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論語に触れてみる

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論語「君子を躬行することは」

文は吾れなお人のごとくなること莫からんや。君子を躬行することは、則ち吾れ未だこれを得ることあらざるなり。

机上の学問は、私も人並みに出来ないことはない。しかし、君子の行ないをみずから実際に行うことは未だに出来ていない。

述而第七 32

論語「知らずして」

蓋し知らずして之を作る者有らん。我は是無きなり。多く聞きて其の善き者を択びて之に従い、多く見て之を識すは、知るの次なり。

思うに、よく知りもせず、新説を立てる者もいるようだが、私はその様な事はしない。多くの事を聞いてその中からよいものを選んで従う、多くの事を見て記憶して参考にする。これが知者への途だろう。

述而第七 27

論語「憤せざれば」

憤せざれば啓せず。悱せざれば発せず。一隅を挙げて、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり。

自分で考えようとする意欲のない者には教えはしない。自分の考えをどう表現してよいか苦しんでいる者でなければ教えはしない。一隅を示せば、あとの三隅を自分で考えるくらいでなければ、二度と教える気にはなれない

述而第七 8 

論語「吾が憂い」

徳の脩まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徒る能わず、不善改むる能わざる、これ吾が憂いなり

徳が修まらないこと、
学問が進まないこと、
正しいことを実行にうつせないこと、
善くない行いを改められないこと、
これが私の憂いである。

述而第七 3

論語「述べて作らず」

述べて作らず、信じて古(いにしえ)を好む。ひそかに我が老彭に比す。

私は古くからの道を伝えているだけで、私が作った新たな説を述べているのではない。古(いにしえ)の道を信じて愛しているだけだ。密かに尊敬する老彭(ろうほう、殷の賢大夫)にあやかりたいと思っている。

述而第七 1

論語「己立たんと欲して」

仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬(たとえ)を取る。仁の方(みち)と謂うべきのみ。

仁者というのは、自分が立ちたいと思えば人を先に立たせ、自分が達したいと思えば人を先に到達させる。人のことを自分のことの様に考える。それが仁の考え方というものだ。

雍也第六 30

論語「人の生くるは」

人の生くるは直し。これを罔(し)いて生くるは、幸にして免ぬがるるなり。

人が生きていられるのは誠実だからだ。それを無視して生きていられるのは、運良く罰を免れているに過ぎない。

雍也第六 17

論語「質、文に勝れば」

質、文に勝れば野。文、質に勝れば史。文質彬彬、然り。君子の後たらん。

どんなに中身が良くても外見が悪ければ粗野な人に見られるし、外見が良くても中身が無ければ、表面を飾るだけで誠実さに欠ける役人と同じだ。中身と外見がほどよく調和してこそ、立派な人物と言える。

雍也第六 16 

論語「誰か能く出ずるに」

誰か能く出ずるに戸に由らざらん。何ぞ斯の道に由ること莫きや。

家に出入りする時は必ず戸口を通るのに、どうして人として行うべき道を通ろうとしないのだろうか。

「仁徳の道」をきちんと通る人はとても少ない

雍也第六 15 

論語「奔りて殿たり」

孟之反、伐らず。奔りて殿たり。将に門に入らんとして、其の馬に策ちて曰く、敢えて後るるに非らざるなり。馬進まざるなり。

孟之反は自分の功を誇らない人だ。敗戦の退却時に、味方を守るため身を呈して殿(しんがり)を務めた。城門にたどり着いた時、馬に鞭打ちながらこう言った。「殿になったのは馬が進まなかったからだ」と。

雍也第六 13

論語「力の足らざる者」

力の足らざる者は、中道にして廃す。
今、女は画(かぎ)れり。

力が足りないかどうかは、力の限り努力してみなければわからない。本当に力が足りなければ途中で倒れるまでのことだ。挑戦する前から、自分の力に見切りをつけてはいけない

雍也第六 10

論語「顔回なる者有り」

顔回なる者有りて、学を好みたり。怒りを遷さず、過ちを弐びせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり。

顔回という者がいて学問を好んでいた。腹の立つことがあっても、怒りをほかの人にぶつけたりはせず、過ちを二度と繰り返すことはなかった。不幸なことに短命であった。今はもうこの世にはいない。今もなお彼ほど学問を好む者を聞いたことがない。

雍也第六 2

論語「一箪の食、一瓢の飲」

賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂に堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。

回(孔子の第一の弟子、顔回のこと)は立派だ。一膳の飯と一椀の汁物、貧しい長屋暮らし。人はその苦しみに堪えられないものだが、回はそんな境遇にあってもただ道を楽しみ、変わることがない。回は立派だ。

雍也第六 9

論語「已んぬるかな」

已んぬるかな。吾未だ能く其の過ちを見て、内に自から訟むる者を見ざるなり。

残念だ。私は今まで、自分の過ちを認めて、自ら反省し、改める者を見たことがない。

公冶長第五 26