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使徒ヨハネ、ペテロ、パウロが行ったこと

罪を制すること、悔い改めること、父なる神とキリスト・イエスを愛し、信じること、兄弟と隣人を愛すること、イエスに従うこと、教えること、宣教すること等です。

これらは、人間の側から見れば、すべて人間が主に対する愛と信仰によって行うことです。

神の側から見れば、すべて神が恵みによって与えたものです。

愛の神、信じる人間の両方が必要であり、どちらか片方が欠けた場合、上記は成立しません。

気づかれましたか?

イエスをキリストだと信じた人は、人間が信仰によって罪を制するのです。上記に書かれていることをまず人間が信仰によって行う。

人間が汚れたものから離れるのです。人間が悔い改めるのです。人間が愛するのです。人間が信じるのです。神がではありません。人間がやらなければ、神はあなたの信仰を確認できません。あなたの愛を確認できません。

もし、人間が行うなら、神が与えるのです。人間がまず、行う。神がその努力を祝福して、実現させる。人間が行わなければ、神はあなたに対して何も行わない。理由は信仰がないからです。

イエスさまは、「イスカリオテのユダを選んだのは、このわたしではなかったか」と言われました。

イエスさまが選ばれた。しかし、ユダは裏切った。

つまり、人間が悪を行うのです。ペテロが、三度イエスさまを否認した。つまり、人間が弱いのです。しかし、イエスさまは、ペテロの信仰が無くならないように、神にお願いし、ペテロは立ち直った。
その後、神がペテロの信仰を強くした。

さて、聖書を人間の側から見た表現、神の側から見た表現として説明しました。

よって、救われた者は上記のことが出来ます。

しかも、簡単に。

なぜなら、彼らは、キリストの血によって、罪から解き放たれた、神の王国であり、神のための選ばれた永遠の「王また祭司」だからです。

どう、思う?

まず、人間がイエスさまを信じ、人間がイエスさまに従うのね。

その通り。

そうすれば、救われると聖書に書いてある。

人間が信じ、行い、奇跡(祝福)は神が行うということね。

その通りだよ。

人間が、信仰によって求め続け、行い続けるなら、神が与えてくださることを信じることだよ。

聞くだけでは、救われない。信じたことを行うことによって救われる。神は行いで裁かれる。

そこが分かれば、現代の偽りの解釈(悪魔のベールがかかった教え)からあなたは、解放される。


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