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ある晴れた日には

この町に引っ越して来て1ヶ月が経ち、私は新しい町での生活に慣れ始めていた。
ここ数日は天気も良く、春の日差しが眩しい。
一方で春は変わった人たちが出没してくる季節でもある。

私が近くのスーパーで昼飯を買って帰ろうと歩いて帰っているときだった。前からこちらに向かっておじさんが四つん這いで歩いていた。おじさんは犬のコスプレを着ており、首輪にはリード、そしてそのリードを日傘をさしたおばさんが持って少し後ろを歩いていた。
異常、という言葉がピッタリな光景だったが犬おじさんは何事もなさげに私の横を通り過ぎ、日傘おばさんはこちらに軽く会釈をしながら通り過ぎた。

次の日、今度はスーパーから出たところに犬おじさんはいた。スーパーの前の電信柱にリードを結ばれた犬おじさんは、ボーッとした顔で体操座りをしていた。
「何をしてるんですか?」私は思わず声をかけた。
犬おじさんは驚いた声で返事をした。
「え、いや、何と言われると、犬です。」
そのままと言えばそのまま、意外と言えば意外な答えだった。
スーパーの前を行き交う人たちもチラチラとこちらを見ながら通り過ぎていく。これ以上関わってもロクなことは無さそうだ。失礼しました、と犬おじさんに軽く会釈をして帰宅した。

次の日も、また次の日も毎日毎日スーパーの前に犬おじさんはいた。そして変わらず体操座りをしていた。
そんなある日。
「あのー、そこの若いお兄さん、あなたも毎日このスーパーに来てますね。」
「え!?」
犬おじさんに突然話しかけられた。

「先日話しかけられてから気にして見てたものですから。それよりあなたいつも上下スウェットでこのスーパーに昼ごはん買いに来てますよね?大学生?」
「いや、この春卒業して、、。」
「今お仕事中?そんな感じにも見えませんが。」
「いや、、仕事はしてないです、、辞めたので、、。」
「辞めた!?そりゃまたどうして?」
「新卒で入った会社の研修が自分に合わなくて、、今また仕事を探してるところです!」
「いえいえ、責めるつもりはありません。むしろあなたは真面目に考えすぎているのかもしれない。人生には息抜きが必要です。あなた犬はお好きですか?」
「好きです。実家で飼ってましたし。」
「そうですか。では犬になりたいと思ったことは?」
「楽そうで良いな、とは思ってました。でも人間はそうはいかない。働かないと!」
「それが真面目すぎるということなんです。なぜ働くんです?生活のため?
それなら飼い主に養われるのと、会社に養われるのどう違うんです?試しに一度で犬になってみませんか?」
「試し、、。」
私は犬おじさんに言われるがまま、犬のコスプレを着せられた。犬おじさんは私の着ていた服を着ている。
「どうですか?意外といいもんでしょう。」
「うーん、、。」
正直就活の悩みから解放されるのであれば、これはこれで悪くないかもしれない、と思い始めていた。
「何事もやってみないと分かりません。仕事もそうですよ、やってみないと分からない良さがあるものです。」
「そうですか、、。」
「まずは一日だけ、犬でいてみてください。飼い主は毎日このスーパーに来てますから。また明日ここで会いましょう。その時また感想を聞かせてください。」
「、、。わかりました。一日やってみます。」
「では直に飼い主が帰ってきます。それまでここで待っててください。しっかり犬になりきってくださいね。」

犬のコスプレをした若者を尻目に旧犬おじさんは呟いた。
「やーっと解放された。おれがハメられたあの方法に同じようにかかってくれる奴がいて助かったぜ。あの若者には悪いが、あの飼い主からはそこらの会社みたいに簡単には逃げ出せねえからな。さてチャンポンでも食べて帰りますかね。あー天気が良くて気持ちいいなあ!」
おじさんはスーパーの前に戻ってくることは二度となかった。

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