韓国ドラマ「恋人」にサブタイトルを付けるとしたら「わたしはユ・ギルチェ」
メディアプラットフォームが作品の成功の鍵とも言われる時代だ。
潤沢な製作費が用意され、スター俳優、スター脚本家がフューチャーされる作品はそこそこ安心して観ていられる。
地上波3局が凌ぎを削っていた時代から、ケーブル放送局の台頭で韓国ドラマの世界がダイナミックに変わった時代を垣間見た私としては、最近の大手メディア頼りの作品に物足りなさを感じる。確かに完成度は高くなったし、作品もバラエティ豊かだが、安定は退屈を引き起こす。
「ドラマのMBC」と言われた地上波放送局MBCの「恋人」は回を重ねるごとに話題になっていたのを思い出し観てみた。
先日はCoupang Playのイム・シワン主演「少年時代」を観て、揺さぶられ大笑いした。アイドル出身という輝かしいキャリアを活かしながらも消し去るイム・シワンの凄まじさに舌を巻いた。
最早、インディーズ追っかけマンの様相だが、大手プラットフォームの作品にはない何か熱いものがあるのだ。
(2024年5月現在、日本のプラットフォームでは配信されていないのでネタバレにくれぐれも気をつけたい所存ですが多分無理ですw)
国を守るか愛する人を守るか
李氏朝鮮のヘタレ仁祖の時代だ。
スマホの無い時代の男女はすれ違う。舞台は漢陽、江華島、南漢山、瀋陽…とめまぐるしく変わる丙子の乱を背景にしているので尚更だ。
流れ者のジャンヒョン(ナムグン・ミン)は、男にちやほやされる両班の娘ギルチェ(アン・ウンジン)に恋をするが、ギルチェのほうは両班の男ヨンジュンを一途に思い続けている。そのヨンジュンはギルチェの親友ウネを思っていてこちらは両思いだ。
観始めるとすぐに気付くが「風と共に去りぬ」からインスピレーションを受けたとファン・ジニョン脚本家(女性)は言っている。
なるほど主役4人の関係だけではなく「風と共に去りぬ」の背景に描かれる南北戦争は丙子の乱に置き換えられている。構造はそのままだが、戦乱の中のワッタカッタ(行ったり来たり)のすれ違いと朝鮮の歴史とのリンクは見事だ。
壮大なスケールで描かれるメロドラマかと高を括っていると、このドラマは全く想定していなかった物語を始める。
守ってくれるはずの男たちが国を守る戦いに出てしまったら、ギルチェをはじめとする女たち自分の身を自分で守らなければいけなくなる。
財と女を征服しようとする侵略者から、着のみ着のままで逃げて逃げて戦うしかないのである。
あっという間に過酷な世界に連れていかれる。
国を守るために戦うヨンジュン、愛する人のために戦うジャンヒョンという対比は、戦争で一番弱い女子供という民を守れない戦争とは一体何のためなのか?を突きつける。
逆境の中でも「わたし」でいられるということ
このドラマは、丙子の乱で清国に連行された男性捕虜だけでなくそこから生きて戻ってきた「還郷女(ファニャンニョン)」と呼ばれた女性捕虜たちの話が女性の観点で描かれているのが、今までの歴史ドラマとは違う。ここは史実だ。
女性捕虜は解放されて生きて故郷に戻っても貞操を失ったとされ、結婚していた者は離縁され未婚の者は結婚ができないという、社会的烙印を押される時代だ。
ギルチェも例外ではない。
何不自由ない暮らしをしていた世間知らずの両班の娘が自分のアイデンティティを失っても、気にするな、自分らしく生きろと支え続け、覚醒させるのはジャンヒョンだ(泣)
故郷を追われ、身を守るために人を殺め、捕虜として連行され汚れた女との汚名を着せられても、両班という封建制度の枠組みも自分を守ってはくれない、否応なく主体性を持つ人間へと導かれるギルチェは、皮肉にもその枠から解き放たれることで「私の若様はヨンジュン様」という両班娘の憧れが幻影だったことにも気付いてしまう。
彼女は自ら命を絶つ女性らに手を差し伸べ、戦争で親を亡くした子供たちを育て、一緒に堂々と生き抜く道を選択する。
ジャンヒョンは「還郷女」などという偏見は一切気にせず、そのままのギルチェをユ・ギルチェで良いと肯定してくれる。
