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#ネタバレ 映画「運命は踊る」

「運命は踊る」
2017年作品
電車を埋めた国もあったが
2018/10/6 6:35 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

格調の高い、不条理劇です。

シナリオはよく推敲されており、不条理なのに、ラストは笑みがあり(もしかしたら、不条理だから、笑うしかないのかも、しれないけれど)。

さらに、エンディングテーマに至っては、どこか条理のバッハ「G線上のアリア」を思いださせる、美しい仕上がりです。最後まで聴きいってしまいました。

最近、ジョン・マクラフリンのエレキギターにも酔っていますが、なぜか、ドラマにはその味わいを思いだします。あれは、きっと条理のギターですが、私には不条理な旋律に聴こえるからでしょうか。

★★★★☆

追記 ( 監督の話 ) 
2018/10/6 6:45 by さくらんぼ

「 この映画では予定調和を可能な限り排除して創作にあたりましたし、そもそも私はストーリーが映画の“核”だとは思っていないんです。偉大な作品を例にあげるのは恐縮しますが、本作も『地獄の黙示録』も『ディア・ハンター』も、大まかに“戦争映画”だと言われることがあります。

でも私はこれらの作品はすべて戦争映画ではないと考えています。これらの映画は“戦争”というモチーフを使って、極限状態に置かれた人間の精神を描いたものですし、私自身はそのような映画をつくっているつもりです。」

( ぴあ映画生活 「ヴェネチア映画祭絶賛の注目作『運命は踊る』監督が語る」 2018/09/26更新 より抜粋 )

追記Ⅱ ( 息子ヨナタンの苦悩 ) 
2018/10/6 9:48 by さくらんぼ

戦死したとされた息子ヨナタンが、生前、戦地で、子どもの頃の思い出を語るシーンがあります。

① 「どうしても、あるエロ雑誌が欲しくて、大切な家の聖書を本屋に持って行き、オヤジに交換を頼んだんだ。そうしたらオヤジは『もってけ!』と言って交換してくれた。それを友だちと回し読みしたよ。俺は英雄気取りだった。でも、ある日、誰かが糊をつけてしまい。くっついて、好きなページが見えなくなったんだ」と。

そんなヨナタンは、青年になり、戦場だけれどラクダが通るような、間延びしたような時間の流れる検問所で勤務しています。機関銃の後ろに座って。

② ある日、クルマに乗った同年代の男女数人が通りかかりました。彼らは民間人で、幸せな青春を謳歌しているようでした。ちょっと妬ましかったヨナタン。

同僚が身分証明書の確認をしている間、ヨナタンは助手席に乗った娘に一目惚れしました。じっと眺めていると、娘もその視線に気づき、皆に悟られないように、ほんの少し、微笑んだのです。殺風景な戦場の、ひと時の安らぎ。

その時、彼女のスカートの裾が、クルマのドアに挟まれたまま車外に出ている事を見つけた同僚が、それを娘に教え、娘は軽くドアを開けて、裾をひっぱったのでした。

その瞬間です、コーヒーか何かの空き缶が一つ、道に転がり落ちました。それを見た同僚は、思わず「手榴弾だ!」と叫んだのです。

その声に反応したヨナタンは、気がつくと機関銃の引き金を引いていました。

しばらくの後、上官がやってきました。

彼は、「この件は、無かったことにする」と皆に口止めし、遺体とともにクルマを埋めました。

①で糊をつけた友だちは、本の持ち主であるヨナタンが妬ましかったのでしょう。無自覚でしょうが、その腹いせの気持ちもあって、本に糊をつけたのでしょうね。

②のヨナタンが機関銃を撃ったのも、機関銃が男根の記号であったからでしょう。無自覚にも、ドライブ中の民間人が妬ましかったし、微笑む彼女から裏切られた怒りもあるから、ヨナタンもまた彼女を糊で汚した(撃った)わけです。

ラクダが出てくるのは、ラクダの頭も男根の記号だからでしょう。チラシの裏にある写真には、ヨナタンが自動小銃(これも男根)を股間に構えている写真が、ラクダとツーショットで写っています。

思いだしましたが、映画「エイリアン」に出てきた宇宙船「ノストロモ」も男根をモチーフにしたものです。あの映画は生殖も描いていました。

追記Ⅲ ( 父の苦悩 ) 
2018/10/6 10:10 by さくらんぼ

>戦死したとされた息子ヨナタンが、生前、戦地で、子どもの頃の思い出を語るシーンがあります。(追記Ⅱより)

息子はこの後、父に呼び戻される途中に事故死してしまいますが、その事故の原因となったのも、道を歩いていたラクダ(男根)でした。

一方、父にもトラウマがありました。

若い頃の話。ある日、軍隊の隊列の先頭にいましたが、突然、先頭から離れ、後ろに下がったのだそうです。その理由は思いだせないとか。

そうしたら、直後に地雷が爆発して、戦友が泣き叫んだのです。しかし父は怖くて動けず、助けられないばかりか、戦友が早く死ねばよいと思っていたそうです。悲鳴を聞き続けるのは耐えがたかったから。

( その気持ち、少しだけ解るような気もします。私の家族が重い病気で手術をしたとき、手術を受けるまでの本人の苦悩を察して、私も苦しかった。しかし、当日、手術前に麻酔に眠りに落ちた姿を見て、やっと苦悩から解放されたと感じたからです。)

