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「こうするべき」で生きていた頃のお話

久しぶりのnoteです。

今日のお話は取り留めのないお話になるかもしれないので、興味をお持ちいただけた箇所だけでもお読みくださると嬉しいです。

もちろん、最後までお付き合いいただけたらとても嬉しいです。

2年前、はじめてライフチャートを書いた

2年前、人生インタビューがテーマのオンライン取材にお声がけいただき、インタビュー素材としてライフチャートを書くことになりました。
お恥ずかしながら、ライフチャートをきちんと書いたのはこの時が初めてで、改めて自分の人生を見直すきっかけになりました。

そのときに書いて提出したものがこちら。

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当時、27歳(2022年現在、28歳)

人生の転機を最大5つまで記入できる仕様のツールだったので、私は下記5つを書きました。

もし今「人生の転機を5つ書いて」と言われても同じポイントを書くだろうと思うくらい、今の私を形作るに至った過去たちです。

グラフを見ていただくと分かる通り、22歳を境に曲線が上振れています。
今日は、22歳時の私が気づいた「あること」をお話ししようと思います。

「いい子」を知った幼少期

いわゆる「教養」を学んだ幼少期。「しつけ」とも言い換えられるのかもしれませんが、我が家の場合は、元教師だった祖父母からのしつけが両親より力を持っていました。その「しつけ」がどうやら普通ではないようだと気づき始めたのは、小学校低学年の頃。

例えばこんな感じ。

・人様に失礼のないように、お作法を勉強しましょう
 → 4歳のとき、電話対応と来客対応の仕方を学ぶ
  例)ご挨拶の言葉、お辞儀の仕方、ふすまの開け閉め、お食事の出し方、お抹茶のたて方... etc.

・女の子だから、料理ができるようになりましょう 
 → 5歳の誕生日プレゼントは、本物の包丁セット

・毎食前、一家の大黒柱(祖父)の部屋へ食事の準備ができたことを伝えに行きましょう

・家の中でも、ドアを開ける前はノック3回「失礼します」で確認してから開けましょう

・毎日寝る前に祖父母の寝室へ行き、正しくふすまを開けて正しく就寝の挨拶をして正しくお辞儀をしてから寝床につきましょう

など。

ありがたいことに、4歳児が見よう見まねであれやこれやと世の中のマナーやルールを守ろうとしている様子をあたたかい目で見ながら褒めてくださる大人の方が私の周りには多く、幼少期の私は褒められる嬉しさを感じながらびのびと学んでいました。

そのため、今でも「しつけが厳しくてしんどかった」という感情はなく、むしろ楽しく学んでいたので「おじいちゃんおばあちゃん、さすが先生だなあ」と思います(笑)。

年長さんくらいになると、何をすると叱られ、何をすると褒められるのかがある程度わかるようになり、大人が「いい子」と判断する子どもがとる行動もなんとなくわかるようになってきました。この頃から、「いい子でありたいなら、たぶんこうするべきだろう」と考えて行動していた自分がいたと思います。

どんなに調べても行動してもしっくりこなかった「私の就職はどうするべき?」

教師だった祖父母の影響もあり、小学生の頃に「小学校の先生になりたい」と思った私は、教育学部に進学。詳細は割愛しますが、大学3年次の母校実習後、教職の道に進まないと決め、小学生以来抱き続けた夢はなくなりました。

さて...

・私は何になりたいの?
・私は何がやりたいの?
・何が私に向いてるの?
・どんな仕事があるの?
・どうやって企業探すの?

頭の中がハテナだらけ(カオス)でした。

あれやこれやと調べては本屋さんに行ってみたり、合同説明会に行ってみたり、企業の説明会に行ってみたり。この頃の私は就活で一時的に実家に戻っていたため、毎日のように両親に「この企業いいと思ったんだけどどう思う?」と聞いていました。

そう。ここが重要です。

 両親に「この企業いいと思ったんだけどどう思う?」と聞いていました。

我が家の場合は、全て「NO」にほぼ等しい「う〜ん」でした。
当時の私は、両親の返事を聞いて余計に不安になりました。幼い頃のように「これをしたら褒められる」「あれをしたら叱られる」でもなく、いいとも悪いともとれない曖昧な反応が。

でも、そもそも勘違いも甚だしいですよね。
今こうして文章を書きながら改めて猛反省なのですが、両親からしたら「そんなこと聞かれてもわかるわけがない」のであって、答えは私の中にしかないのです。

結局は、自分の外に「こうするべき」の解を求めていたんだと、そんな自分に気付き猛省して行動を変えられるようになったのは、大学4年生になってからでした。

「はじめて “ 私はこれがやりたい “ って言ったね」

その後、自分と対話しつつ紆余曲折を経た結果、新卒で就職せず、長期ボランティアという形で海外の現地校で日本語教師をすると決断。烈火の如く両親の猛反対を受けました。

説得のため、一人暮らしをしていた場所から実家まで往復5時間かけて帰宅しては、私がボランティアの話を一言でも発しようものなら即座に席を立たれる日々を約3ヶ月間、毎週末繰り返していました。

最終的に応援してもらえたのですが、旅立ちも近づいたある日、母にこう問いかけました。

あの時、なんで許してくれたの?

母はこう答えました。

だって、折れなかったんだもん。
初めてだったと思うよ。「私はこれがやりたい」ってあんなにはっきり言ったのも、譲らなかったのも。

「自己決定」が幸福度を高めるらしい

「幸せがずっと続く12の行動習慣」の著者、リュボミアスキーは

📔 幸福度において
約50%が遺伝で決定づけられた設定値に起因し、生活環境に起因すると思われるものは8〜10%程度であり、残りの約40%はそれ以外の要因、つまり私たちの日々の意図的な行動によるものである。

と述べています。

また、2018年には別の調査で、幸福感に与える影響力を比較したところ、健康、人間関係に次ぐ要因として、所得、学歴よりも「自己決定」が強い影響を与えるという結果が発表されました。

📔 自己決定によって進路を決定した者は、自らの判断で努力することで目的を達成する可能性が高くなり、また、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなることから、達成感や自尊心により幸福感が高まることにつながっていると考えられます。

神戸大学, “所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる 2万人を調査”, 2018-08-31

私は、22歳で初めて「こうするべき」を離れて「こうしたい」にたどり着きました。なんとも時間を要したものですが(笑)、全ては「どうしたいかを知っているのは自分しかいない」に気付いたことから始まりました。

なぜ教師にならなかったのか、なぜ新卒で就職しなかったのか、はまた別の機会にお話しできたらと思います。




もうすぐ4月。
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