嫌な老人になりたく無ければ「毒を食らえ!」
「老」というと、つい悪いイメージを持ってしまいます。
老害、老醜とかいう言葉もありますが、しつこい、弱い、めんどくさい、厄介者といったレッテルを貼られがち。
でもその本は、「老」ではなく「耆」と書いてあったんです。
皆さんは、「耆」という漢字を知っていますか?
漢字ペディアによると、
となっていて、「老」とあんまり変わらないですね。
でも、「耆」の熟語を調べてみると、僕らの思っている「老」との違いに気づきます。
「耆」という漢字をよく見てみれば、「老」に「旨」なんですね。
どうやら本来、「老」という字は「知恵者」であるとか、「徳の高い人」とう意味のようです。
本来、優れているという意味だったのに、今では「悪いこと」「劣ったこと」のように扱われる。強く、そして若いことが良いということになってしまった。
「老」は避けるのものでなくて、学ぶべき者なのにおかし話ですね。
冒頭にも書きましたが、生命論・人間論研究者である執行草舟さんは、著書「耆に生きる」の中で、年寄りについて辛辣に書いています。
そして、執行草舟さんは、
嫌な老人になりたく無ければ「毒を食らえ!」と言います。
僕はまだ、老人には程遠いし、老害なんて呼ばれるもんかと思っていました。でもこの本を読んで、もしかしたら僕はもう老害なのか?って感じてしまったんですよね。
消防士として仕事を始めて20年。隊長も務めるようになった僕には、裁量権があります。つまり、自分が困るといつでも「弱者」になることができる。
苦手なことを避け、得意なことだけをやる。嫌いな奴は遠ざけて、都合のいい奴を近づける。自分ではそんなことやってないつもりでも、いつしかそのような「老害」をみんなに与えているのかも知れない。
草舟さんは、
楽して得られるものなどない。苛酷で辛い毒を、自ら率先して食べ続けるしかないと言います。「逃げるな!」ということです。
「肉体の毒」、「精神の毒」、「文明の毒」を食べなさい。そして乗り越えなさい。その先に賢人としての老人がある。
この老いこそが、「耆」という言葉に相応しい秀でた老いであると。
茶道、華道、柔道のように、「消防道」にも終わりはありません。
なのに僕は、毒を食べるのを放棄して、勝手に終わりを作ってしまってたんじゃないか?楽な人生を歩もうとしているんじゃないのかな。
未完を追いかけるのをやめてしまったのでは、消防士である意味がありません。今よりもちょっとだけで良い消防にして次世代につなぐ。僕ができることはこれしかないのです。
2024年。
本当に良い本(耆)に出会いました。
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