その後、妻に子どもが生まれたので、もしかしたら、自分が父になることを予感し、「自分は死ねない」と、無自覚にも映画「永遠の0」の主人公みたいな心境でいたのかもしれません。

そして、その子どもも、今回、戦場で亡くなったのです。

追記Ⅳ ( 平和で異常な環境 )
2018/10/6 10:28 by さくらんぼ

>そんなヨナタンは、青年になり、戦場だけれどラクダが通るような、間延びしたような時間の流れる検問所で勤務しています。機関銃の後ろに座って。(追記Ⅱより)

あの検問所は、確かに銃弾こそ飛んできそうもありませんでしたが、精神に異常をきたしそうなほど「異常」な環境なのです。それが静かにくい込んできて痛い。

彼らはそこで、「猥談」と「ジェットストリーム」みたいな深夜放送を聴くことで、かろうじて精神のバランスを保っていました。

しかしある日、住居代わりにしていた古いコンテナが、少しづつ沼地のような地面に沈んでいく事に気づいたのです。

家が傾くと、住んでいる人間まで体調を崩す事があると言われています。まさに心療内科の領域の話ですが、彼らはそこで、少しづつ病んでいったのです。

追記Ⅴ ( 夫の目の前で… ) 
2018/10/7 8:45 by さくらんぼ

映画の冒頭には、息子の訃報を聞いて、玄関で卒倒する瞬間の妻が、艶めかしい顔のアップで描かれます。

軍の伝令は慌てて、倒れている妻のスカートをたくし上げ、太ももをあらわにして、注射をしました。たぶん精神安定剤か何かでしょう。

それを奥の間から、立ったまま動けず、声も出せず、ただ見つめる夫。

実は、注射器も男根の記号ですから、このシーンはとてもエロイものなのです。しかも「夫の目の前で、妻が男に…」という状況設定は。

追記Ⅵ ( しらふじゃいられない から ) 
2018/10/7 9:12 by さくらんぼ

>シナリオはよく推敲されており、不条理なのに、ラストは笑みがあり(もしかしたら、不条理だから、笑うしかないのかも、しれないけれど)。(本文より)

そのラストですが、冒頭では卒倒した妻が、元気になり、落ち込む夫を元気づけるシーンがあります。

夫は妻に言います。「お前はまだ、注射の薬が残っているから、元気でいられるんだ…」。

すると妻は、缶に入ったタバコの葉らしきものを出して、吸うように勧めるのです。

あれは、なにか覚醒効果のある物ではないでしょうか。確か、夫は昔それをやっていたような話がありましたから。

夫は紙をまいてタバコを作り、吸い始めます。

笑い始める夫。笑う妻。

ふりかえれば、戦場で誤って人を殺め、それを上官命令で隠蔽して、トラウマになった息子。それが息子の戦死として誤報されたのかもしれません。

やがて息子が生きていると分かった父は、息子の顔を見るまでは何も信じられないと、知り合いである上官に電話をしたのです。

ところが、上官命令で帰還することになった息子は、その帰路で、ラクダを避けそこない事故死してしまいました。

両親の元へは、息子ではなく、皮肉にも今度は本当の訃報が届いたのです。父が呼び戻さなければ、息子は死なずに済んだかもしれないのに。

息子は事故死ではなく、戦死として扱われ、英雄になりました。

追記Ⅶ ( バッハ「G線上のアリア」 ) 
2018/10/7 9:57 by さくらんぼ

>さらにエンディングテーマに至っては、どこか条理のバッハ「G線上のアリア」を思いださせる、美しい仕上がりです。最後まで聴きいってしまいました。(本文より)

バッハ「G線上のアリア」と言えば、チョン・キョンファさんの伝説の演奏を思いだします。

何かで読んだだけで、私は現場にいたわけではありませんが、そのとき彼女は、「G線上のアリア」をプログラムの最後に弾いたそうです。

普通、あまりにも有名であり、小品でもあるあの曲は、アンコールに向いていると思いますが、彼女は、大胆にもメインディッシュとして観客に提供したのです。

そして伝説を作った。

彼女の奇跡的な「G線上のアリア」が終わった時、観客は感動のあまり我を忘れており、しばらく拍手も出なかったそうです。

もちろん「G線上のアリア」は、CDも販売されており、私も買ってしまいましたが(確かに素晴らしい演奏です。)、ご承知のとおり、LIVEは現場にいてこそ理解できるものであり、缶詰めになったCDとは次元の違うものなのです。

一期一会の感動を体験された方はとてもラッキーな方でしょうね。

追記Ⅷ ( ふたりの主人 ) 
2018/10/7 16:33 by さくらんぼ

杉原千畝さんはクリスチャンだったようです。ですから、日本政府の命令よりも、人道的見地を優先して、命のビザを発給したと言われていますが、そのバックボーンには聖書もあったのだと思います。

たとえば下記は、キリスト者においては、もっとも有名な教義の一つであり、踏み絵のようなものとして、初期の頃に学ぶものです。

「 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない 」

( ウィキソース マタイによる福音書〈口語訳〉 6:24より )

そして、映画「運命は踊る」にもストーリーを求めるとしたら、それは息子(もしかしたら父だったかもしれません)が、子どもの頃、家宝の聖書を勝手に持ちだし、本屋でエロ雑誌と交換した事による、天罰だったのかもしれません。だから、「災いがエロを内包している」のです。制作国の一つであるイスラエルは、日本よりも宗教に厳しいと思いますし。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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