「ソンジェ背負って走れ」は「ソルを背負って走れ」でもあるからこそ推したくなる
推しが死んだ、私を生かしてくれた推しが死んだ、推しを絶対に死なせるもんか。途方もない話ではあるが、オタクの一念は推しの死をも覆す。
そしてこの途方もない話はやがて、その死んだはずの推しが初恋の人を守り抜く話でもあるということがわかる。
死んだ人を生き返らせようとする人、その死んだ人が生きてる人を守るという人智をも超えるストーリーは、誰かのファンになったことがある人なら、もしくは誰かを思い続けたことがある人なら容易に共感できる。
気付くと私たちは、途方もないことに全身全霊を傾けるソルとソンジェと一緒に走らざるを得ない、というのが「ソンジェ背負って走れ/선재 업고 튀어」というドラマだ。
「ブルドーザー少女」キム・ヘユンがまず狂う
「死んだ推しを絶対死なせるもんか」という狂ったことを考えるソルには理由がある、いや、是非やり遂げてくれ!と思わせてくれるオープニングのスピード感は実に鮮やかだ。
事件に巻き込まれ両足が不自由になり、病院のベッドで絶望の縁にいるソルに電話が掛かってくる。
電話は生中継中のラジオ番組の視聴者参加コーナーからだが、自分に起きたことを未だ受け入れられず、能天気な電話に向かってソルは狂ったように当たり散らすが、番組のゲストであるECLIPSEというアイドルバンドのソンジェというスターがすかさずソルに声を掛ける。
なぜソルのところに電話が掛かってくるのか、その意味深なメッセージは何を意味するのか、それはここで気にしなくていい。
気にすべきは、バックに流れるECLIPSEの「Sudden Shower(소나기)」という曲だ。
これを聴いたソルは心のうちを吐き出すように母親と抱き合って号泣し、
その瞬間、場面は変わり、絶望していた車椅子のソルが「♡ソンジェ背負って走れ♡」というメッセージが入った手作りのヘアバンドを付けてECLIPSEのコンサートに行くシーンに切り替わる。
ソルの絶望はソンジェへの希望へと大きく転換する。
足の不自由なソルが推し活動に精を出す姿のまぶしさと、ここに来るまでに一体彼女に何があったのか、否応なく興味が湧かせられる。
何度観ても息つく暇もなく一気に走らされる冒頭は、素晴らしいアプローチだ。
絶望と希望という人生の陰と陽の入れ替わりと、「ブルドーザー少女」のヘヨンとソルのギャップを自在に演じるキム・ヘユン(김혜윤)の魅力にもまた抗うことが出来ない。
そのソルを演じるキム・ヘユンを独立映画「ブルドーザー少女」で観たことがあったのだが、こちらは片腕にはびっしり刺青があり刑務所も行ったり来たりする少女で、家族のために手荒な方法で社会の不条理と戦うという少女の感情の発露は狂気でもあった。
「キム・ヘユンによるキム・ヘユンのための映画」と言われるほどだ。
「ソンジェ背負って走れ」は製作までに3年掛かっている。
脚本家のイ・シウン作家は「序盤にはキム・ヘユンの演技が必要」と言ってキャスティングを早々にし、彼女を念頭に置き当て書きをしている。
死んだ人を生き返らせるという途方もない話に違和感なく引き摺り込むには、確かにキム・ヘユンの演技が必要だったと思わせる演出だ。
ソンジェとピョン・ウソクという2人のスターに惹きつけられる
ピョン・ウソク(변우석)のファンというわけではないが、「ディア・マイ・フレンズ」「恋のゴールドメダル」「青春の記録」、映画は「ソウルメイト」と、いくつかの出演作品を観ている。
モデル出身の俳優で決して演技上手ではない。
「青春の記録」では大丈夫かなあとすら思ったくらいだ。
そのピョン・ウソクが主演の「ソンジェ背負って走れ」がSNSでちょっとした話題になっているのは薄々気付いていた。
そのピョン・ウソクがゲストのtvNのトークショー「ユクイズ」をうっかり観てしまった(「ユクイズ」はVPNを繋げばNAVERで観ることができる。字幕なし。)
モデルから俳優に転身し10年弱のキャリアがあるが順風満帆ではないという話だ。え?俳優になってそんなに経っていたのか?途中でやめられなかった。
