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狩野派は芸術家?

流派は英語で“school”

根津美術館の『狩野派と土佐派』展に行ってきました。

狩野派と言えば,金屏風に獅子。ゴージャス。

まず目に入ったのは,展覧会名である『狩野派と土佐派』の英訳。

『Kanō School and Tosa School』

school?と思って調べてみたところ,確かに辞書に載っていました。

「(哲学や芸術などの)流派」

「school」の語源は,古代ギリシア語のscholaに由来。
学びのための余暇時間。学会話・議論。教師と生徒の出会い。などなど。


狩野派は芸術家か?

芸術家というと,どんな人をイメージするでしょうか。

孤独で,貧乏で,それでも自分のうちにある思いや考えを音楽なり,絵画なり,彫刻なりで表現していく,いや表現しなくては生きていけない人々。何か新しいものを創造していく人々。

それと対比して,現代の“school”は,集団や組織を前提とした既成の枠組や概念の再現を追求していくシステムのような気がしますよね。

“school”と芸術家。なんかマッチしないと不思議に感じたあっぷるは,「狩野派」という人たちをもっと知りたい!と思い,少し調べてみることにしました。

★★★

『狩野派』
室町時代に始まり、時の権力者,有力者と密接に関係を持ち,保護を受け,江戸時代まで約400年に渡り,画壇に君臨し続けた日本絵画史上最大の画家集団。

この発展の道筋がなかなか面白い。

 室町時代
→ ①正信(1434? - 1530 初代)
  ②元信(1476 - 1559 2代目 正信の子)
   仕えた人:足利氏,細川氏

 安土桃山時代
→ ③永徳(1543 - 1590 天才 元信の孫) 
   仕えた人:織田信長,豊臣秀吉

 江戸時代初期
→ ④探幽(1602 - 1674 永徳の孫)
   仕えた人:徳川家

→ 徳川幕府の安定・保守化とパラレルに伝統踏襲・没個性化 
  先祖伝来の粉本を作ってマニュアル化。大量受注・大量生産を可能にする職業集団へ
  全国拡大,高度に組織化

→ 徳川幕府とともに終焉

江戸時代にも名を残した狩野派の画家さんはいるのですが,どうも狩野派という流派は,①正信の築いた礎に②元信が手法を確立し,③永徳という天才が登場して芸術性を発展させ,さらに④探幽が地位を不動のものにした,という感じ。

もちろん芸術的に大変優れていたということは前提なのでしょうけれど,絵を描いていさえすれば満足というわけではなく,常に権力者に取り入り,画壇という天下を取ろうとした。

世の趨勢を機敏に察知し,権力者の心をつかむ政治的才覚。
プロダクトの品質を標準化し,大量生産するために組織化する実業家的才覚。
そういう複数の要素が奇跡的に組み合わさって起こらないとこういう長期のサクセスストーリーはなかなか起きないでしょう。

だって400年て,徳川幕府よりも長い。
長期政権を築いたガチの政治家といえば,徳川家康って感じですが,それよりも実はすごいんじゃないの?って感じです。

特に興味を引くのが,江戸時代初期で画壇における地位をガチホした後の約200年間。
ただひたすら保守化し,強固に組織化したというところ。

先祖の築いた技術をひたすら再現し続けるための集団と化した。
つまり,先祖が築いた既得権益を守り続けることによって,甘い汁を吸い続けたということ。

逆に,江戸時代以降,狩野派は芸術的創造性を失ったともいわれており,革新的なニューウェーブは出てこないわけです。

もちろん時の権力者というものは天下を取ったら保守化して態勢を強化していくものだし,宗教や学問なんかにも同じ傾向は見られますよね。
でも,芸術の分野ではどうなのでしょう?

例えば,イタリアのメディチ家はボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ,ハプスブルク家はデューラー,ティツィアーノ、ベラスケス、ルーベンスなどを宮廷画家として抱えた庇護した。

彼らは,才能あふれる芸術家という“個人”を庇護したわけですが,『この家に決めた!』みたいに特定の集団だけを専属的・排他的に重用し続けたということはしていない。

今の時代でも,例えば歌舞伎なんかは家柄で伝統を継承していくタイプの芸術として浮かんできますが,もちろん近代民主的なこのご時世においては,時の権力者が『舞台といえば歌舞伎だ!』とか『〇〇家しかだめだぞ!』と言ったりはしないわけです。

そうすると,約200年にも渡り,時の権力の心をガチホし続け,中央だけでなく,地方にもその威勢を拡大し,高い品質のプロダクトを集団で生産し続けた狩野派の特異さが浮き上がってきます。

芸術家というより,むしろ老舗大企業とか官僚組織に近い。

出自だけではすべてが決まらない世界に生まれて

もし,自分が江戸時代に生まれていたら,どうだったでしょう。

江戸時代は,徳川家康の政治戦略のおかげで(?),非常に安定した平和な社会となりました。
身分制度が社会インフラの基礎にあり,武士の家に生まれれば一生武士,農民の家に生まれれれば一生農民,商人の家に生まれれば一生商人。

狩野派の組織構造を知ると,芸術家にあってもきっとそれは同じだったのではないかと想像します。

才能がなくても狩野派の中心に生まれれば,絵画が生業となる。画壇の権威とされる。

才能があっても狩野派に生まれなければ,画壇に食い込むことは困難。
そもそも貧しい地方の農民の家に生まれれば,一生かけても芸術に触れること自体できないでしょう。

日頃,日常の様々なことに追われて,近いところしか見えていないと,

「もう〇〇才だから。」
「恵まれた才能がないから。」
「家族に理解がないから。」
「上司が無能だから。」

などの理由で,自分がとっても恵まれていないなぁと感じてしまうことがあります。

でも,江戸時代の人々が,今のこの日本の状況を知ったらどう感じるかと想像力を働かせると,全く違った感覚を持つことができます。

関所なんてなくどこへでも行ける。
行けるのは国内だけじゃなくて,海外も大体OK。日本のパスポート最強。
地方に生まれても,東京に生まれても,都会でサラリーマンとして働いてもいいし,農家になってもいい。途中で変えたっていい。
作品を作ったら,インターネットで世界に(しかも瞬時に!)公開できて,色々な人に見てもらえる。

もちろん親や時期を選んで生まれることはできないし,文化的だったり経済的だったり様々な制約はあるわけですが,江戸時代のそれに比べれば,きっと超へっちゃらでしょう。

自分の意思次第で,相当程度なんでもできる,本当に自由ないい世の中なんだなぁと,今我々の生きる世界を捉え直すことができたそんな狩野派との出会いでした。

ではでは。

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