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何もしないって本当に難しい

深夜にどうしようもなく言葉や思いがあふれてきて、文字にしたくなったりどうにかこの気持ちをとどめたくなる時がある。それが今。バンコクはただいま午前3時。日本はきっと朝の5時くらいかな。

タイ留学22日目

気づけば毎日何かしている。何もしないとなんだか不安になってしまう気持ちもよくわかる。SNSを見るとより一層その気持ちは強まる。同じアプリを1日に何回も開く。もう指が覚えていて、電源を入れると反射的に開いてしまう。スマホの向こう側はどこにだってつながっているけれど、私がのぞくことのできるのはすごく限られた狭い世界、そこが狭いこともほとんどの時間忘れている。反射的にアプリを開くときはその狭い世界の大通りを何も考えずに行ったり来たりしているような感覚だ。

伝わらないことに気づかない

新しい言語に触れているからか、普段使っている言語と違う環境にいるからか、伝えることについて最近よく考える。私たちは伝えることをさぼる。わかっているだろうと思ったり、わからなくても別にいいやとあきらめたり、伝わっていないことに気づかないことのほうが多い。ときどき、伝えるのが面倒になることもある。

日々のことを、すこし。

日本はタイ語で「いーぷん」とタイ語の授業で習ってから、町に繰り出し、タイ人に積極的に自分は日本人だ、「いーぷん、いーぷん」と言って回った。やはり日本以外の場所で自分の国の言語を話してくれる人が目の前にいるのはうれしいように、タイ人も私の片言のタイ語を聞いてニヤニヤしてくれるようだ。調子に乗って知っている単語をたくさん話していくと、相手も頑張って日本語を話しだす。その話し相手は大概タクシー運転手なのだが、彼らの態度は途中でがらりと変わることが多い。わははと彼らの日本語に笑っていると「100バーツね?100バーツ」と意味の分からないことを言い出す。おそらく、日本語しゃべってサービスしたんだからチップくらいよこせとかそういう意味だろう。ドン引きな私。なんだ?なんか気持ち悪い。日本人と明かすと、こういう風にお金を多めに請求されたりすることが多く、うんざりし始めた。お金持ちだと思っているんだろうか。なんだか非常にむかつく。愉快な笑い声も、気味が悪く聞こえてくる。今後はタイ人のふりをしてみようかなと思っている。

日本にいた時と同じように、意図的に何もしない時間は設けないといけないと思う。作りやすい環境だから、ルーチン化していきたい。

マイペンライ精神はまだまだ足りない

タイのバスは平気で30分くらい来ないことがある、気がしている。具体的に時間を測ったことはないから、そんなこともないのかもしれないし、私が間違ったバス停でずっと待っていただけかもしれないけど。確実に日本みたいに、定時に来ることはまれであるとはいえる。にもかかわらず、バス待ちのタイ人は全くイライラしていない。不思議になってしまう。このイライラしないマインドを私は勝手に「マイペンライ(タイ語でNo problem)精神」と呼んでいる。バス待ちのタイ人はいったい何を考えているんだろうか。瞑想でもしているんだろうか。いかに、いらいらせずに日々暮らしているのだろうか。

いただいたサポートで私はもっと私に優しく生きていきます。銭湯に行ったり、甘酒を作るなど、