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#ネタバレ 映画「GODZILLA ゴジラ」

「GODZILLA ゴジラ」
2014年作品
「ミスター・ロンリー」
2014/8/2 21:39 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

FM放送の長寿番組「ジェット・ストリーム」をよく聴いていました。深夜なのでリアルタイムでは聴けず、カセットテープにタイマー録音したコレクションを聴いていました。カセットは数十本はありましたね。でも、流行の断捨離でうっかり処分してしまい、今は、たぶん机の中に1~2本あるぐらいです。

( 当時の私は,老いてから「これが私の愛聴盤です」と言って、LPやCDを披露したいと思っていました。もしその時、(お金が無かったので)ラジオを録音したカセットテープばかりだったら恥ずかしい」と思っていたのです。しかし、実際に高齢者になってみると、青春時代の思い出が凝縮された、自分で作ったカセットテープは、既製品のLPやCDにも勝るとも劣らないものだと気づきました。)

「ミスター・ロンリー」は、そこでよく聴いた名曲です。英語ですので歌詞の意味はよく分かりませんでしたが、ときどき「soldier」 と言う単語がでてきましたので、メロディーと合わせて、「哀しい兵士の歌」だと直感できました。

今、ググると予想通りの訳詞がでてきて思わずニンマリ。これを映画「GODZILLA ゴジラ」のエンディング・テーマに推奨したいです。

実際には、映画では、有名な伊福部ゴジラのテーマ曲をモチーフとした(たぶん)新曲が挿入されていて「ダダダン♪、ダダダン♪、…」の反復が眩しいです。このオマージュにも、もちろん感謝しますが「ミスター・ロンリー」の方が意外性の点でクールですよ。映画「世界残酷物語」の「モア」みたいに。

ところで映画「華麗なるギャツビー」(1974年)が、成金世界で暮らす孤独なギャツビーを描いていたのだとしたら、映画「GODZILLA ゴジラ」も、ロクでもない人間界で暮らす、孤独で孤高な、宇宙人ジョーンズみたいなゴジラを描いていたのだと思います。

映画の前半にゴジラの巨大な骨が出てきます。ゴジラの彼女(たぶん)は死んだのですね。

ゴジラだけではありません。芹沢教授も広島原爆で家族を亡くしています。

ジョーも原発事故で妻を亡くし、さらに、息子のフォードたちともうまくいっておらず日本で孤独です。

そのフォードも妻子と離ればなれになり、ひとり他の部隊で参戦します。

また、ダメ押し的に、電車で離ればなれになる他人の子供もでてきます。

このように映画「GODZILLA ゴジラ」も孤独なソルジャーたちの物語でありました。

また、名優が背中で語るなら、チラシに出てくる後ろ姿のゴジラも哀愁をにじませて名優です。

ゴジラが橋の欄干をむんずと握るシーンがあります。すわ崩壊か、と思いきや、壊れません。予想に反し、ゴジラは橋を守っていたんですね。この場合の橋は、架け橋を連想し、良好関係の記号です。

それに気がつくと、米艦隊の戦艦群を前に、立ち止まったゴジラの気持ちが分かります。彼は、しばしの沈黙の後、船の底をもぐって抜けていきます。その波のために艦隊は沈没しそうになりますが、間違っても艦隊を攻撃していたわけではありませんでした。こんな「人たらし技」は、ゴジラよりもガメラの後年の得意技でしたが。

予告編などで、怪獣にやられるシーンが多数出てきますが、あれはゴジラの仕業ではなく、ムートーの悪行だったのですね。またっく陰謀まんてんの予告編でした。

また、この映画は、至近距離でにらみ合いをするシーンが多数出てきて、ムートー同士は核爆弾のプレゼントや、キスに似た愛の逢瀬もしていますが、ムートーの人間に対する態度には、敵意は有っても愛はありません。

でもゴジラは違うんですね。ゴジラとフォードが至近距離で見つめ合うシーンがありますが、あれは怪獣映画では少ないシーンです。孤独な男同士(たぶん)が、見つめ合い、なにかしらのシンパシーを交換して…やがて、ゴジラの顔は土煙に消えていきます。あれは、ゴジラは内面を見せ、二人は似た者同士だったとの記号でしょう。

日本からゴジラ映画を学んだ米国は、最初からゴジラを、人類の孤独な救世主として描いていました。

ある意味ゴジラはハードボイルドです。

そして、ゴジラには知性がある!?

