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文学、自由意思、そして買い物。

現代人を鎖の要らない奴隷と揶揄させるものに対して文学はほぼお手上げだ。なぜならば、この現実は自由意思を前提とし、社会はそれを動力源としているからだ。
この場合の自由は無意味さへと向かう。それと同時に、その無意味さを秘匿するために意義になろうとする。
倫理的、不道徳な買い物の議論はこの循環を越えられず、両者の争いは、利益の側からすれば商品選びを信仰にした賑やかしになる。
意思による選択という、主体の話に還元され、そこに意志と欲望の駆け引きを見いだすことで、買い物は議論されるものとなるのだ。

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