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novi0701
物語と傷の取り扱い方と結婚式の加害性の話
「結婚式の加害性」というおもしろワードがおもちゃになっていた。
元ツイートを当たると「結婚式ってもともと親や子や配偶者や恋人を亡くしたばかりの人やその他様々な不幸に見舞われてる人をそれでもなお呼びつけて強制的にお祝いさせる場やん」
「結婚式その他祝賀行事には原理的にすべて加害性があるんだから誰も傷つけたくなければすべて中止するほかないがそんなことは不可能なので覚悟を持つかどうかの問題」
とのことで、どんな行為でも加害者となりうるけどそれは致し方ないんだから覚悟を持ってやれ、というそう炎上する話でもないように思う。
どうやらこれに「傷つく人がいるんだから配慮してしかるべきだ」という文脈を読みとられて広まった結果、ネットのおもちゃになってしまったようだ。
結婚式で被害を受けた結婚式は加害性がある配慮しろ!という話に対しては、結婚式で傷つくのはお前の問題だし結婚式に出る選択をしたのもお前だろう何言ってんだ甘えんなボケカスという意見がつくこともまた無理からぬことではある。
我々が節電のためにやめるべきなのはエアコンの使用ではなくインターネットなのではないか?
「傷つきに配慮する」ということがどんな場面でも正義であるとする向きが拡大し続けている。
自分の傷に配慮しない、尊重しない他人を加害者や差別主義者として断じる権力者たちの振る舞いが目に余る。
傷ついた彼ら、彼女らは、自分の傷の取り扱い方を間違えている。
そして、間違った傷の取り扱い方が蔓延してしまっている背景がある。
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