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嫌な老人になりたく無ければ「毒を食らえ!」

今の「年寄り」は本当に始末が悪い。お金と暇を持て余し、自分が困ると「弱者」になりすます。まさに付ける薬がなく、手に負えません。

「耆に生きる」毒を食らえ

「老」というと、つい悪いイメージを持ってしまいます。

老害、老醜とかいう言葉もありますが、しつこい、弱い、めんどくさい、厄介者といったレッテルを貼られがち。

でもその本は、「老」ではなく「耆」と書いてあったんです。

皆さんは、「耆」という漢字を知っていますか?

漢字ペディアによると、

おいる。年をとる。また、としより。おさ。長老。

となっていて、「老」とあんまり変わらないですね。

でも、「耆」の熟語を調べてみると、僕らの思っている「老」との違いに気づきます。

▲耆旧(キキュウ)  慕われている老人
▲耆儒(キジュ)  学徳の備わった老学者
▲耆宿(キシュク)  経験豊かで学徳の備わった老人
▲耆徳(キトク)  学徳の高い老人

「耆」という漢字をよく見てみれば、「老」に「旨」なんですね。
どうやら本来、「老」という字は「知恵者」であるとか、「徳の高い人」とう意味のようです。

本来、優れているという意味だったのに、今では「悪いこと」「劣ったこと」のように扱われる。強く、そして若いことが良いということになってしまった。

「老」は避けるのものでなくて、学ぶべき者なのにおかし話ですね。

冒頭にも書きましたが、生命論・人間論研究者である執行草舟さんは、著書「耆に生きる」の中で、年寄りについて辛辣に書いています。

今の「年寄り」は本当に始末が悪い。お金と暇を持て余し、自分が困ると「弱者」になりすます。まさに付ける薬がなく、手に負えません。

「耆に生きる」

そして、執行草舟さんは、
嫌な老人になりたく無ければ「毒を食らえ!」と言います。

自分が幸福になろうとしてはいけない。

世間に順応し、自然の掟を尊んで何とか生ききるようにしなければならない。

不幸なら、不幸のまま何とか命を全うしなければならない。

そして、幸福というのはその結果論なのです。幸福は結果論なのです。

不幸の結果として、不幸を乗り越えたからこそ訪れる者なのです。

幸福は、それ単独で存在してはいないということが分からなければなりません。

「耆に生きる」

僕はまだ、老人には程遠いし、老害なんて呼ばれるもんかと思っていました。でもこの本を読んで、もしかしたら僕はもう老害なのか?って感じてしまったんですよね。

消防士として仕事を始めて20年。隊長も務めるようになった僕には、裁量権があります。つまり、自分が困るといつでも「弱者」になることができる。

苦手なことを避け、得意なことだけをやる。嫌いな奴は遠ざけて、都合のいい奴を近づける。自分ではそんなことやってないつもりでも、いつしかそのような「老害」をみんなに与えているのかも知れない。

草舟さんは、
楽して得られるものなどない。苛酷で辛い毒を、自ら率先して食べ続けるしかないと言います。「逃げるな!」ということです。
「肉体の毒」、「精神の毒」、「文明の毒」を食べなさい。そして乗り越えなさい。その先に賢人としての老人がある。
この老いこそが、「耆」という言葉に相応しい秀でた老いであると。

茶道、華道、柔道のように、「消防道」にも終わりはありません。
なのに僕は、毒を食べるのを放棄して、勝手に終わりを作ってしまってたんじゃないか?楽な人生を歩もうとしているんじゃないのかな。

未完を追いかけるのをやめてしまったのでは、消防士である意味がありません。今よりもちょっとだけで良い消防にして次世代につなぐ。僕ができることはこれしかないのです。

2024年。
本当に良い本(耆)に出会いました。


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