配役された役のために美容室でヘアカットをしている途中で掛かってきたのは、やっぱり今回は一緒にできないという断りの電話だったとか、台本の読み合わせに参加したにも関わらず、そこでごめんなさいと断られたとかいうのもあった。
酷評もされて自尊心が低かった時もあるが、それがあるからこそ演技はもっと上手になりたいし、どんな役でも無条件で出演し、1年で10作以上撮影したと言っていた。
製作までに3年掛かったこのドラマの台本は色々な俳優のところを巡り、最後に主人公も未経験で認知度もない自分のところにやってきた。3年掛けて「ソンジェ」が自分のところに来てくれて心から感謝している、こんなに愛することができるキャラクターにまた会えることができるだろうか、私自身がこの作品のファンだと淡々と話すピョン・ウソク。
意外にもこの人はとても澄んだ話をするんだなと思った。
それが「ソンジェ背負って走れ」を遅まきながら観てみた次第だ。
ドラマ「二十五、二十一」でナム・ジュヒョクが初恋のアイコンと言われたように、主人公2人が19〜34歳までの時空を行ったり来たりする「ソンジェ背負って走れ」は別名「三十四、十九」とも言われる。
ピョン・ウソクは「二十五、二十一」のペク・イジンを演じたナム・ジュヒョクと共に「初恋のアイコン」の再誕生と言っていい。
オリンピックを目指す高校生水泳選手からインディーズバンドを経てアイドルバンドECLIPSEのボーカルになり、スターとしての悩みを抱えながら、初恋のソルのために奮闘する姿まで、ソンジェの青春の挫折と栄光と苦悩を一手に引き受けて、そして魅了してやまない。
「応答せよ1988」のヘリが自身のYouTubeチャンネル「혤's club(ヘリ’s club」で「私が知っているピョンウソクとソンジェはイメージが近い」と言っている。なるほどだし、全くだ。
しかも劇中に流れるOSTも、ECLIPSEのボーカルとして歌っているのだ!
しかも5曲も!
しかもうまい!
冒頭、ソルと電話で話す時にバックで流れる「Sudden Shower(소나기)」がそうだ。
しかもMelon Chartで「Sudden Shower(소나기)」は6位だ(昨日だかは4位だった!)。
ピョン・ウソクが歌うECLIPSEの曲は現在、「Run Run」が72位、「I'll be There」が115位を推移している(昨日は3曲とも100位以内に入っていた!)
私はこういう例を今まで見たことがない。
俳優が出演したドラマのOSTを歌うことはあっても、音楽チャートをここまで賑わすのを見たことがない。
本人は水泳も歌も3ヶ月ほど練習したと言っているが、それにしてもだ、こんなに過去作からイメージが変わった俳優を私は他に知らない。
OSTが流れる度に驚嘆して呆れるばかりだ。
ところでここまでドラマが、そしてソンジェが、そしてピョン・ウソクが話題になる理由のひとつに、「ソンジェ」というアイドルの今様にあると思う。
イ・シウン作家は過去に「トップスター・ユベク/톱스타유백이」というtvN製作の実験的シリーズもの(全11話)を手掛けている。
アイドルグループでデビューし俳優でもあるオレ様トップスターのユベク(キム・ジソク)の話だ。
思い起こすと、韓国ドラマで描かれてきたスターは、チャン・グンソクが演じた「美男ですね」のテギョンや、チャ・スンウォンが「最高の愛」で演じたトッコ・ジン、そして「トップスター・ユベク」のユベクも含め、自尊心が高く、ナルシストで、オレ様体質で、当時はそういうある種の虚構やカリスマを感じさせるものがスターとして求められたと思うが、ソンジェは違う。
ソンジェは15年も初恋の人を思い続けている純粋な人で、ソルに対してどこまでもひたむきで、彼女に手作りのサンドイッチを持たせてくれる人だ。
かっこいいスポーツカーに乗ってはいるが、身につけているものもシンプルでちゃらちゃらしていない。
