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書評:「人は、なぜ他人を許せないのか?」

留学生活中に抱いていた考え、悩み、モヤモヤをずっと日本に帰ったら本を読むことで少しでもヒントを得たいと思い続けていた。

留学生活中にたとえ時間がかかったとしても課題以外の興味のある洋書を読んでみればよかったな、と思うが、私はそんな器用な人間ではなかった。後悔先に立たず。笑

なので、この自粛期間中はひたすらに本を読んでいる。

しかしただ本を読んでも、アウトプットを意識した読み方でないと自分の血肉にならん!読書した意味!と思い、今日からできる限りnoteに書き留めてみることにした。


今日は、中野信子著「人は、なぜ他人を許せないのか?」について書評する。

私が大尊敬する脳科学者・中野信子氏の著書だ。

留学中に気づいたことだが、私は人の感情や直感に基づいた判断よりも、客観的根拠や分析に基づいた判断を好む傾向にある(だからこそ、前者を大事にすべき場面でできない不器用さもある)。

だから、中野氏の脳科学から読み解く人間学に魅了されるのだろう。

中野氏の鋭い分析から、「あれ、これ私…?」とドキっとさせられることも多い。本と向き合う時、そういうことは往々にして起こりうるものと知っていても、いつも動揺させられる。笑

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◎人はなぜ「正義中毒」にいとも容易く陥ってしまうのか?

人は、他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出される。

そしてこの快楽のループにハマってしまうと抜け出すことが難しくなり、常に罰する対象を探し続け、他人を許せないようになってしまう。

その一時的な快楽は長続きしないし、他人を許せないことは本当に苦しいし幸せとは決して言えない。

しかし近年、SNSにおいてその「正義中毒」の傾向が顕著になってきたという。

例えば、東出の不倫の報道を引き合いに出してみる。よく考えれば全くの赤の他人である不特定多数の人たちが「イメージと違うじゃないか」「杏ちゃんの気持ち考えろ」といった言葉を執拗にインターネット上で書き込むのもその1つと言えるだろう。直接的に何の利害もないのに。

攻撃対象となる相手の顔が普段見えないSNSが人間の「許せない」という感情を容易に可視化したと言えるが、それは「誰かを許さないことで自分を肯定したい、自分の正当性を認めてもらいたい」という欲求の裏返しとも言える。


「なんとまあ、卑屈な」と思うと同時に、「あれ、自分もそういう部分あったな…」と顧みることになった。

恥ずかしさもあるけど、ここで気づけて良かったと心から思う。


人間はチンパンジーと脳の構成が98%同質だという研究結果が出ている。しかし、人間は残りの2%で大脳を発達させ、チンパンジーと同じ行動をする脳の周りに大脳新皮質という思考を司る器官を増設した。

その大脳新皮質が人間の繁栄と生存の発展に大きく寄与したことは言わずもがなだが、それと引き換えに「なぜ生きるのか」といった厄介な悩みまで持つようになったのだ。

つまり、人間には知性があるからこそ愚かさがあり、愚かさのない知性など存在しないという裏表の関係が成立するといえるだろう。


私はここで先人たちの言葉を思い出した。

サルトルの「実存は本質に先立つ」という言葉や、スティーブ・ジョブズの「You can't connect the dots forwards. You can only connect them backwards.」という言葉。

どちらも超有名だが、人間の「なぜ生きるのか」というふとした瞬間の疑問に「そっか、そうやったわ。今頑張ろう」という気づきと勇気をもたらしてくれる、力のある言葉。好きだ。

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◎日本社会の特殊性と「正義」 ~フランス社会のそれとの比較~

<日本>

〇特徴

・個人の意見よりも集団の和の維持を優先とする傾向が強い

・集団の上位にいる人の教えや命令に従順な人が重用されやすい

・主張と人格を切り離すのが苦手で、人格攻撃に容易につながりがち

〇背景

①自然災害の多さ

台風の多さもそうだが、地震の多発度については同じ島国であるイギリスとの大きな違いがある。このように自然災害の多い環境の中で不測の事態に予め準備をしっかりと行う人たちが日本で生き残ったと考えられる。