実はゴジラが人間を飼っている!?

そんな、気持ちにさえなりました。

劇中、芹沢教授が「ゴジラ」と発音したあと、近くにいた女性が「(GODジィラ)まさに名前どおりね」と言います。「GOD」すなわち「神」ですね。神なら人間を飼っていても不思議ではありません。

その花園(生態系)を破壊するムートー。これは悪魔です。ムートーの卵の繋がりは、タコの脚の吸盤をも思わせますし。

そして、許せない、ほかのことは譲れても、この気持ちだけは、断じて、譲れない、とゴジラが思ったのかどうかは知りませんが、カップルで熱々恋愛中のムートーだけが浮いているんですね。妬ましがられても仕方がない。でも、これがゴジラたちの反発心に油を注ぎました。ムートーがK.Yだったのも敗因。

映画「華麗なるギャツビー」の孤独なギャツビーも、心の奥底では、彼女への恋心だけではなく、恋敵をも妬んだことが、暴走エネルギーの潜在的なパワーとして存在していてもおかしくないのです。

ラスト近く「そんなに核が欲しいか、キスがしたいか、それなら、これでも食らえ!」とばかりに、ゴジラはムートーの口をこじ開けて、ゲロ(放射熱線)をぶち込みます。その後は書けません。このご時世に、けっこうグロいです。

何の世界でも、ジェラシーは怖い。

この新作ゴジラ、いろいろと私なりにも不満な点が無いわけではありませんが、かつて日本のゴジラ映画では、ゴジラに「シェ~」をさせました。あれは思い出すのもおぞましいゴジラ界の汚点だと、個人的には思っています。

あれに比べたら、この新作ゴジラは十分すぎるほどの及第点をあげられます。

そして「自然を畏怖する心」を芹沢教授が述べていて、何を今さら、と思う方もいらっしゃると思いますが、自然信仰の日本人には常識でも、一神教であるキリスト教圏にすむ欧米人たちには、すぐには理解しがたいほどの、括目すべく、斬新な考えであるのです。60年たってやっと欧米人が追い付いてきたと思ってあげましょう。

いつか「ミスター・ロンリー」をBGMに、巨大な三列背びれで波を立てながら海上を疾走し、海の彼方へ消えていくゴジラのエンディング・シーンが観てみたい。

★★★★

追記 ( 歴史は夜(映画館で)作られる ) 
2014/8/5 6:07 by さくらんぼ

そもそもゴジラはなぜ生まれたのか。

記念すべき第一作、日本映画「ゴジラ」(1954年)から観ると「ゴジラは核兵器のせいで生まれた」というのが一般的な解釈でしょう。ですから、ゴジラは核の悲惨、戦争の悲惨の象徴的な存在として、今まで世に君臨してきたと言っても過言ではありません。

もちろんゴジラそのものは架空の存在ですが、そのバックには実際の日米戦争の歴史が絡んでいて、さらに日本は唯一の被爆国です。だから、ここの、文字通り「話の核」となる「核兵器のせいで生まれた」ということ、つまり核の悲惨という事だけは、忘れることなく孫子に話していかなければならないと思います。

でも、今回の米国映画「GODZILLA ゴジラ」(2014年)では「核兵器は偶然発見したゴジラを殺すために使用しただけ、でも効き目はなかった」と描かれています。つまりゴジラは直接的には核のために生まれたのではなくなっているのです。そして、原子炉の事故は怖いけれど、核兵器は通常兵器に毛の生えた程度の恐ろしさにしか描かれていません。

