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「愛するということ」の考察。

今年で36歳になってようやく、この地球上は「量子力学で成り立っている」ということを学んだ私。
頭の良い人ならそんなことはとうにわかっていることなのかもしれないけれど、アホな私はそれを知るまで36年もかかったのである。実にスペックが悪い肉体ですね。
スペックは悪いかもしれないけど、感度はいい。そんなの自慢にもならないけど。

愛という言葉がこの地球に存在していて、きっと、表現方法はちがうけど、世界共通語なのだと思う。
いろいろな「愛」の表現があって、そのなかでひとは
「これは愛じゃない」「これが愛だ」と、定義づけしようと躍起になっている。
でも時代は変わってきているんだと感じたのは、それぞれ多種多様な「愛」があるなかで、自分たちが思う「愛」をしっかりともちながらも、他の「愛」という定義を受け入れる、というか柔軟に受け止める、そんな世界がこの地球に起きていることだ。
たくさんの人が「平和」を望んでいた。でも、それは「平和」とはこういうものだ、という定義に、固定観念に、枠入れしようとしていただけで、
柔軟に受け止めていくことができる世界はそれに近づいているのではないかと思う。

私みたいなアホは「恋愛至上主義」といわれてしまうのだろうけれど、そんな恋愛至上主義者と資本主義者が手を組んだらどんな世界になるのだろう?とさえ思うことがある。
私の恩師曰く「違う者同士が一緒になるから、成長できるんだよ」と。
資本主義者の欠点と、恋愛至上主義者の欠点を、お互いに学び合える。
そんな体験をしたいなぁ、というのが私の夢。

「愛するということ」
ある人は「何かを慈しむ思い」だといった。
またある人は「理解すること」だと。
またある人は「容認すること」とも。
愛する人ができるということは
自分がさらに広がるのを感じるだろう。
だから愛するということは
宇宙という名前の「無限」を感じること
その中で生きているという幻を体感すること。
今見た現実は、次の瞬間には現実ではなくなるのだから。
今日の私は、明日には死す。
そして明日の私は、今日の夢。
その中で愛するということは
確かにそこに、自分がいることを体感すること。
そこに尽きる気がする。

どうせダメなら、どうせアホなら、
周りの人を幸せにできる自分になりたい。笑顔にしたい。
自己満足で終わらせたくない。
愛するということ。

もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)