「優秀な人材」?

日本企業の建前でよくわからないのが
「優秀な人材」という表現
これはまず、「自分が」扱える、「自分が」優秀に思える範囲の人間ってことだから
自分が理解できないほどとびっきり優秀な人間ではあり得ない

社会学者小熊英二の指摘によると
日本では「人」に職務を当てはめていくので
選考基準は「人柄」になる

ガイドラインができて聞けなくなっただけで
女子学生に「実家か下宿か?」聞かれてた頃と
頭ん中は変わってないんじゃないの?
本当に聞きたいのは
犯罪歴がないかとか、身内に犯罪者がいないかとか
親や家族とうまくやってるか、だったりしてねぇ……

限られた経歴の均質化された集団の中にいて
果たして人の「能力評価」なんてできるんだろうか?思うんですよ
中途人材は
社会の中で揉まれた分だけその能力は見極めやすいはずなのに

知り合いは
「求人側より求職者の方が優秀な変な時代」
言うてましたが
そのことの真偽はともかく
中年以降になって出会う、大企業のプロパー管理職って
何て世間知らずで薄っぺらなんだ!
よくこれで生きてこれたなぁ
思いますね

理不尽な思いすればするほど
そのギャップについて考えるわけですよ
何でこうなったのか?
どこが悪かったのか?
それは私のせいなのかそうではないのか?
分岐点はどこだったのか?

差異を考えることは、立派な「能力」になりえます

にもかかわらず相手は
考えてないからこうなったんじゃないのー?
思って対岸から眺めている気がしてならないんですよね
「できること」と「できないこと」の認識が
私と彼とでは天と地ほどにも違う

同情されて、仕事をあてがわれるんじゃなくて
反省と恭順の意を示して受け入れられるんじゃなくて
違う経歴と才能と価値をもってここにいるんだと
そう認められ私を活かしてくれる会社に出逢いたいです