性犯罪や飲酒運転などがもはや一発退場の時代において、現在のアイドルやスターに求められるものが大いに変わった今、ファンと推しがWeverseでやり取りができる時代でもあるのだ。
オレ様ではなく友達のように一緒に成長できる推しであって欲しい。
「ソンジェ背負って走れ」のソンジェは現在の大衆から求められるアイドル像にきっちりアップデートしているのがこの作品の魅力だ。
初恋のソルのことを思い続けている等身大アイドルソンジェと、モデル出身でどこか自信なさそうにしていた人が見違えるように見えるピョン・ウソク、2人のスターを観る楽しみが「ソンジェ背負って走れ」にはある。
脚本家イ・シウン作家を覚えておきたい
過去に戻りソンジェに再会したソルが言う。
ソルは過去に戻ってようやく大事なものに気付く。
「ソンジェ背負って走れ」の脚本家イ・シウン作家の過去作「トップスター・ユベク/톱스타유백이」もまた、自分を振り返り人生の本当の幸せを追う話だ。
tvNがイ・シウン作家とイ・ソジョン作家の共同執筆で製作されたドラマだが、視聴率も振るわないしあまり話題にもならなかったが、一定のファンがいるとも言われる。
私はパク・ヘヨン作家の「またオ・ヘヨン」で素晴らしいサブコメディアンキャラを演じたキム・ジソク俳優一択で最後までリアタイしていた(笑)。
それほどまでにキム・ジソクの全身軟体動物のような身体を使ったコメディアンぶりが好きだ(「またオ・ヘヨン」のドギョンの部屋でぼっとしてたら、誰もいないはずの部屋にドギョンとヘヨンが戻って来てキスシーンを繰り広げるのを、見つからないように部屋中を隠れ回るキム・ジソクの可笑しさよ!)。
「三食ごはん漁村編」のマンジェ島のような生活の中に、チャジュンマことチャ・スンウォンの代表キャラクターである「最高の愛」のナルシストスター、トッコ・ジンを思わすユベクを島送りにし、島娘カンスン(チョン・ソミン)や島民たちと繰り広げる文明ギャップの可笑しさとスローライフ感性(景色と素朴な料理の映像美!)で心が浄化されていく気持ちが良い作品だ。
「海街チャチャチャ」の前にすでにスローライフを背景にする「トップスター・ユベク」があったんである。
主人公がスターであること、タイムスリップはしないが過去を振り返ること、そしてときめきたっぷり(ベタな表現ですみません)のメロも見せてくれること、家族や友人が楽しく描かれること、ユーモアがあることなど、主要要素はそのまま「ソンジェ背負って走れ」に引き継がれている。
「ユベク」のスローライフの味わいは、今回はタイムスリップした過去の背景をレトロ感性に描き懐かしい感情を呼び起こさせてくれる。
似ているシーンもいくつかある。
ソンジェがソルのために指輪を買いに行くがバレそうになる言い訳に「指輪(반지/パンジ)」と「半地下(반지하/パンジハ)」を掛けて誤魔化して笑いを誘っていたが、「トップスター・ユベク」でも同じようなシーンがあるがユベクは「指輪(반지/パンジ)」に対して「ごはん(밥/パン)」で誤魔化していた(笑)
イ・シウン作家はシットコム「思い切りハイキックS3」に参加していたことがあり、そのシットコムで培ったコメディセンスは「ソンジェ背負って走れ」でも奮っている。
煙草を吸ってない証拠に私の指の匂いを嗅いで!とソルがソンジェに2本の指を突き出しているうちにソンジェの鼻の穴の中にその指が刺さるシーン。
そのバックに流れるBGMは「점점/だんだん」だが、「점점」には「点点」という意味もある。「点点」は鼻の穴だ(笑)しつこい(笑)しつような笑いだ(笑)
しかし私はメロになりそうでならない、させまいとする、そのセンスが好きだ。薄っぺらい包装紙に包んで格好をつけない。
ここら辺は同じくシットコムを書いていたパク・ヘヨン作家にも共通する笑いで(2人の作家は何故かトイレが我慢しきれずピンチになるギャグがお気に入りだw)、突然挟み込まれる妙な人間臭さは、初恋の高校生の気まずさを巧みに表現している。
そして忘れてはならないのが、イ・シウン作家の特長は劇伴とOSTの強力な相関性にある。
