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インスタレーション。

インスタレーションと呼ばれる、不可解なアート形式がある。その手法的な肝は、作品をくぐる観衆を、理性ジェネレータとして、意味づける主体にすることにある。

油彩と水彩の違いを説明するようにインスタレーションを説明するならば、
観衆が意味の受け皿と解釈の主体であり、作品はさらにその受け皿として機能するわけだ。

いわゆるピカソ、ダリに見られるような、前時代的な作者の自我を適度に消失させて、◯◯イズムという、手法と信仰ベースの党派的な色合いを退かせるかわりに、
こんどは、作者があくまで添え物を作る立場に徹してみせることで、その作品は他者との通路を生み出せる。という寸法なのだが、
まだ宗教的世界観が現実そのものだったときに、大仏のでかさで仏の偉大さを表したと言うときの、化けの皮の剥がし方を適用してやると、
現代におけるインスタレーション作品は、覚めて見る夢を媒介に、わたしたちにはまだ内面の自由がある。表現の自由がある。と、作者と観衆が相互に錯覚させあう装置として存在しているのだ。
つまるところ、現代アートは、近代アートが担っていた思想信条の自由を、内面の自由に前進的に拡張したと同時に、抽象的に後退させたものであると言える。



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