つまり、これ以降作られるであろう米国のGODZILLA映画シリーズを観る人は、映画から核兵器の悲惨を学習する機会がなくなるのです。

ここから連想するのは「日本は非人道的な核兵器の被害者であり、今も後遺症やトラウマで苦しんでいる人がいる(ゴジラは核兵器で生まれた)」という話に対し、「日本との戦争を早く終わらせるために(ゴジラを殺すために)、やもうえず核を使用したんだ」という米国の反論。あれと同じで、「米国に都合のよい話に置き換えられている」ことにも気づくのです。

これを、とるに足らない小さな問題とみるのか、否か。人によって違うかもしれませんが、リメイク権を他国に売るときには「ここのところは話の核であるので修正不可」として、契約書に書き込む方法もあったのではないかと思いました。

追記Ⅱ ( 十字架 ) 
2014/8/5 6:17 by さくらんぼ

「GODジィラ」の言葉が示す通り、映画「GODZILLA ゴジラ」(2014年)ではゴジラを神の化身として描いている気配があります。

そういう映画では何か、そのための記号が隠されているものですが、この映画にもありました。

たしか、飛行機の中では聖書を読む兵士がアップで登場しました。

その後、高高度からダイビングする兵士たち。彼らは大の字になって、足首からは発煙筒の赤い煙をだして降下していきます。

その先、雲が切れ、やがて、ゴジラの雄姿が見えてきました。

あのとき、大の字の兵士は、十字架にはりつけられた人であり、赤い発煙筒は、流した血なのでしょう。

ならば、ゴジラの雄姿は、深層的にはGODの化身でもあったわけで、ゴジラはキリスト教の神になったのです。

追記Ⅲ ( 日本ゴジラはデフォルメで勝負 ) 
2014/8/6 6:53 by さくらんぼ

最新米国ゴジラと比較したくて、YouTubeで過去の日本ゴジラ映画を少し観てみました。

大金をかけ、最新CGを駆使した米国ゴジラを観た後では、ぬいぐるみと、ミニチュアの、古典的特撮映画は、きっとつまらないだろうと思いながら。

しかし、しかしですよ、意外ですね、ワクワクするほど面白いんです。これは、いったい、どうしたことなのでしょうか。

しばし、考えて出した結論は「デフォルメの妙」です。もちろん、デフォルメはさじ加減が命。やりすぎると、子供だましになってしまいます。

日本ゴジラは特撮に適度なデフォルメ感があり、劇画チックなんですね。だから、コテコテの面白さがありました。

今観ると、ぎこちなく、おおざっぱなミニチュア崩壊シーンも、見方を変えれば、あれは立派なデフォルメです。

それで、思い出すのはCGで作った米国のアニメーション映画です。最近もレリゴーの歌声が大ヒットした作品がありましたが、人物描写は、お人形さん的なのです。CGだから、本物の人間と見間違うほどにリアルにできるはずなのに、お人形さん的にしか造形していません。

これから本家日本ゴジラ映画を復活する場合、無理して、低予算CGでゴジラを動かそうなどとはしないでください。どうせ米国に負けます。

むしろ、堂々と、ノウハウの蓄積ある、着ぐるみで勝負すべきです。ただ、海から上陸してきたのに、「浜辺にゴジラの足跡が全くつかない」など、ほったらかしにしてきた子供だましの細部は、CGをつかってでも改善する努力はするべきですが。

対する、米国ゴジラは、演出が洗練されていますし、高度なCGでリアリズムがあります。でも、そのせいでアクが抜けてしまっているんですね。人間ドラマも意外とサラリ感でつまらない。米国ゴジラもレリゴーと日本ゴジラ映画を見習って、リアリズム重視から卒業し、劇画チックなデフォルメを学んだ方が良いかも。