その言葉は心身ともに傷ついたギルチェのためのものだが、当時、死を選んだり辛い思いをした声をかき消されてきた女性たち全員へ向けられたものに感じる。
どれほどの深い傷を負ったかという想像力、我が身に置き換えて理解しようとするジャンヒョンの言葉は大きな慰めだ。
ところで「私の解放日誌」ですw
クさんからヨム・ミジョンへの言葉です。
自己肯定感の話をしてると思う。自分を自分のまま受け入れろって言っていると思う。
そしてミジョンはふらっと出ていったクさんに「風邪を引かないように」なんて祈りながら「解放日誌」を書き始める。
風と共に去らないものがあるからこそ魅了される
「風と共に去りぬ」では南北戦争後に白人の貴族社会は無くなったかもしれないが、未だに人種差別は続いている。
「恋人」で描かれた当時の身分制度は無くなったかもしれないが、家父長制は相変わらず根強いし、マイノリティが生きづらい社会は劇的には変わらないし、戦争は未だに行われている。
どんな過酷な運命であっても、ミジョンとクさんのようにギルチェとジャンヒョンもまたそれに屈することなく、お互いを思い続けその愛でお互いを救い慰め合うことができるんだなと信じさせてくれる。
生きるということの意味は、惜しみなく愛を注ぐということかもしれないとドラマ「恋人」は言っている。
オシロイ花が咲く音がするドラマ
このドラマの見どころのいくつかを最後に挙げておく。
とにかく衣装がいい。
MBC放送の歴史ドラマは代々、局の衣装チームが担当していたのを、今回は長年、映画の衣装を担当してきた衣装監督に依頼している。
流通している生地では伝統色が見つからないので、全て生地を織って染色するところからだ。一時は時代考証に厳しい時代もあったが、今回は考証担当と十分相談してデザインされているという。血や古色の付け方もリアルだ。
ギルチェの人生を「春夏秋冬」に見立ててデザインされた衣装の変遷も味わい深い。陰陽五行で言うところの、「夢や希望に満ちた“青春”」「熱く躍動感あふれる“朱夏”」「実り豊かな“白秋”」「エネルギーを蓄える“玄冬”」が目に見える形で表現されている。
ジャンヒョンが初めてギルチェを見た時に言う台詞が「オシロイ花が咲く音がする」だ。
秘すれば花と言うが、まさしくギルチェを演じたアン・ウンジン俳優が開花した作品ではないかと思う。ギルチェがどんどん成熟していくのと平行するように、知らなかったアン・ウンジン俳優の演技の幅を見ることができる。ミュージカルでデビューしたらしいので、映画、ドラマ、舞台と、どしどし出てもらいたいものである。
10年ぶりの時代劇出演というナムグン・ミン俳優は、時代劇の言葉と満州語と中国語を駆使し、アクションもこなし、その上で非常に繊細な演技を見せてくれる。いくら家で練習してもうまく言えなかった台詞が、現場に入りアン・ウンジンを目の前にしたら不思議に一発でうまくいったと言ってるように、2人のケミから醸し出すものもあるんだろう。
身体を絞っているのか、ほっそりした印象のナムグン・ミンは、チョン・ギョンホにそっくりに見えてだな、時折ジュンワン先生とミナ先生じゃないですか?となることがある。いや、本当に似ているのだ。
またMBCドラマ大賞で主演男優賞を獲っているナムグン・ミンの百想芸術大賞での評価が気になるところだが、バラエティ「知ってるお兄さん」出演時に受賞したら番組メンバーの名前をスピーチに入れると言っているので(笑)カン・ホドン始めとするメンバーのリアクションが見たい一心で是非受賞してもらいたい。祭りを盛り上げてもらいたい。
付け加えておくと、どうしてTV部門脚本賞にノミネートされてないんだろうか。「恋人」は女性脚本家だからこそ描けたテーマではと思うし、もっと女性捕虜が描かれた点は評価されてもいいと思うんだがなあ。審査員の男女比を知りたいところでっす!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?