②国内又は集団内における支配権争い

他国との戦いよりも国内での戦いが多かった。

➡日本ではこのやり方が生き残り、子孫を残すには適応的だったのだ。現代のグローバルな基準では「優秀だが愚か」と見られるかもしれないが、「日本はダメ」と断定すること=「正義中毒」に陥ることとなる。

➡しかしそういった文化の負の側面として、異質性の排除、他集団への攻撃性が挙げられる。

<フランス>

〇特徴

・ディスカッションがもはや会話の基盤

・議論できない人ほどむしろバカにされやすい

・主張と人格を切り離して考える方が相対的に多い

〇背景

①常に他国と国境を隣接してきたこと

自国を守るために常に外敵や異民族の侵入/支配を防ぐために戦っていた。


歴史がこうだからといって、フランスが日本みたいな文化に今後ならないとは断言できない。結局「愚かさ」の定義は可変性を孕むのだ。基準の中央値が異なり始める時に、その前まで「外れ者」とされてた者がマジョリティとなることもありうるのだ。だからこそ、「多様性」が集団の維持には効果的なのだ。


ここで日本社会の対人関係の悩みの種の原因のひとつとして、「同質性」を指摘し、分かりやすく解説してくれている本もここで紹介する。


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◎ではなぜ人は人を許せないのか?

本来、人の脳は対立するようにできている。そして自分の所属する集団以外を受け入れられず攻撃するようにできている。

このような正義中毒のエクスタシーは、実は誰にでも起こりうるのだ。

例えば、虐待のニュースを見た時。「こんなことをするなんて本当に親なのかしら」「ありえない」「地域や学校は何をしてたのか」といった様々な思いが去来する。

しかしこれは、出来事に無関係が故に絶対的な正義を確保しているにすぎないのだ。

実際、その虐待を行った親が地域の方々との関係も希薄化している社会の中でシングルマザーとなり、経済的にも苦しく、誰にもSOSをあげれていない状況だったら?(だからといって虐待していいという話ではないが)

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◎「正義中毒」から自分を守るために

そのカギは「前頭前野」にあった!!

・自分が正義中毒状態になっているかどうかを、まず自分で把握する。

・過去の成功体験に固執しない(これに固執すること=脳の衰えのサイン)

・日常的に合理的思考、客観的思考をクセにしてみる。つまりは「メタ認知

➡メタ認知能力の育成には、前頭前野の発達が完成に近づく30歳までの良い出会いがカギとなる。メタ認知ができる人との出会いは大きなメリットがある。

➡自分にも他人にも「一貫性」を求めない。そもそも人間そのものが矛盾やアンビバレントを共存させる生き物なのだから。

➡対立ではなく並列、共存で考える。自分と違うモノ・人などを、一度受け止めて包み込んでみる。

➡結局人間は永遠に不完全で永遠に完成しないという事実を認めること。

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この本でなぜ今まで自分が人を許せない気持ちを抱くことがあったのか、少しばかりスッキリした。

ただ「批判したのは私ではない、私の脳の所為」といったことは屁理屈でしかない。脳は私の一部なのだから。

しかしだからこそ、人間は脳をある程度コントロールすることが可能なのだ。

自分の状況を俯瞰したい時に改めてこの本を読むことで脳の仕組みを理解し、メタ認知を心掛けたいものだ。

客観的に観るということに慣れていない場合、訓練が必要となる。その時にストレスが生じ、「もう!」ってなるのは、前頭前野の活動には限りがあるからだ。

最後に、私が留学中よく救われていたストレスに対する認知についてのTED Talkをシェアしたい。

ストレスは人間をより社交的にし、レジリエンスを創ってくれる。この言葉で留学期間中、頑張ろうといつも思えた。


最後の方の書評が大分適当になってしまった、次はもうちょっと丁寧に頑張りたい。

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