たとえばゴジラの背びれの発光は、もっとデフォルメするのが好きです。品が良すぎてピアノソナタみたいです。もっと、フルオーケストラ、怒涛のフォルティシモにしてほしい。

それと、秘密兵器を登場させること。個人的好みとしては「殺獣光線」が一押しです。殺獣なんてエグイ言葉ですが、ゲロはく怪獣には、妙にお似合いです。

追記Ⅳ ( コピー機はゴジラの夢を見る ) 
2015/7/20 8:21 by さくらんぼ

日本のゴジラの鳴き声って、ユーミンさんの歌声みたいに聴こえませんか(ユーミンさん、ごめんなさい)。

映画「風立ちぬ」でも書きましたが、ユーミンさんの声には、どこか「鋼」の質感があります。

日本のゴジラの、中音域の多い、ヒステリックと言うか、悲鳴に近い鳴き声が、やはり「鋼」を連想させ、その延長線上で、ユーミンさんに繋がるのです。

それから、オフィースで活躍する、業務用コピー機の、コピー音も、やっぱりゴジラの鳴き声に聴こえませんか。

コピーボタンを押すと出る「うィ~ン、ガチャ、ぐわ~うん、ウウウ」がです。最後の「ウウウ」が、とてもゴジラ的でしょ。

もちろん、ポルシェとフェラーリのエンジン音が違うように(映画「栄光のルマン」でも話題となった)、コピー機のメーカーによっても、同じメーカーでも機種や年代によってちがうでしょう。でも、私が会社にいたときのコピー機の中には、確かにゴジラが下宿していましたよ。

だから私は、いつもニヤニヤしながらコピーをしていました。今思えば、あれが数少ない会社の楽しみ…。

それで、ユーミンさんの歌声が、そのコピー音に似ているのかというと、それが、また似ていないのですね。

それは、日本のゴジラの鳴き声と、米国の映画「GODZILLA ゴジラ」の鳴き声、ぐらい似ていません。

これは、きっと伝言ゲームで、いつのまにか違うワードになってしまうのと同じ理由なのでしょう。

人生とは、ふくざつなものです。

「米国の GODZILLA の鳴き声には低音成分が多く、悲鳴が少ないのが特徴」です(GODZILLA語が話せるわけではありません。当方、動物的本能による翻訳です)。

彼らは日本と違い、核の被害者を代表していないので、それどころか、神、あるいは神の使者なので、鳴いても悲鳴はあげないのでしょう。たぶん。

違ってるけど、似てるもの、似てるけど、違うもの。

もうすぐやってくる9月の暑さも、8月の暑さとは違います。

しばらくは、哀しい味の西瓜でもかじって、がんばりましょう。

西瓜に塩をふって食べるのを発明した人は…

もしかしたら、

泣きたくない人、なのかもしれませんね。

追記Ⅴ ( 海での注意 ) 
2017/7/27 9:26 by さくらんぼ

>それに気がつくと、米艦隊の戦艦群を前に、立ち止まったゴジラの気持ちが分かります。彼は、しばしの沈黙の後、船の底をもぐって抜けていきます。その波のために艦隊は沈没しそうになりますが、間違っても艦隊を攻撃していたわけではありませんでした。こんな「人たらし技」は、ゴジラよりもガメラの後年の得意技でしたが。(本文より)

先ほどラジオで、「泳いでいても、ボートの下を潜って抜けようとしてはいけない。ボートの底にくっついて溺れてしまうから」と言っていました。きっと人体の浮力でくっつくのでしょう。簡単な理屈ですが、言われなければ分からないことは多いものです。

( ニュースによると、大きなプールなどには、大きな遊具が浮いている事がありますが、子供があの下を通り抜けようとして、浮力で遊具の下に張り付いて動けなくなり、溺れる事があるみたいです。)