韓国ドラマの劇伴とOSTは、歌舞伎の台詞と長唄や義太夫の掛け合いと一緒でどちらも欠けてはいけないもので、台詞で喋らないメッセージが補完される。
「トップスター・ユベク」では、OSTの他にたくさんの名曲、例えば「応答せよ1988」でも流れた「初雪が降ります/첫눈이온다구요」とか「砂時計」のOST「相違なる恋人/서로다른연인」とかシンディ・ローパーの「She Bop」とか最終回にはJOURNEYの「OPEN ARMS 」までがシーンと共鳴して流れるのだ(ちなみに日本で観ることができるU-NEXT版はことごとく切ったり、環境音に変えてしまったりで、作品の価値を半減させている)。
1話のエンディング、夕立の中、過去に戻ったソルがソンジェの無事を見て泣いているとソンジェが傘を差し出すシーンのバックに流れるのはユナ(윤하)の「傘/우산」だ。
この「傘」は1話で、ソルが取った電話から流れる「Sudden Shower/소나기」に対する受けのメッセージになっている。
「君は贈り物。突然、夕立のように降ってきた君を今日も呼ぶ、私の大事な人だよ」に対して「傘」は「君は私の傘、君を待っていたよ」だ。
要するに1話は、ソルがソンジェを背負って助けるんだというアツい情熱で途方もない時間旅行に出発するが、トリップした過去ではソンジェが傘を持って待っていたということである。
いや、すでに1話の途中で雪の中、車椅子が故障して往生するソルに傘を指したのは現在のソンジェで、その時「傘」は歌詞のないインストゥルメンタルで流れてはいたわけだが、その時にはまだソルは過去でもソンジェが傘を差し出すことには気付いていない。
「ソンジェ背負って走れ」は実は「ソルを背負って走れ」でもあり、ソルとソンジェのお互いを引きつけあう見えない吸引力が運命を動かしていく気配を、1話からストーリー展開と音楽で見せていく演出はさりげなく、そしてどこまでもセンスが良い。
ところでこの「傘」だが、言わずと知れたEpik Highの作品で、歌手のユナをフューチャーしている。
ユナのデビュー10周年にタブロがユナにソロ曲にアレンジしてプレゼントしたバージョンが、このドラマの劇伴に使われている。
(BTSのRMが2016年にデュエット歌謡祭でカバーしている。こちらのラップも良い。)
ソロ曲になってラップ部分は省かれてしまったが、このラップの歌詞の表現が目に見えるようでいいし、このドラマの核にもなっている気がする。
このドラマと比較される「二十五、二十一」は、紫雨林(자우림)の「스물다섯, 스물하나」(二十五、二十一)が下敷きにあるが、「ソンジェ背負って走れ」もまた劇伴の「傘」とOSTの「Sudden Shower/소나기」がベースのイメージにあって「傘」という小道具も印象的に使われている。
1話のエンディングにユナの「傘」を配したのは、作家の指定があったと言われている。多分「トップスター・ユベク」でも使われた劇伴音楽の数々はそうだったんだろう。
OSTの他にさりげなく挿入される劇伴にここまでこだわる作家はあまりいないと思う。
キム・ヒョンジュン(김형중)の「I Think I did/그랬나봐」は、ピョン・ウソクがカバーする話もあったらしいが、原曲のままで行こうということでそのまま挿入されている。これもとても効果的に使われている。
イ・シウン作家の作品に限らず、劇伴とOSTの歌詞にも字幕があれば作品の価値は何倍も倍増するというのはずっと言っていきたいし、それこそが韓国ドラマの特長で醍醐味だと思っている。
過去を変えてはいけないが変えたい気持ちが勝るタイムスリップ
このドラマはロマンティックコメディ、タイムスリップ、青春、サスペンス、ヒューマン…とあらゆる要素が詰め込まれた宝物箱のようなストーリーだが、最後まで気になったのは人生を変えたタイムスリップをどう回収していくのだろう?いや、もう勢いのままに回収などしないのか?だった。
これはこのドラマの大きな課題、いや「過去は変えてはいけない」というタイムスリップものすべての課題だ。
