#ネタバレ 映画「千年女優」
2024.1.23
女優の気持ち、ファンの気持ち そして夢追う幸せ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
上映開始時刻の関係でこの作品を観ました。けたたましい絶叫型のアニメは苦手ですが、この作品はそうではなく、安心しました。
途中で少し居眠りしてしまったのでいけませんが、 映画「この世界の片隅に」にも似た、アニメというよりもドラマと言った方が良い仕上がりです。
では、映画「千年女優」は何を描いていたのか。
まだ、消化不良ですが、現時点ではこのように思っています。
例えば、女優A子さんと、ファンのB男さんがいたとします。映画「千年女優」でも、この二人が主役のようです。
B男さんはA子さん命なのです。ファンならその気持ちは分かりますね。
しかし、私に女優の気持ちは分かりませんが、(たぶん)A子さんはB男さん命ではありません。「ファンになってくれて嬉しいわ」ぐらいのものでしょう。
A子さんが恋しているのは、まだ自分のファンになってくれていない、不特定多数の人たちなのです。
その人たちの心の扉を(鍵で)開け、新たな自分のファンになって欲しいと思っているのです。
不特定多数ですから、際限がなく(だから目の前の求愛者ではなく、際限のない宇宙に行くのか)、たとえ千年間女優をしても満たされないのでしょう。それは幻を追いかけているようなものかもしれません。
しかし、A子さんは幸せな人生を送るのです。目標があるからですね。人は目標を狙っている内は幸せなのです。
的に矢を当てるというアーチェリーは、それを極度に抽象化したスポーツです。行えば幸福感に満たされます。
これは1948年イギリス、ロンドン郊外にあるストーク・マンデビル病院で、責任者のルートヴィヒ・グットマン医師が、脊椎損傷者の生きがい作り、仲間作り、社会参加等のために、車椅子アーチェリーを導入して成功し、世界に証明しました。パラリンピックの始まりでもあります。
そう言えば、映画「千年女優」の最初と最後に出て来る、ロケットの発射シーン、あのロケットは、矢のようでもありました。
追記 2024.1.23 ( 謝罪行脚という目的が生む、自己の救済 )
障害者と言えば、ヒロインたちを苦しめた憲兵は、後に、片目、片脚の障害者となってヒロインに前に現れ、土下座して謝罪しました。憲兵時代の行為に対して謝罪行脚をしているようです。
あの憲兵は哀れでありますが、公務だったとはいえ、自己嫌悪になり、謝罪行脚をせずにはいられなかったのでしょう。そして、その謝罪という目標は、一滴の、自分に対する救済を生んでいたのだと思います。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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