見出し画像

母の病歴2012~初発症状①

初期症状に気がつくのが遅れた?

私の記憶の中で母は健康な人だった
いや、自分の体調に鈍感だったので調子の悪さに無頓着だったというのが正確な表現かもしれない

初産で私を産むときには

「陣痛は天井の模様が見えなくなるくらい痛い」という
祖母の言葉を鵜呑みにして痛みが5分間隔になっても
「まだ、天井の模様が見えるから違う」
と子宮口全開まで病院に行かなかった天然鈍感な人。だから少しの風邪には気がつかないで人生を送ってきた
ある意味幸せな人。そんな母が調子の悪さを訴えてきたのは2012年

当時母と父は仙台に住んでいて
私は横浜で3児子育て真っ最中
よく今流行のリモートで子どもたちの顔を見せながら
テレビ電話をしていた

父がメインのテレビ電話に時々母が出てくる
そこで話していた時に顔を見て
看護師の勘が働いた

「なんか、目がおかしいよ!」

時おり左の眼の動きが悪い。
表情筋の変化が左右対称ではないときが時たまあるのだ
その場でカメラを通して追視検査をしたり
細かい手の動きや下の動きのテストをしたりして
私は脳の疾患を疑った
全てのテストにおかしいところはないが
やはり眼の動きが少し左が遅れるのが気になって
母に病院に行くように言った。

「眼科には1年くらいかかっていて目の炎症があるからって目薬もらっているよ~」

呑気に効かないといいながら同じ眼科に通い続けているらしい。
母らしいなと思いながら
脳神経内科に受診するように促したが当時母は
自分の実母(私にとって祖母)を遠距離介護中
次週には名古屋に行かなくてはいけなかったので
「1か月後仙台にかえったらね」
といつものように自分の体調は後回しで気にせず
祖母の介護のために名古屋に行ってしまった

名古屋でまさか急に症状が進むだなんて思わなかったから
母から電話がかかってくるまで私も特に気にせず過ごしていた

名古屋で出た症状

母は日本語の教師なので長期休みにまとめて名古屋に行って
祖父が生きていた時には祖母と協力して
アルツハイマーの祖父の介護をして
祖父が亡くなった後には一人暮らしの祖母の手伝いをするという生活を
2001年頃から送っていた

私も弟も独り立ちしていて
仙台には父と母だけ
当時は仕事を父もまだしていたが
父は家のことが何でもできる人なので安心して家をあけれると言って
忙しく飛び回っていた

2012年
いつものように母は夏休みに入るとすぐに名古屋に向かって
足腰が悪く心臓の持病がある祖母がようやく一人暮らしを保っている生活の手伝いをするために名古屋の暑い夏を過ごしていた
祖母の身体のことや介護保険のことなど
相談に乗っていたので名古屋からもよく私に電話がかかってきていた

「〇〇(母の名前)の調子が悪そうだ」

祖母も心配するような眩暈がある様子で
普段自分の身体の調子を鈍感に感じない母にしては珍しく
休み休み短い滞在の名古屋で済まさなければいけないことを動き回っていたらしい
母と電話で近くの総合病院の脳神経内科を受診するように説得した。
相変わらず「もうすぐ仙台に帰るから仙台で行く」という母に眩暈も目の動きも気になることを伝えて胸騒ぎの原因をしっかりとさせたかったので早く病院に行ってほしかったのを覚えている
母より私の方が不安だったのかも(笑)

でも、そこで行った総合病院の脳神経内科の先生が
これから始まる治療への道筋を作ってくれた人だった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?