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#ネタバレ 映画「かごの中の瞳」

「かごの中の瞳」
2016年作品
あくまはどこにいるのか
2018/10/3 9:18 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

「毒の入ったクリームシチュー」のような物語でした。

学びのためには、観て良かったと思いましたが(★★★★☆)、恐ろしいと言えば、こんな恐ろしい話はありません。

これは善意から始まった戦争なのです。

口直しには、「たっぷりスパイスの入ったカレーライス」か。

追記 ( 映画「街の灯」 ) 
2018/10/3 9:36 by さくらんぼ

チャップリンの名作映画「街の灯」。あの映画史に残る最高のラストシーンの後には、はたして、どんな物語が続くのか。

いや、盲目の花売り娘のまま、チャップリンと結婚し、その後に目の手術を受けたら、二人はどうなったのでしょう。

この映画「かごの中の瞳」がオマージュだというつもりは、少なくとも今はありませんが、二本の映画を繋げてみるのも、また一興かもしれません。

追記Ⅱ ( 花屋 ) 
2018/10/3 9:58 by さくらんぼ

>この映画「かごの中の瞳」がオマージュだというつもりは、少なくとも今はありませんが、二本の映画を繋げてみるのも、また一興かもしれません。

あっ、彼女の目が開いた時、たしか「色が見たい」と言ったので、彼は「花屋」へ連れて行ったのです。

追記Ⅲ ( 冷たい視線 ) 
2018/10/5 8:56 by さくらんぼ

>これは善意から始まった戦争なのです。

手術が終わって、初めて眼帯を外すエピソードがありますが、そこには、事務的な医者から愛妻を守ろうとする夫がいました。

時は流れ、映画のラストには、ステージで歌う妻がいました。そして、目が見えるようになった妻から、冷たい視線を送られ、夫はいたたまれず、会場から逃げだすようになっていたのです。

確かに夫は悪いことをしました。しかし、妻にまったく罪はないのでしょうか。

追記Ⅳ ( 子どもに戻った妻 ) 
2018/10/5 9:11 by さくらんぼ

もし妻の弁護をするとしたら …

妻は幼いころに失明しています。大人になって結婚後に手術を受け、やっと片目が見えるようになったのです。

「ふたたび目が見えるようになった妻の心は、幼いころのインナーチャイルドを起動した」のかもしれません。つまり妻は、無意識に幼い頃からの人生の、やり直しを始めたのです。当然に今の結婚生活もその対象になったのでしょう。

この話は、「高等教育を受けた女性が、諸々の事に目覚める」ことにも繋がっていくのでしょうね。

追記Ⅴ ( あくまはどこにいるのか ) 
2018/10/5 9:47 by さくらんぼ

>確かに夫は悪いことをしました。しかし、妻にまったく罪はないのでしょうか。(追記Ⅲより)

>妻は幼いころに失明しています。大人になって結婚後に手術を受け、やっと片目が見えるようになったのです。

>「ふたたび目が見えるようになった妻の心は、幼いころのインナーチャイルドを起動した」のかもしれません。つまり妻は、無意識に幼い頃からの人生の、やり直しを始めたのです。当然に今の結婚生活もその対象になったのでしょう。(追記Ⅳより)

妻の片目しか見えないところが、多分キーポイントでしょう。

「結婚前は両目で相手を見なければいけないが、結婚したら片目で見なさい」とかいう話があります。

これは「結婚前は相手をよく吟味する必要があるが、結婚したら相手のあら探しはやめなさい」という意味だと思います。

しかし、この映画の妻は、結婚後に片目が見えるようになったので、結果的に夫のあら探しを始めたわけです(誤解の無いよう申し添えますが、このレビューは障害者の方へ向けたものではありません。あくまでも、この映画の解釈のお話です)。

そこに、この妻の、記号化された罪があるように思いました。

追記Ⅵ ( 映画「ベスト・キッド」 ) 
2018/10/6 15:28 by さくらんぼ

>これは「結婚前は相手をよく吟味する必要があるが、結婚したら相手のあら探しはやめなさい」という意味だと思います。

>しかし、この映画の妻は、結婚後に片目が見えるようになったので、結果的に夫のあら探しを始めたわけです(誤解の無いよう申し添えますが、このレビューは障害者の方へ向けたものではありません。あくまでも、この映画の解釈のお話です)。

>そこに、この妻の、記号化された罪があるように思いました。(追記Ⅴより)

これを、もう少し詳しくお話しします。

映画「ベスト・キッド」の中で、主人公の少年に師が言いました。

「 路を歩くとき、左端も良い。右端も良い。しかし、真ん中を歩くとクルマに轢かれてしまう。空手も同じ。やらないOK、やるOK。でも、中途半端が一番いけない 」と。

目の話は、ある意味これと同じだと思うのです。

妻は片目で(中途半端な賢さの記号)で、しかも、幼いころに戻って再スタートしました。中途半端であるにもかかわらず、悟りを開いたかのごとく、妻は自分を誤解してしまったのです。喜びのあまり。

でも、両目で(本物の知恵者の記号)で、大人になった現在からスタートすれば、また、結果は違ったものになっていたのだと思います。

片目しか見えない者に、両目を求めても空しいですが、その想像力の有無が、人生を分けるのかもしれません。

ですから、当然に女性でも、中途半端ではない教養や賢さが必要なのは、言うまでもありません。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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