をもっていらっしゃいますよね。海外の美術団体のことだとか、日本の美術界の状況だとか。いつもお話していて感心しているんです」
「そんな、恐れ入ります」
「この仕事は、どのくらいしていらっしゃるんですか」
「まだ3年ほどです」
 奏は咄嗟に嘘をつく。正直に1年半にも満たないと言えば、これまで専門家の一員然として騙ってきた営業文句に説得力がなくなるだろう。さらに言えば、奏は専門的に美術を勉強したことがなく、趣味で何度か美術館を見て回った程度の素人だ。それにしては、奏は中園に対して、これが海外の美術団体の見解だと断言することが多く、彼女から引っ張り出した金額は大きすぎる。
 中園は具体的な情報を聞き出そうと、踏み込んでくる。
「大学でも専門的にお勉強されたのでしょう?」
「そうは言いましても、周りから振り落とされないように、必死に齧りついていた程度です」
「大学はどちらへ?」
 奏は照れ笑いをしてみせた。素性に関する具体的な質問はされたくない。顔と名前を憶えられるだけでも嫌なのに。
「教育に対しては、両親にずいぶん力を入れてもらいました、というお答えだけでよろしゅうございますか」
 照れ笑いが通じなかったら、少し真剣な表情でこう言うつもりだった。
団体に所属している年数でも権力者とのコネクションの有無でもなく、作品に宿っている精神性だけが評価されるべき芸術の前に、出身大学の名前は重要ですか?
「なるほど」
「でも、あんなに一生懸命勉強したことが先入観につながり、美に対する目を曇らせてしまっていたと理解したときは、衝撃でした。両親には申し訳ないのですが、私にとっては、数年間学んだことよりも、世界的な評論家の方々との勉強会で得た学びや、中園先生のお作品から教わった芸術性のほうが真の価値を持つと理解できている、今の自分を誇りに思っております」
 中園は納得こそしていないだろうが、面と向かって言われる誉め言葉に、にわかに満足したようだ。つと、媚びたような視線を佐伯に向ける。奏は中園を佐伯に紹介した。
 それから1分もたたずに奏は、別の作家に話しかけられる。今度は40代の男性作家だ。同じようなやり取りをして、奏は頃合いを見ながら、その男性作家を佐伯に紹介する。
 奏に声をかけているからと言って、みんな会話し続けることが目的ではない。普段電話し慣れている奏に著名人とのクッションになってほしいのだ。受け付けを済ませた後に、奏が席に案内する必要があったのと同じだ。全員に対してそれぞれを特別扱いしながら、周囲からは決してそう見えないように、淡々と作業をこなす。
「評論家の佐藤先生とはもうお話しになりましたか? 岸田先生とはいかがです?」
 紹介先は佐伯や黒澤のこともあったが、たいていは2人の評論家に矛先を向けた。評論家の2人には、この分の謝礼を10万円ずつ支払っている。奏の顔面には笑みが張り付いていたが、背中にはグッショリと汗をかいていた。

 遠くの席で拍手が起こる。
 振り向くと、佐伯が音頭をとっていた。おおかた輪の中の誰かが他社で「賞」を買い、それを聞いて祝ってでもいるのだろう。
――この人の幸せにつながる仕事をしよう。
 先日、帰宅途中の電車内で見て以来、あの吊り広告の言葉が何度も目の前を過ぎる。
 もう少し。あと少しで、この世界から足を洗える。
深く息を吸い込みながら、奏は自分に言い聞かせた。奏の意識は徐々に、拍手の音に集中していく。(続く)

著者略歴
本間文子(ほんま あやこ)
宮城県生まれ。出版社の宣伝部、書籍や雑誌の編集部勤務を経て、現在フリーランスのライター・編集者としても活動。2002年に「ボディロック?」で第10回ストリートノベル大賞を受賞し、リトルモアからデビュー。著書に『ボディロック‼︎‼︎‼︎!︎』(リトルモア)、『ラフ』(エンターブレイン/現:KADOKAWA)がある。2020年4月に新刊出版予定。
本間さんから読者へのメッセージ
昔、転職先を探していたときに、自費出版系の出版社の求人広告を見たことがあります。のちに一部の自費出版やセミナービジネスではどのような営業が行われるかを知り、私自身や母も似たような営業に騙されてしまったことがあると気付きました。こういった経験から興味がわき、騙されやすい人にはどういったタイプが多いのか、人はどういった営業トークに釣られてしまうのかを調べているうちに、この物語の構想につながっていきました。ひさしぶりのオリジナル書下ろし小説となる本作は、日々プレッシャーと闘いながら仕事をしている人や、周囲の人たちから浮いて、心を矯正されそうになっているあなたに読んでほしいと、心から願っています。

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