私はシュノーケルをやったことがあり、始めたときには少しだけマニュアル本を読みました。

そこには「潜っていても、浮上するときは片手を頭上にまっすぐ伸ばしておくこと。そうやって障害物をチェックしながら浮上しなさい。そうしないと突然ボートや泳ぐ人にぶつかって、パニックになり、溺れてしまいます」みたいな話が書いてありました。水中ではパニックになることが陸上よりも恐ろしいのです。

ちなみに「水中メガネを外すときは、陸地に上がり、腰を下ろしてから外すこと」ともありました。

水中で外すと、ふいに波をかぶってパニックになると溺れてしまいます。陸地でも上陸直後は急に浮力が無くなるので体のバランスを崩しやすいのです。そのうえ水中メガネをはずそうとして平衡感覚を失い、倒れて岩で頭でも打つと大変ですからね。近視の高齢者が度付きゴーグルを外すときは、特に注意が必要です。

追記Ⅵ ( ささやかな返礼 ) 
2017/11/17 18:15 by さくらんぼ

これは映画「シン・ゴジラ」の追記19です。

『 映画「シン・ゴジラ」では、なぜ「ゴジラが歩く星条旗」になっているのか(詳しくは映画「シン・ゴジラ」の追記16~18をご覧ください)。

その話の引き金になったのは、この米国映画「GODZILLA ゴジラ」(2014年)で、「ゴジラが核のために生まれたのではなくなっている」からではないのかと、私は邪推するのです。

映画「シン・ゴジラ」では、その返礼の意味もあって「ゴジラに星条旗を着せた」のかもしれません。』

追記Ⅶ ( 竜を仕留めて記憶を戻す ) 
2017/12/13 17:32 by さくらんぼ

これは映画「シン・ゴジラ」の追記32です。

『 >もしドイツが、「ホロコーストなんて無かった。アウシュヴィッツ? あれは病院だよ。ドイツはユダヤ人たちを助けていたんだ」などという映画を作ったら、世界中の非難をあびて大変なことになるでしょう。

>でも、米国は「ゴジラは核兵器のせいで生まれた」という点を、「核兵器は偶然発見したゴジラを殺すために使用しただけ、でも効き目はなかった」と描いた映画「GODZILLA ゴジラ」(2014年)を作ったのです。歴史の改ざんと言われかねない事を。

>それは事実上、「広島・長崎の、核兵器による死傷者は0である」と言ったことになる、かもしれないのです。

> 死者に対する冒涜。

>これに対する映画「シン・ゴジラ」からの返戻は、冒頭に描かれた「人が消え、折り鶴だけが残された」というところから始まります。ご承知のとおり「折鶴」は、被爆者への祈りの象徴でもありますね。

>そして、その「折鶴」は、ゴジラを凍結させる薬品を解明するカギとなる、「折り紙状の設計図」のモチーフとなりました。

>あの、最後に出てきた、「凍結されたゴジラのしっぽに見える、沢山の黒い人影」。あれは「核兵器の被害者たち」ですね。黒くなってしまった人間です。あろうことか、ゴジラはしっぽに隠していたのです。(これは映画「シン・ゴジラ」追記20 に加筆したものです。)

今朝の「天声人語」に、カズオ・イシグロさんの最新作について、興味深いことが書かれていましたので、以下に少しご紹介させていただきます。

「 … ▼最新作『忘れられた巨人』はファンタジーの形を借り、集団としての記憶を扱った。竜が吐く息によって、かつて殺し合った記憶が丸ごと失われている世界。竜を仕留めて記憶を戻すか、忘却にもとづく平和を続けるか。激しい葛藤がある

▼記憶、とりわけ加害の記憶を受け止めるのは誰にとっても容易ではない。目を背けたくなる誘惑にかられる。個人として集団として、記憶に向き合う準備はあるか。イシグロさんの作品が、そう迫ってくる … 」

( 2017.12.13 朝日新聞(朝)「天声人語」より抜粋 ) 』



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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