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明治ゆるふわストヲリイ◆明治の世を吹き荒れる兎旋風(・×・)編

近頃世間でブームを巻き起こしている動物は猫だそうです。
SNSで愛猫の写真や動画を投稿すれば沢山のいいねがつき、メディアも猫特集を作り、妖怪になっては人気を博し、猫も駅長を務めねばならないというという猫ブームっぷりです。

この猫ブームによる経済効果も大きく「ネコノミクス」という言葉まで生まれてしまったそうです。

さて動物のブームはいつの時代もあるものですが、かつて明治時代にも動物ブームがおき、あまりのブームの過熱っぷりについには府からその動物に対して課税される程の旋風をまきおこした動物がいました。

その動物とは…

明治の世間を揺るがした程の動物、兎。
今回はこの兎ブームの話をご紹介していきましょう。

●兎の値段、兎の値段、何見て跳ねあがる?

1872年(明治5年)の新聞にこんな記事があります。

ちなみに明治6年頃では1円あれば約三カ月分の玄米を買えたという時代。そう考えると兎に600円ってのはかなり頭のおかしい金額です。ついこの間の江戸時代まで食用として食卓に上がっていた動物とは思えません。

そもそもの始まりがこの頃「やれ俺の兎は珍しい柄だとか、やれ私の兎は○○産のすばらしいやつだ」とかいって自分の持っている兎の優劣を争うことが流行した事です。

この兎の優劣を競いあうバトルを「兎会」と呼び、これが待合茶屋で行われていたものだから次第にその戸外で兎を売る店が登場するのは必然です。兎商売はどんどん盛り上がります。

さあ、このブームを捨て置かないのはいつの時代も商人…特にあくどいやり方で商売をする人。
売り場を通さず直接売るのを生業にしている「外商」と呼ばれる人々は毛色の変わった兎1万5千羽を外国から輸入して悪徳商人と結託。値段を吊り上げてしまいます。

外国から輸入した兎は日本では見ない毛色のものもあり、特に耳が長く浅黄更紗毛で目が大きく人のいう事をよくきく兎もあるというものだからもう大変。娘を売ってでも買いたいとかいう血迷った人まで現れてしまうほど、兎ブームは加熱します。

もはやこういったバブルあるあるですが、一攫千金を狙って兎事業に手をだしたものの、失敗して全財産を失う人も多くいました。また、本来白の毛を持つ兎に色を塗って高額で売りつけるという詐欺も登場していきます。

明治6年2月の新聞には白い兎を柿渋で染めて販売し2円で売っていたのが発覚し、2円の罰金、杖打ち60回、懲役60日に処されたというのです。結構厳しいです。

そんなこんなで加速する兎ブーム、ついには事件までおきてしまいます!

●兎騒動殺人事件

というわけで、殺人事件がおきてしまいました。
1873年(明治6年)4月の新聞によれば、ある男が父親を縁側から庭に突き飛ばした際に打ちどころが悪く亡くなり、男は牢に入れられたとあります。そう、きっかけは兎です。

男が飼っている兎1羽を150円で買いたいと言ってきた人がいた為、売ろうとしていたところ、父親が欲をだして200円でないと売れないと断ったのです。

ところが運悪く、その夜兎は死んでしまいます。なんというタイミングの悪さ。当然親子喧嘩が始まるのはいうまでもありません。そうして揉み合いの喧嘩は、悲劇を生んでしまったのです。

このように、悪徳業者や破産者に加え殺人までおきてしまう始末。さあ、兎ブームはどのように収拾するのでしょうか。

●鎮まりたまえ!さぞかし名のある兎ブームと見受けたがなぜそのように荒ぶるのか!?

兎事業に手をだして見事に破産する人や詐欺が横行している現状に「これはアカン」と思った東京府も1873年(明治6年)1月には兎会を禁止していました。が、兎会を禁止したところでブームが沈静化するはずがありません

ついには同年12月に兎1羽につき毎日1円という高率の税金が課せられた上に、届けのない飼育を行っている者には1羽につき2円の過怠金を課すると発表します。とんでもない値段です。
先にも書きましたが1円あれば約三カ月分の玄米を買えるという時代に、1羽につき毎日1円の課税なんてのはもう大変なことです。

この布令がおきてから、兎たちの末路は散々なものです。
お店には当たり前のように並んでいた兎はこつぜんと姿をくらまし、課税に驚いて兎を打ち殺すものや川に棄ててしまうもの、床下に隠してしまうものもいれば、田舎へ走って事の次第をよく分かっていない田舎者を騙して売りつけるものもでてきました。

バブルが終わる先の末路といえばそうですが、兎にとってはあんまりな扱いです。

当時の新聞でも

ただ可憐は昨日数万金の声価を保ちて美麗なるかごに入り、今日忽ち打殺流棄の惨を蒙る、兎の心果して如何ぞや「新聞雑誌」

ざっくり現代訳すると「昨日は数万金の価値を持ち、華やかなかごに入っていたのに、今日では打ち殺されたり棄てられたりする惨状に兎はいったいどんな気持ちなのだろうか」といった内容が書かれています。

ちなみにこの兎を手放すのに奔走している人たちを後目に、兎を買い占めていた人物もいたようです。

その買い取った兎は近県に運び出し、毛皮を剥がして帽子や襟巻に、肉はしめこ鍋(うさぎ肉の鍋)にされて東京の大通りに屋台がずらりと並んだといいます。いっそ清々しいほどの商魂の逞しさを感じます。

こうして兎ブームは、課税により沈静化したのでした。

●タラッタラッタラッタうさぎのダンス、その後

この税でパタリと兎ブームが終わっていたかというとそういう訳でもありません
明治9年に東京府はさらに兎規制を強化しているからです。つまり、少なくともこの頃までは投機目的で兎を飼育・売買をする人がいたというのが分かりますね。この規制強化が行われてはじめて、飼育者が減ったようです。

その後、1879年(明治12年)にうさぎ税は廃止されました。廃止直後は兎ブーム再熱なるか、という兆しもあったようですが結局は衰退していき兎ブームは幕を閉じたのでした。

さて、余談ではありますがこの兎ブームに踊らされていたのは下々の人間だけではなかったようです。
なんのことかという感じですが、当時東京府で一番兎を持っているのは華族の土井さんで、数百金の価値のあるものを数百羽持っていたとか。
つまり、投機目的で兎を大量に所有していたのは下の身分や商人だけでなく貴族の方々にも及んでいたということですね。兎ブーム、かなり波及していた事が伺えます。

それにしても、業者でもないのに数百羽の兎を飼育ってどうやっていたのやら…

●古きを知り、何でもブームになりえるを知る

如何でしたか?明治時代に巻き起こった兎ブームをご紹介させていただきました。
言ってしまえば経済でいうところのバブルとその崩壊なのですが、対象が兎というのが面白い


動物繋がりでいえばこの頃のモルモットは当時の値段で850円の価値があったそう。今では医学の実験台の代名詞となってしまったこの動物も、当時はイタリアから輸入されたばかりで珍しく、とても価値がある愛玩動物だったようです。

しかしいつの世も何がブームになるのか分からないものです。平成も終わりに近づいた現代でも、もしかしたらみんながまさか!と思えるブームはやってくるかもしれません。

それでは今回の兎旋風、ここに終幕!


◆参考文献◆「幕末明治風俗逸話事典(紀田順一郎・著)/東京堂出版」「図説幕末明治流行事典(湯本豪一・著)/柏書房株式会社」

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