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すずめの戸締まりを見た311被災者の感想

映画、すずめの戸締まりをみた。すごく泣いたし、見てよかったと思う。
でも、モヤモヤした気持ちも残っている。このモヤモヤした気持ちは何か考えてみた。

このnoteはすずめの戸締まりの内容に触れています。ネタバレがあります。
また東日本大震災に関する記述もあります。読み進める方はご留意ください。

モヤモヤしたこと

私は宮城県の出身で、311の当日も宮城にいた。

映画を観た後、思ったこと。
新海誠は誰に何を届けたかったんだろうか。自分の中に明日があるって被災者にも非被災者にも伝えたい?大切な人を大事ににしなさいってこと?
見終わったあと、1番のメッセージは正直わからなかった。

映像の美しさ、設定の面白さなどはさすがといった感じ。宮崎駿の引退が噂される中、日本のアニメ界を引っ張る一人だなと思う。この綺麗な映像を見るためだけに劇場に足を運んでも、何も後悔はないくらい美しい。

映画を観ている間はたくさん泣いた。でも、感動という言葉はしっくり来なかった。

ただただセンシティブないろんなフラッシュバックを産み得る映像を見せられて泣かされた気持ち。震災を経験したしんどさは、「明日は自分の中にある」くらいのメッセージでは救われない。「だから、何?」って思ってしまった。仮に一番伝えたかったことが「大切な人を大事にしなさい」といったメッセージなら、作品中の環さんへの態度は酷すぎると思う。被災者からすると、今もなお続くしんどい事実を終わったこととして戸締りされても、、とも思った。

この映画の中での涙は、震災当時起こっていたことへの恐れの気持ち、友達たちが震災で失ったものへの思い。当時起こっていたことって、怖かったんだった。今、泣いてもいいんだ、そういう気持ちに自己共感するためのものだった気がする。

同じモヤモヤを抱えている人たちがいることを知った。

私の友人のPodcastでもすずめの戸締まりの感想が話されていた。それを聞いていた。すずめは「死ぬのが怖くない!」と言っているが、言ってほしくはなかった。ウッとくるところを言語化してくださって、モヤッとしている私も少し救われた。

そもそも、物語の中では地震が起きるのはミミズが倒れるからと表現されているのはどういった意図があったのだろう。そして、そうただけならまだしも、すずめにも地震を止めうる力があるのはどういうことだろう。

地震は本当に止められるのだろうか。止められるものとして描いていいのだろうか。311も誰か閉じ士が閉められなかったから起きたのだろうか。起きたことは、人のせいになるのだろうか。地震は起きるもの、それは事実だが、起きちゃいけないものとして表現していいのだろうか。

誰のための映画か

そんな違和感があったが、新海誠へのインタビュー記事を読み、少し納得感があった。

“僕の娘は震災の前年に生まれていて、彼女にとってあの震災はもう“教科書の中の出来事”なんですよね。(中略)それでも、いまならまだ少し手を伸ばせば届くような過去の出来事として、多くの人が想像力を働かせることができるのではないか? むしろ「いまでなければ間に合わない」と思って、今回の映画にこのテーマを込めました。”
映画『すずめの戸締まり』公開記念インタビュー。新海誠が「いまでなければ間に合わないと思った」、作品に込めたテーマを語る【アニメの話を聞きに行こう!】

震災が、生まれる前の出来事だった人たちが、震災を自分ごとにするための映画だったのか。

それならば、すずめの「死ぬのが怖くない!」といった、今の自分なら到底発せない言葉も、子供の無知さと絶望感ゆえの発言で、子供の感覚に近い言葉なのか。震災をちゃんと初めて知る子供目線では、共感が生まれるのか…。確かに自分も当時は簡単に「(学校が休みになるから)また地震来たらいいのにな」とか言えていた。10代と20代の今では、震災に関する感覚は全く違うものだなと思う。

▼震災後変わっていった私の感覚に関するnote

子どもの理解を手助けする役割として、であればダイジンの神とは思えぬ振る舞いにも納得感が少し出る。神でも「人がたくさん死ぬね」なんて言わないでしょ!?と思っていたけど、子供に大きい地震が来ると人がたくさん死んじゃうんだよ、と解説する立場なのだとしたらわかるかもしれない。

震災のことを伝える媒体として映画が、しかも新海誠が、描いてくれることで伝わる層がとても広がることはとても尊いことだと思う。感動した!とレビューしている人たちのことを責めたい気持ちも一切ない。いい映画か否かと言われたら、間違いなくいい映画だと思う。

でもこれは、あくまでもドキュメンタリーではなく、エンタメなのだ。楽しいものであるべきなのだ。

とはいえ、直接的に震災を描かず、どうしてミミズが倒れたら地震が来るといった表現になったのだろうか。直接的に描かなかった結果として、リアリティが失われている。どうしてあれほど重いテーマをファンタジータッチで描こうと思ったのか。子供にこそ直接的に伝えなくてはならないのではないか。

新海誠は震災を正しく伝え、防災で命を守る、ファクトベースなストーリーを伝えることよりも、自分の映画を作る腕を見せたい気持ちが強いがゆえ、よく構成が練られたファンタジーをつくることを優先させた人に見えてしまう。

自分の中に、新海誠なら被災者にも寄り添ったものを作ってくれるのではないかという期待があったなあと思う。実際の映画を観たときに、被災者の深い悲しみ、大事にしたいなと思っていることが少しなかったことにされているようで、悲しかった。新海誠目線での震災でしかなかったのではないかと思う。震災のことに触れるなら、もう少し深く被災者目線にも触れてほしかったなと思う。

受け取る被災者の気持ちよりも、すごい映画であること、面白さを優先させた映画だなと思ってしまう。『君の名は』、『天気の子』くらいの間接的な災害の脅威を表現する映画なら面白かったと、友達の前で言える。

私は被災者として、被災した友人を持つひとりとして、震災の映画を面白かったとは言えない。震災は面白いものではないから。映画の展開がどれだけ良くても、構成が良くても、震災は震災だ。友人が大切な人を亡くした震災であり、今も街に帰れない人たちがいるきっかけとなった震災だ。311にハッピーエンドが来ることはないと思う。それでも受け止めて進んでいくもの、今もまだ消化しきれないものだ。


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