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途上国「開発」は偽善か否か

海外協力青年隊についての記事を読んでいた。

応募したいのか?そう言われると別にまだない。
政府開発援助(ODE)事業に興味があるかと言われたら微妙だ。
まだよく分からないから批判的なコメントは避けるが、正直懐疑的だ。

そこでなぜ海外協力青年隊を目指し始めたかという記事が出てきた。

開発という言葉を何時意識し始めましたか?

そんな質問があった。

開発。。。
先進国が自分たちほどは発展してしない国を勝手に「発展途上国』と決めつけ、「開発』する。なんて気持ち悪いアイデアだろう。

開発途上国とされている国々は本当にそれを望んでいるのだろうか。
多分そうかもしれない。一見。

資本主義に支配される今、富=が幸福とされている。
そして、豊かになるためには先進国のように経済を発展させる必要がある。

ああ、このロジックは合っているだろう。
しかし、それが本当に幸せなのか。お金では測れない幸せもあるので花だろうか。

けれども、まずはお金がないと何も始まらない。
食べるものもなく今にも死にそうな人が、お金がなくても幸せなどとは言っていられない。
お金で測れない幸せとは、お金で手に入れることのできる必要最低限の幸せが会って初めて語れることにできるものである。
すでにお金がある人の特権である。

そう思うと、私も資本主義に支配されているのだろうと思い、悲しくなる。
でも、この世の中、特にの本に生まれ、資本主義から逃れることは不可能だ。
悲しい。でも何もできない。そして私も服を買ったり旅行に行くのが好きだ。
全てお金を使う消費活動である。たとえ自然に触れたいと思ったとしても、たくさんのお金を使い都会から離れたところに向かうだろう。全てお金。

生きるためにはお金が必要。
そして開発途上国とされる国々では、お金がなくて生きられない人がたくさんいる。

そう思うと、開発は絶対悪ではないかもしれない。
けれど、一方的に途上国と決めつける現代の考え方は思うところがある。

悩めば悩むほど、胸が苦しくなる。
人は私を考えすぎだという。
けれど、考えてこその人生だと思う。
思考を放棄した瞬間、人は全て失う。

思考はお金がなくてもできる活動だ。人間としての活動。



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