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死んだ恋人に会いにいく 第4話

闇夜

「唯さんと最後に会えてよかったです」
 頬に幾筋もの涙痕をつけた芝川さんが水守さんの母親に礼を言い、その背後にいた私たちも彼女に倣いこうべを垂れた。

 墨汁で塗りつぶしたような闇に包まれた山道を、往路よりもさらに慎重に歩みながら、少し前を行く高畑の背中に声を掛ける。
「高畑は水守さんと最後に会ったのって、いつ頃になるの?」
「今年の春の……同窓会が最後だったよ。そういえば叶多君はいなかったんだよね?」
 彼の言葉に他意がないことはわかっていたが、適当な理由をつけて同窓会に参加しなかった身としては耳が痛かった。
「それじゃあ彼女に恋人がいたかどうかなんて知らないか」
「さあね」
 だとすれば、卒業後に交際をしていた相手がいたということになるのだろう。
 彼女も私と同様で、確かどこか都会の大学に進学していたはずだ。
「何らかの事情で恋人が亡くなってしまって、彼女はそれを追うかたちで、ってことなのかな?」
「叶多君さ、さすがに野暮じゃないか? 水守さんには水守さんなりの事情があったって、それだけのことなんじゃないの? それに僕たちはたった今、その彼女の通夜に行ったところなんだよ?」
 口調こそ穏やかではあったが、私のくだらない質問が彼のかんに触れてしまったようだった。
「……悪い。高畑の言うとおりだ」
 自身のあまりの軽率さに思わずため息が漏れて出る。

「私はこれでごめん。明日、朝から仕事なんだ。お正月の同窓会の時にはまた帰ってくるから」
 やがてスタート地点の校舎が間近に見えてきたところで、本日のリーダーであった芝川さんがパーティーからの離脱を宣言した。
「みんなはどうする?」
 サブリーダーの高畑の問い掛けに、残りのメンバーは互いに顔を見合わせる。
 この町に今から遊べるような場所など存在しないことは、住人である我々が一番よくわかっていた。
「じゃあまあ、お開きとしますか」
 特に反対意見は出ず、集合時と同様に挨拶を交わし合うと解散と相成った。
「あ、ねえねえ中原くん」
「ん?」
「あのね。申し訳ないんだけど、駅まで送ってもらえないかな?」
「ああ、ぜんぜんいいよ。高畑もいいよね?」
「もちろん」

 今年の夏は冷夏になるようなことをテレビのニュースで聞いていた。
 だが、いざ蓋を開けてみれば、例年とさして変わりのない灼熱の日々が今日まで続いている。
 盆地に存在するこの町はさぞ暑いだろうと、若干の覚悟を決めつつやってきたのだったが、実際に訪れてみるとまるで季節を半歩ばかり前倒しにしたかのように涼しかったので驚いてしまった。
「そういえばさっき、水守さんの家を出る時にさ」
 後部座席に座る高畑が唐突に口を開く。
「うん?」
「家の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえたでしょ?」
「え? 私は気づかなかったけど」
「僕もわからなかったな。あそこの家って赤ちゃんがいるの?」
「いや。でも多分、奥の座敷に親戚の人たちがいたんじゃないかな」
 そう言われれば、和室と繋がった襖の向こう側に複数人からの気配があった。
「それがまるで産声みたいで、なぜだか涙が出そうになっちゃったんだよ。それってさ、もうじき自分が父親になるからなのかなって」
「え? 高畑くんパパになるの? てゆか結婚してたんだっけ?」
「あ、芝川さんにも言ってなかったっけ?」
「聞いてない! いつしたの? 相手は誰? お式は挙げたの?」
「……こりゃまいったな」

 芝川さんからの詰問にタジタジになる高畑を見守りながら車を走らせていると、あっという間に第一の目的地である高畑家に到着した。
「あ、叶多君。帰る時でいいからもう一度寄ってってよ。うちで採れた野菜、食べてもらいたいからさ」
 そう言って笑顔を見せた彼の白い歯だけが、明かり一つない闇の中に浮かんで見えた。
「わかった。その時にまた連絡するよ」
「高畑くん、奥さんによろしくね。それじゃまた来年!」
「うん。芝川さんも気をつけて帰って」

 高畑の家をあとにすると、次の目的地である隣町の駅へと向かい車を走らせる。
 学校を出発する前に調べた経路では、このまま県道をひたすらに走って山をひとつ越えればたどり着けるはずだった。
 車が山道に差し掛かる直前、助手席に座っていた芝川さんが声をあげる。
「中原くんごめん。そこの自販機によってもらってもいい?」
 言われるがままに、漆黒の闇の中で煌々と光を放つ鉄の箱の前に車を寄せる。
「中原くんはどれがいい?」
「自分で買うよ」
「どれがいい?」
 さすが元クラス委員長なだけあって、彼女の押しの強さは相変わらずの様子だった。
 普段ならコーヒー一択だったが、早朝に起こされて半日もステアリングを握っていた体が、まるで目の前の自販機に群がる蛾や甲虫たちの嗜好を真似るかのように糖分を求めていた。
「じゃあ……メロンソーダ」
 子どものようなオーダーを黙って受け入れた彼女は自販機へと詰め寄っていった。
 私も彼女に続いて星空の下へと打って出た。
 自販機から少しだけ離れた路側帯脇の縁石に腰を下ろすと、コンクリートに蓄えられた熱がズボン越しに伝わってくる。
 それはまるでプールサイドのコンクリートの上に座った時のような、妙に懐かしさを感じさせる温もりだった。
「おまたせ。はい、コレ」
「ありがとう」
 キンキンに冷えた黄緑色の液体を喉に流し込む。
 メロンソーダなどという代物を飲んだのは子供時代以来であったが、大人になった今であれば断言できる。
 これは絶対にメロンの味ではない。
 そもそも色味以外にメロンの要素がないようにすら思えた。
 あえて言うならメロン味味だろうか?
「難しい顔してどうしたの?」
「あ、いや。ちょっと哲学的な考察に耽ってた」
「えーなにそれ?」
 彼女はそう言って小さな声で笑うと私のすぐ隣に座り、小さな缶に入ったオレンジジュースを甘酒でも飲むようにチビチビと口に運んだ。

 暗闇の道路脇に座り込み、黙々とジュースを飲む礼服姿の若い男女。
 この光景を通りかかったドライバーが目にしたら、いったいどう思うことだろうか。
 時期が時期だけに、少々不安な気持ちにさせてしまうかもしれない。
 そんなどうでもいいことを考えながら、空になった缶を自販機の横に設置されたリサイクルボックスに捨てるために立ち上がろうとした、その時だった。
「中原くん」
 唐突に芝川さんに呼び掛けられ、縁石から腰を数ミリだけ浮かした状態で彼女のほうを向く。
「なに?」
「あのね、私ね。三日前の夜にね、電話をもらったの」
「電話?」
「……唯ちゃんから電話があったの」



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