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海の青より、空の青 第14話

祭りのあとに

 頃合いを見計らって盆踊りの輪から抜け、広場の隅で僕たちの踊りを見ていた大人連中の元へと戻ってきた。
「お疲れ様。あんたら踊りがなかなか堂に入ってたよ」
 母が発したど直球の褒め言葉に思わず腰が引けそうになったのは、僕という人間があまり褒められることに慣れていないせいだろう。
 運動神経が良いとはいえない僕にとって、自発的に運動をする機会自体がそう多くなくなかった。
 もしかしたら今夜の盆踊りで、夏休み全体の総運動量の半分くらいは費やしたかもしれない。
 早くも上腕には鈍い痛みが出てきており、明日の目覚めとともにやってくるであろう筋肉痛を覚悟した。

 踊りに夢中になっていて気が付かなかったが、いつの間にか夏の夜は終わりへと近づいていたようだった。
 つい先ほどまで広場に大勢いた村の人たちも、気づかぬうちにその数を半分ほどに減らしていた。
 五、六軒が出店していた夜店の屋台は、その半数が明かりを落として撤収作業を始めている。
 さっきまで僕の後ろで盆踊りの輪に加わっていた高校生くらいの女の人も、家族と思しき人たちと楽しそうに話しながら広場を去って行く。
「あっちゃん、かき氷食べに行こうよ」
 僕はそう言って、広場の一番奥に店を構えているかき氷屋を指差す。
 団扇で首の辺りをぱたぱたと横に扇いでいた彼女は、その誘いに首をこくこくと縦に振って応じてくれた。

「はい! どうもアリガトさん!」
 店じまい前のサービスなのだろうか。
 強面のおじさんが優しく手渡してくれたかき氷は、南アルプスの三千メートル峰を思わせるような高さでそびえ立っていた。
 僕はブルーハワイ味で彼女はいちご味を頼んだのだが、やはりサービスなのであろう大量のコンデンスミルクが、スキー場のゲレンデよろしくその斜面を真っ白に埋め尽くしている。
「おじさんありがとう! また来年も買いに来ますね!」
 石楠花から向日葵に戻った彼女の笑顔と言葉に、強面のおじさんも満面の笑みで応えていた。

 広場の隅のブランコに並んで腰掛けると、思い思いの方法でかき氷を崩し始める。
 涼し気な青色に惹かれていつもブルーハワイ味を頼んでしまう僕だったが、そもそもブルーハワイ味とは何味なのだろうか?
 それはともかく、冷たくて甘くてとにかく巨大なそれは、盆踊りで火照っていた身体の熱を内部から取り去ってくれる。
 氷山をスプーンで崩しながら目を上げると、いつの間にやら祖母と母が盆踊りの輪の中に混ざって楽しそうに舞う姿が目に入った。
 向こうでは缶ビールを手にした祖父と父が、やはり楽しそうにその光景を眺めていた。
 夏が終わってしまう――。
 突然脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
 僕は毎年この光景を目にしていた気がする。
 明日の昼には海も山もない地元へと帰らなければいけない。
 無論その後も夏休みは二週間以上も続くのだが、僕にとっての夏というのは祖父母の田舎で親戚と過ごす、お盆のこの数日間のことに他ならなかった。
「あっちゃん。他にも何か買いにいこうよ」
 まだかき氷を食べ終わっていない彼女の手を半ば無理矢理に引っ張る。
 撤収作業の只中にある夜店で二人分の綿飴とたこ焼きを購入し、それを両手いっぱいに抱え込む。
 音も立てずに指の隙間からこぼれ落ちていく夏を、ほんの少しでも長くこの手の中に留めておきたかった。

 帰り道は無言だった。
 盆踊りの疲れからだろうか、それとも祭りが終わってしまったことで肩の力が抜けてしまっていたからか。
 暗がりでは往路と同じように彼女の手を取って歩いたが、互いの手を握る力は随分と弱々しかった。
「来年も一緒にこようね」
 広場をあとにしてから初めて口を開いたのは彼女の方だった。
 ただ、なぜだろうか。
 彼女のその言葉から現実味が著しく欠落しているように感じてしまい、一瞬ではあったが返答を躊躇ためらってしまう。
「……うん。来年も一緒にこよう」
 少しだけかすれ声で返すと、彼女は「ぜったいね」と念を押した。
 それきり言葉を交わすことのなかった僕たちに代わって、草陰では虫たちが声高らかに夏の夜を謳歌していた。


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