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高校生カッコジョシ

私は自分のことを本物の女子ではなくジョシモドキのような何かであると思っている。

物心ついた時から太っていた。

温かい家庭に生まれ、両親から十分な愛情を与えられて育った私は食べることが大好きだった。

私の爽快な食べっぷりを見て、両親は非常に喜んだ。
幼心ながら、皆美味しそうに食べる自分を見たいのだと思った。
いつのまにかほっぺたは他の子よりもふくふくとし、お腹は他の子よりもぽっこりとつきだし、手足は他の子よりも幾分か太くがっしりとした。

初めて自分のヒマン体型を恥じたのは小学四年のときだ。
遠足で撮られた集合写真の真ん中に写っている自分を見てギョッとした。
自身のパンパンに膨れ上がった顔、体操着から覗くはちきれんばかりの太もも、だらしなく垂れ下がった胸の脂肪。
私は他の女子と見た目においてかけ離れている。
自意識が生まれた瞬間だった。
他の人間には、自分はこのように写っているのか、と思うと今までの自分の振る舞いを猛烈に恥じた。
幸いにも明るい性格をしていたので、見た目が原因でいじめを受けることはほとんどなかったが、いつ、誰に「デブ」と罵られてもおかしくないという恐怖が常に脳内を支配した。
実際に時々体型のことで何か指摘を受けると、心の奥底深くまで刃物を突き刺され、グリグリとえぐられているような気持ちになった。

「私はさ、ジョシコウセイじゃなくて高校生カッコジョシだから…」

高校1年生になったばかりの頃、仲の良い友人がポツリとそんなことを言った。
小柄な私に対し、友人は縦にも横にも大きかった。

高校生カッコジョシという言葉はそれ以来私の頭にこびりついて離れなくなった。
世の中の高校生がジョシコウセイと高校生カッコジョシの2つに分類されるとしたら、自分は間違いなく高校生カッコジョシだった。
しかし、私はジョシコウセイに憧れがあった。
できることならジョシコウセイになりたい。
ジョシとして見られたい。

ジョシコウセイになることを強く望んだ私は過激なダイエットをし、イマドキの音楽を聴きあさり、ドキドキするくらい短いスカートを履いた。
ダイエットによってほっそりした私を優しい母親は綺麗になったと褒めた。
友人の中には「かわいい」という言葉をくれた者もいた。
しかし、どんなに体重を落としても、どんなに短いスカートを履きこなしても、どんなに赤いリップをたくさん塗っても、私は自分をジョシコウセイであると感じることはなかった。

結局自分はジョシらしいことをしているジョシモドキなのだ。

ひとたび蛾として分類された生き物に、蝶になる機会は二度と巡ってはこないのである。
肉が落ち、すっかり小さくなった自分の胸を見つめながら高校生の私は一人風呂場で落胆した。

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