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芸術は長く、人生は短し

頭の中でずっとぐるぐると考えている。どこから言葉を引っ張ってこればいいのかわからないでいる。「坂本龍一が死んだ」という事実を受け入れられないでいる自分がいて、どこかで生きていてほしいと願っている。この現実を受け入れるのに、この気持ちを整理していくのには時間がかかりそうだ。

私と坂本龍一
私が坂本龍一とYMOの曲を初めて見て、聞いて、知ったのはKIRINのビールのCMだった。CMから流れたRydeenのメロディーと映っているあの陽気で三人組のイケてる親父たち。忘れもしない2007年の私が中学生の時の出来事。あのRYDEENの独特なメロディーとシンセサイザー、ドラム、ベースを軽快に弾きこなすあの三人に私はすぐに魅了された。当時の我が家にはすでに父親の趣味でパソコンがあってすぐにYAHOO!の検索エンジンで調べることができた。そこで出たのが「YMO」で私は「坂本龍一」を知った。

私が中学の時、周りがオレンジレンジ、BUMP OF CHIKEN、アジカンというバンドが好きという中で私だけが「YMO」が好きと言えるはずもなく、ニコニコ動画やYouTubeでひたすらYMOの曲を聞き漁る日々を過ごした。YMOの曲を次々と聞いていると次第に坂本龍一の、高橋幸宏の、細田晴臣の曲、と数珠繋ぎであの三人が手がけた曲を聞きながらそれと同時に坂本龍一の’’教授’’のことをWikiとかで調べて自分の中の情報を増やしていった。あの田舎の街で間違いなく若くしてイケおじの作る数々の音楽の良さに気づいたのは私しかいないだろう。(と、信じたい。)そして母親に叱られながらも和室にあったどこのメーカーかも忘れた大きい四角い箱のデスクトップの中で夜もずっとインターネットを繋いでいた日々を思い出すとあの時の孤独が蘇る。なぜなら中学は楽しくなかったし、誰とでも仲良くはできたけど誰にも本当の私を曝け出してはいなかったと思うからだ。インターネットで検索したワードの数々だけが私が知りたいことで興味があって、好きなことだった。自分の関心があることなんて誰が知りたいと思うのだろうという気持ちは次第に強くなっていった。情報の共有を誰にもせず、自分だけで抱えた。それは宝物のありかを自分だけが知っていて、でも誰にも教えない。教えたくないという傲慢さと偏見とよくわからない思春期特有の意固地があった。そして家族はいつ崩壊してもおかしくなかった。私はよく荒れて何回か家出をした。父親は仕事から帰ってくるとリビングでいつも不機嫌そうに焼酎とビールを飲んでいて母親はいつも仕事が忙しそうだった。妹は真面目で勉強だけはできたけどある日浴室で髪の毛を染めていた。しょっちゅう家で誰かと誰かが喧嘩をしていて「家族」ってなんだろう、私の居場所ってどこなんだろうとよく考えていた。

大学生になってから社会人になった今も私には不眠症が少しある。眠れないときは真っ暗な部屋の中で教授の曲を子守代わりに聞いている。優しいピアノの音と心地の良いリズムはいつしか私を夢の国に連れて行ってくれるから。どんな不眠症の薬よりも効果があるのは間違いない。私にとって安心して眠れて居心地の良い空間を作り出してくれる曲が教授の作った曲にはたくさんある。

2021年の春に戦場のメリークリスマスが有楽町の映画館で上映されることになって見に行った。そこまで座席数の多くないスクリーンで上映されたこともあって満席御礼だった気がする。有楽町で上映が終わった後に新宿でも上映されていてある日、時間があったので確か開演の40分くらい前に行ったらもうチケットがSOLD OUTになっていて私は二回目を見るチャンスを失った。でも、いい。一度でも映画館という立派で大きなスクリーンで教授とデヴィッド・ボウイの演技を見ることができたのだから。その経験を得ただけで「満足」の一言に尽きる。

去年の冬、東京の今の家に住み始めてから近所でお世話になっているカフェ&バーのお店で仲良くなったMちゃんとお店のカウンターでお酒を飲みながら教授の話になった。「教授のライブもYMOのライブも生で見たいけどその前に亡くなりそうだよね。癌だし。」というような会話の内容だった。まさか年明け早々に高橋さんが亡くなって、追うように教授も逝くとは思わなかった。noteで前の記事をパソコンで仕上げている最中にその訃報は突然速報として知らせてきた。速報を見て教授が死んだニュースの記事を読むと胸が締め付けられて雷が落ちたような感覚に陥った。翌日のニュースでは日本だけでなくフランス、韓国、中国でも亡くなったことが報道されているのを見てさすが世界のサカモトと感じた。

教授とYMOの曲を聞いてなかったらどうなっていたんだろう。
聞いていなければ今の私は違った道を歩んでいたのは間違いない。中学の時に誰にも共有することなく自分の中に秘めていた教授とYMOの音楽で育まれていった「個性」は今の私の土台で今の「私」という人を作り上げていくのに欠かせない鉄骨になった。あの頃に聞いていた曲たちは今でもずっと変わらずに聞いていて堂々と周りに「好きな曲」ですと言えるくらいに私は成長した。そしてボロボロだった家族も関係も今はかなり改善されている。教授についてまだまだ何を書いて、どんな言葉を残せばいいのか分からないし、語り尽くせない。でも、一つ言いたいのはあの思春期に坂本龍一とYMOに出会えたことは私の人生の中で一つのターニングポイントだったということ。それくらいに私の人生に大きい影響を与えてくれて素晴らしい音楽をこの世に生み出してくれたことに今は感謝の気持ちと苦しむことなく安らかに眠ってほしい気持ちでいっぱいだ。

Ars longa,vita brevis.
芸術は長く、人生は短し
教授の最後の言葉。
私は私が死ぬまで彼の曲を聴き続けるだろう。


My Playlist Ryuichi Sakamoto&YMO BEST10
・Happyend
・Before Long
・Tibetan Dance
・Energy Flow
・opus
・The Last Emperor
・Merry Christmas Mr. Lawrence
・TECHNOPOLIS
・東風
・Rydeen




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