シェリング理解の経過メモ。
シェリングの哲学は、彼より後に発展した自然哲学の源流として遡ることが可能な現代人からすると、
見通しの良さが災いし、奥に控えているアリストテレス的なものが分かりやすく、かえって表面上にある神即愛の意義の方が分かりづらくなる。
特に彼とスピノザとの比較だと、自然観察と神即愛、神即自然による決定性(後者がスピノザ)との差違が目立つばかりだ。
そこで、シェリングがプロテスタントであり、彼がその世俗派の形成過程の時期を生きたことに着目すると、
それまでのプロテスタントにおける信仰の証明が、信仰の実践として統治の手法に回収されていたことに行き当たる。
プロテスタントは倫理的行為を通した信仰の証明が必要であり、また、カトリックにおいても、禁欲的な生活を通じた修道という、信仰を試すことが奨励されていた。
このことから、ギリシア正教と比較したときのように、ただ信仰していれば教徒でいられるようなことは原理的に難しかったと言える。
プロテスタント信仰の実践形態には、ギリシア正教のような神秘主義に基づいた内的省察といった、自己研鑽の側面が欠けており、
シェリングの神即愛の論理は、哲学の形式を通して語れるようになった自己を起点に、
それまでの信仰実践における社会維持装置としての側面を、ギリシア正教的な個的な内省の方向へと緩和させるための、副読本のような一面があったと言える。
その場合の神秘とは、むしろ、精神を解放的な自己として語れるようになったことそのものにあり、この隠れた構造こそが、のちのロマン派に影響を与える共通の回路となったと言える。
そして、これらは物質的な世界で、夢になりたがる現実の誕生であり、その時代的な端緒となる。
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