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海の青より、空の青 第12話

ロマン

 昼飯を終えたあとの僕は、午前以上に暇を持て余していた。
 テレビも落語やゴルフ中継など大人向けのものばかりで、子供が見て面白いようなものはひとつもやっていない。
 父と祖父は昼飯を食べ終わるやいなや、ホラー映画のゾンビのような足取りで布団へと戻っていった。
 それでいて彼らはきっと今夜も酒盛りをするのだろう。
 大人というのは本当に不思議な生き物だと思う。

 いよいよ明日の分の宿題に手を付けようかとしたその時、我が母が救いの手が差し伸べてくれた。
「ロマン行くけどあんたもくる?」
「うん! 行く行く!」
 暇だったことを差し引いても、母の口から出た『ロマン』という名前に心が踊る。
 ロマンとは、ここから車で二十分程の市街地にあるスーパーマーケットの店名で、祖父母の家に来た時の楽しみの二割弱はロマンに占められていたといっても過言ではない。

 灼熱地獄と化した車内に母、伯母、祖母の四人で乗り込むと、四枚ある窓を全開にしたまま車は走り出した。
 母曰く、一旦空気を入れ替えた方が冷房の効きが良くなるそうだ。
 やがて外気から切り替えられた空調の力により、車内は一気に快適空間へと変貌する。
「そういえばおじさんは?」
 今朝方にあっちゃんを送って行ったきり姿を見せていない伯父の所在を、後部座席から少しだけ身を乗り出して助手席の伯母に尋ねる。
「おじさんは夜あっちの家の親戚が来るから、今日はそのまま片付けとかしてるって。おばさんも夕方には帰らないと」
 伯父の親戚は近隣に集まって住んでいることもあって、平時から頻繁に交流があるのだそうだ。 
 なので、お盆といえども一堂に会してどんちゃん騒――先祖を偲ぶのも今夜一晩だけだという。
 本来はあっちゃんもそちらに参加するべきなのだろうが、あちらの親戚に年の近い子供がいないこともあってか、少しだけ顔を出したあとに彼女ひとりだけはこちらへと戻ってくるらしい。

「明日那はおばさんらよりも夏生ちゃんと一緒に居たいんだって」
 そう言ってから振り返った伯母は、普段の人の良さそうな表情とは似ても似つかない、とても厭らしい笑みを浮かべていた。
 どうも伯母は――うちの母もか――僕とあっちゃんの仲を勘違いしている節があった。
「僕もあっちゃんが好きだから嬉しいよ」
 この一言が余計だということは、さすがの僕でも当然よくわかっていた。
 だが、僕はとにかく嘘をつくということに強い抵抗があり、そのせいでこれまでの人生でも何度となくいらぬ誤解を招いていた。
 だからといって、我ながらもう少しマシな言い回しがあったような気もするが、親戚を相手に気取る必要もないだろう。
「あらま」
 これには伯母だけでなく、母と祖母までもが鋭敏な反応を示した。

「夏生ちゃんが明日那と一緒になってくれたら結婚式が楽でいいわ」
 伯母さんそれ昨日も聞いた。
「お母さんも賛成。それに『いとこ同士は鴨の味』って昔から言うし」
 あっちゃんのイメージは鴨というよりはアヒルに近い気がする。
「昨夜もあんたらお墓で仲良しだったもんねぇ」
 確かに人様の家のお墓の前で抱き合ってはいたが。

 こんな様な流れも今までに一度や二度ではなかったのだが、その度に「そういうのとはまた違うから」とだけ言い、あとは全部無視するようにしていた。
 なので今日もそうしようと思う。
 あれやこれやとやたらと楽しそうな女性陣を尻目に、車窓を流れる緑成分の多い景色に目を向けた。
 県道を右折した車は西から北へと進路を取り直す。
 そこは、いま走っていたの県道と遜色のない道幅を備えた広域農道で、ネギや茄子それにピーマンなどが植えられた赤土の畑が、地平の遥か向こうまで続いている。
 視界を遮るものがない広大な耕作地は――実際に行ったことはないのだが――そこはかとなく北海道のそれを連想させた。

 さらにしばらく走ると、緑色をした毛足の長い絨毯を敷き詰めたような水田が、視界の果まで続く田園が現れる。
 その只中を進む車は、さながら稲穂の海を渡る一隻の船のようだ。
 ふと仰ぎ見た空には、海鳥の代わりに二匹のトンビが気持ちよさそうに大きな円を描きながら、八月の青空を自由気ままに泳いでいる。
 幼かった頃から何度も何度も通ったここの道だが、いつになってもこの風景の新鮮さが失われることはなかった。
 毎時三〇キロメートルの制限速度を守って走る我らの車が、道路脇の歩道で自転車を漕いで走る同い年くらいの男の子をゆっくりと追い抜く。
 意味もなくその子を目で追うも、道路がわずかにカーブしたことですぐに見えなくなってしまった。