ところがソルは、極端な選択をしたソンジェを助けるためにタイムスリップものが必ずや侵してはならない「過去を変える」ために積極的に不文律を侵していく(苦笑)。 どうすんだ、だ(笑)。
ところで劇中バンド「ECLIPSE」の英語の意味は「日食」だ。
月と地球の公転により、月が太陽と地球の間に入り地球から見ると太陽が月によって隠される自然現象が日食だ。
日食にはサイクルがある。
地球のどこかで日食が起こる周期は、太陽の通り道である黄道と月の通り道である白道が交わる点の前後およそ約34日間に、その交差点付近に太陽がいてさらに月が新月になれば日食となる。
私は日食の説明をしたいのではない。
ここでは「34」という数字がポイントだ。
冒頭、ソンジェは2023年に34歳で死亡する。
同じく34歳のソルは足が不自由で車椅子の生活だ。
ソルは最愛の推しソンジェの死、そしてソンジェは初恋の人ソルの誘拐と事故という2023年現在(過去から見たら未来)の苦しい状況を過去にスリップすることで、切実に変えようとしている。
そして高校生のソンジェもソルの意図を知る。
その2人が高校生の時に何かと乗車するバスの路線番号は「34」だ。
ソルが両足に致命的な怪我を受けたあの事故の時もソルは34番のバスに乗っていた。
変えなければ34歳で止まってしまうお互いの運命にアプローチするために、約34日間に一回、新月の時に起きる日食(ECLIPSE)という不思議な自然現象の手を借りるように、そのタイミングを逃さないように、ソルとソンジェは刻一刻と進む時間を追いかけてバスに乗り込み未来に向かって走る。
さらに、向かい合ったソルとソンジェの家の番地は、ソルの家が「34−1」ソンジェの家が「35−1」だ。
2008年にここで2人は出会い、2022年12月31日に漢江の橋の上で再会し、2023年1月1日34歳を迎えるソンジェは死に、そしてお互いの思いが通じて運命が少しずつ変わり、2024年35歳で塗り替えられた新しい人生を迎える、そんな意味がここには込められていたんだなと感じる。
要するにしつこいまでに(苦笑)画面にアピールされる「34」と「35」という数字は、幸せでなければならない未来(このドラマでは現在とも言う)の象徴である。
ソルが推しを生かすために過去にタイムスリップすることで始まった話は、いつしか叶えられなかった初恋を回復させる話に自然にスライドしていく。この物語はタイムスリップではなく、後悔したものを回復させる旅であったなと気付き始めた。
ラジオから聴こえる音楽、雨から守ってくれた黄色い傘、青春時代の時を刻んだ時計たちは、誰もが心にしまいいつしか忘れてしまった切ない初恋の記憶を呼び覚まさせ、2人はそれにより過去と現在を行ったり来たりする。
2人のタイムスリップは、初恋をやり直すためにする時間旅行だったのではないだろうか。
もしかするとなんとしてでも変えたい人生は、実はやり直しがきくのかもしれないと思わせてくれる。
それにしても、ソルのおばあちゃんが言うところの「記憶は消えずに心に刻まれる」は、ドラマ「恋人」でも見られた最近の韓国ドラマの記憶喪失回収の素敵な抗弁なのかなと疑っているが(苦笑)、「恋人」ではジャンヒョン自身の記憶の回復の問題だが、「ソンジェ背負って走れ」は周辺の人々を巻き込んで微妙に人生が書き変わってしまったと思うが、まあいいんだろうな、他の人のことは気にしちゃいけないんだろうな(笑)。
そういう穴はある作品だが、「二十五、二十一」のナ・ヒドとペク・イジンに、ソルとソンジェの熱量とハイブリッドエンジンがあれば、ラストは変わっただろうなと思ったりなんかもする。なんであんなにあっさりさよならしたのか、今でも納得がいかないw
それにしても、大スターをフューチャーし潤沢な予算で製作されるNETFLIXオリジナルやDisney+オリジナル以外のところから、意外な伏兵作品が出てくる最近の韓国ドラマの事情は偶然なのか必然なのか、それともソルとソンジェが持っていた熱量みたいなものなのか大いに気になるところである。