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あぁ、人はわからないよどこまでも

昨日、先輩から聞いた一言でイヤな気分になったことを書いた。

書いた翌日に、全く予想外のことが起きた。

私は数日前から自分の仕事の書類がないのではないかと思っていて、昨日改めて探したが、やはりないと判断した。

これはあってはいけないことだが、社内でもたまにある。

ある書類が誰かの引き出しの中に紛れているという事故がたまに発生する。

自分はあまりそういうのはなかったし、他の人に「自分の書類がないんです」というのはイヤだったが、

書類は出てこないと絶対ダメなので、課内に「捜索依頼」のメールを発信した。

要は、私の書類がないので、皆さんの引き出しの中に紛れていませんか?

紛れていないか、ご確認にご協力願います、というメールだ。

書類がなくて、自分の引き出しを探す、課内にメールを発信するというのは、書類があれば、本来やらなくていいことだ。

このくそ忙しい中、自分のミスで本来やらなくていいことをしているが、メールを発信すれば、それを見た人が自分の引き出しを見てくれて、あるかないか教えてくれるだろうと思って、しばらく様子を見ていた。

そしたら例の先輩がそのメールを見た途端、隣の席の私の引き出しを改めて探ってくれたり、私のオンライン上の記録から「普通は〇〇(私)の引き出しから出ていかない書類や…」など分析してくれた。

私は書類がどこに行く可能性があるか、分析までしていなかったので、慌てて相槌を打ちながら、自分も即席の分析をしてみた(即席だから、そんなん見つかるヒントは浮かばない)。

先輩は席を立ちあがって、その日不在のメンバーの引き出しから、私の書類がないか、探してくれた。

そして、数分後

「〇〇、あったよー」

と他の方の引き出しから書類を見つけ出してくれた。

私はその速さと先輩のフットワークの軽さに驚愕して、

昨日の先輩と同じ人を見ているのか?という気持ちになった。

書類は見つからなかったら、社内的に大問題になっていた。

私は自分の引き出しを探して、課内にメールさえ発信していれば、自分の仕事はひと段落したと思っていた。

でも、本来であれば、至急探しに行かないといけない問題だ。

私はいつものように、山のような仕事を片づけることに心が向いてしまっていた。

一方、先輩は書類がなくなったことを自分のことのように捉えて、

一刻も早く探し出さないと、会社的に大問題になると思って、

自らの足で探してくれた。

昨日、先輩にされた発言で寝るまで、気持ちが落ち込んだり、

「もう先輩のことは“そういうやつや”と思っておこう」

などと、めちゃくちゃ悪いように思っていた。

先輩は毎日のようにイヤな発言をされるが、

こういうありがたいところもある。

昨日、私は先輩を“悪いやつ”ととらえて、“悪いやつ”像の先輩として、

心のカメラのシャッターを切っていた。

でも、人間はそういう一面だけで判断はできない。

長年、付き合っていても、「こういう面もあるのか!」と発見したりもする。

人間=無数の多面体

なのである。

それに気づいて、私は「先輩がイヤだ」と思ったとしても、

それが「先輩の全て」と思わないようにしようと思った。

いやもちろん、イヤな所しかない人もいるかもしれない。

でも、人間の性質・性格なんて、自分でもわからないところもあるのに、

他人がわかることなんて、一部分しかないのだ。

そう思うようにしつつ、今回の出来事で浮かび上がった自分の怠惰さを反省しようと思った。

**********おまけ************

昨日、晩ご飯の時、私は野菜ばかり食べていたが、最後に炭水化物を食べたいと、冷蔵庫を開けた。

母が作ってくれたおにぎりがあった。

一人で食べるには大きいなと思いながら、「ブタだから食べられるか」と思って食べようとした。

横にいた息子(3歳)が「いっしょにたべよう」と言ってきたので、

代わりばんこにおにぎりを食べ合った(←コロナ禍では他人とは絶対にしてはいけないこと。家族ともだが…)。

一口ずつ代わりばんこにおにぎりを食べていると、息子は

「おいしいね」

と言っていた。

息子も他の食べ物を食べていて、お腹は満腹になりかけているだろうに、

最後に母と食べ合うおにぎりが嬉しかったのか、

はにかみながら、微笑んで小声で

「おいしいね」と耳元で言ってくれた。

その時の笑顔が嬉しかったので、絵を描いてみた(笑)↓

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私と息子、広い世界の中の、ほんのちっぽけな二人だが、その二人だけで分け合う幸せ。

息子からしたら大したことないかもしれないけど、少し感動してしまった。

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