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塔、自由に一首評 美しきセックスの歌

毎月の塔短歌会会誌のなかで気になった歌を自由に記録していきます。その月の紙面初出かどうかに限らずいいと思った歌を自由に載せていきます。今回は24年4月号からです。

背後より触るればあわれてのひらの大きさに乳房は創られたりき 永田和宏

1981年塔全国大会

対談の中で発表当時あまり評価されなかったという文脈で言及された歌だ。確かに露骨な性的描写かもしれない、しかしこの歌はそのような様子をとても軽くパステルカラーの色鉛筆で書いたように表現していると思う。

まずそのような優しい雰囲気がどこから来ているのか考えてみよう。パステルカラー感を醸し出しているのは「あわれてのひら」をあえてひらがなで書いていることに起因している。もしこれが「哀れ掌」ならば力の入ったゴツゴツの掌を連想させてしまい、作品の雰囲気をぶち壊すことになるだろう。このように開くことで優しく包み込む手のひらの様子をうまく雰囲気としても伝えている。

なぜこの歌が単なる露骨な性的描写の歌とは一線を画しているのだろうか。その理由は最終句の「創られたりき」に起因している。この言葉が提出歌を人間という存在自体についての歌へと昇華させている。思えば、セックスは人が生まれたままの形に戻り、その形を追求、賛美する尊い行為である。相手がこの世に生まれ、今そこにいることに対する奇跡を噛み締める時間である。時に快楽だけの側面として見られがちな性的行為を永田の歌は超自然的な現象へと押し上げていると感じる。

作中主体が相手が今そこにいる奇跡を、相手が自分のパートナーとなっている奇跡を痛感していると感じさせるもう一つの要因は手のひらの大きさが乳房の大きさであるという気づきからも読み取れる。このフレーズが相手と作中主体がパズルのピースのようにはまった様子を連想させる。そして、それが神のような何かによって定められた超自然的なものであるとまとめるのだ。

このようなセックスの美しい側面を人は忘れがちではないだろうか?この歌がそんな気づきを与えてくれた。


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