 やがて道の脇に民家や商店がちらほらと見え始めると、まるで時間を早回しでもしたかのように、景色は急速に現代のそれへと移り変わる。
 片側二車線の大きな国道を横切り旧道へと入った途端、再び時代が巻き戻された。
 時代劇で目にするような、黒光りした木材の建物が道の左右に連なるそこは、江戸時代には大きな宿場町だったのだという。
 地面こそアスファルトで覆われてしまってはいたが、少し目を細めれば今でも往時の様子を窺い知ることができた。
 もっとも、十数メートル置きに車道にはみ出して設置された電柱が乱立する、センターラインも無い道路を運転をする母は大変そうだった。
 対向車が来る度に電柱の影に車を寄せ、次の瞬間には歩行者や自転車を避けるために道路の中央を走ったりと、乗っているだけの僕ですら神経が磨り減りそうだ。
 そんな通りに面した場所に、目的地であるスーパーマーケットロマンは存在していた。

 ロマンは二棟の平屋の店舗て構成されている。
 駐車場のすぐ近くにある建物には精肉店と持ち帰り寿司店、それに宝飾店兼時計店が横並びで入っており、もうひとつの建物にはスーパーマーケットと婦人服屋に寝具店、それに僕のお目当てである本屋と玩具店などがあった。
 とどのつまり狭い建物の中に沢山のテナントがギッチリと詰まっているのだが、その雑多な雰囲気こそがここの醍醐味であり、僕の家の近くにある近代的なスーパーにはないロマンだけの持ち味だった。
 ところどころペイントが消えかかった駐車場に車が止められたのと同時に、脱兎の如き勢いで店舗へと向かって駆け出す。
 商業施設としては天井が異様に低く、そこに付けられた蛍光灯は少し黄ばんだ色の光を放っているし、リノリウムの床もよく見ると小さく波打っていて平坦ではない。
 これで閑散とでもしていたら悲しい気持ちにもなるだろうが、お盆という時期であることを差し引いても店内は活気に満ち溢れており、そのギャップが僕のロマン愛の根源でもあった。

 大人たちが食料品の買い出しをしている間にまず僕が向かったのは、建物の右側奥にある本屋だった。
 背の高い本棚にズラッと並ぶ、色とりどりのコミックの背表紙を見ているだけでも楽しいのだが、僕の目的はその奥にある怪談話や心霊写真などのオカルトを扱った、子供向けの娯楽書籍たちだ。
『都会の片隅に潜む怪異たちは、暗闇の向こう側からいつもあなたを見つめている』
 ――などといったような、おどろおどろしくも胡散臭いキャッチコピーと、色反転をふんだんに用いた不気味な写真が載ったそれらの本が僕の愛読書だった。
 この日のために貯めていたお小遣いに物を言わせ、出たばかりの新刊を二冊購入すると、その足ですぐ横にある玩具店へと吸い込まれていく。

 レジ前のガラスケースの中に所狭しと陳列されているゲームソフトをひと目見た瞬間、自然と溜息が漏れてしまう。
 同じような形状と大きさの箱ばかりゆえに、本来その陳列方法はどこの玩具店でも似たり寄ったりではあったが、ここの店では箱の裏側に記載された写真やテキストがよく見えるような工夫が凝らされている。
 そのおかげで、ガラスケースの前でしゃがんで上を見上げたりといったアクロバティックなムーブが強要されることもなく、ただ立ったままにソフトを吟味することができた。
 次に向かったのはプラモデルのコーナーだ。
 もはや壁かと疑いたくなるくらいうず高く積み上げられた箱の中に、知っているキャラクターがどれだけいるか確認する。
 狭い通路の足元では、やたらと凶悪な顔をしたチンパンジーの玩具がシンバルを打ち鳴らし己の存在を主張しており、その混沌加減カオスっぷりに心が踊る。
 もっとも、玩具店の商品は本のようにはやすやすと購入出来る値段でもなければ、いくら小遣いを使うといっても親の許可を得ずに買うわけにもいかないので、今日は文字通り見るだけにしておいた。
 僕にとっては玩具とは、見るだけでもある程度の欲求を満たしてくれるような、謂わばちょっとした美術品のような存在でもあった。

 個人行動を十分に堪能すると、大人たちと合流するべく生鮮食品エリアへと向かう。
 惣菜コーナーの前でカートを押しながら揚げ物を物色している母を見つけ、本屋で入手したばかりの戦利品を得意げに自慢する。
「あんた本当に好きね。そういうの」
 呆れ顔を浮かべた母とのこのやり取りは、覚えている限りでも三年連続で行われており、そろそろ恒例行事になりつつある。
 祖母と伯母は別棟にある精肉店で買い物をしているとのことだったので、僕はこのまま母の後ろをついて歩くと、自分の分と彼女あっちゃんの分のお菓子やジュースを買ってもらう。
 レジで精算を済ませた買い物カゴ二杯分の食料を、ビニール袋代わりの段ボール箱に詰め込んで車へと戻った。

 帰りの車内で買ったばかりの本を読んでいた僕は、案の定ではあったが盛大に車酔いし、家に着くと同時に玄関脇の芝生の上に倒れ込んだ。
 ちなみにこれも毎年のことなので、大人たちは誰一人として気にしている様子もなくちょっとだけ寂しい。
 ぐるぐると回る頭の中で、今朝からずっとゾンビになっていた父や祖父の姿を思い出す。
 男という生き物は、何ともまあ懲りない愚かな存在なのだろうか……。


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