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#ネタバレ 映画「紅の豚」

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

1992年作品
あるビーチの午後
2018/8/19 15:26 by さくらんぼ

映画「紅の豚」の中に、主人公・ポルコが、波の静かなビーチでまどろんでいるシーンがあります。そこにはトランジスタラジオがあり、わたしの記憶違いでなければ、加藤登紀子さんのシャンソンが、小さな音で流れていました。

この映画で一番好きなシーンの一つ。

高級なオーディオ装置でなければ聴けない世界があることは事実ですが、小さなラジオでなければ聴けない世界があるのもまた事実なのです。

そして、どちらの世界にも加藤登紀子さんの歌声は良く似合います。

追記( エンドロール ) 
2020/6/9 9:52 by さくらんぼ

「 あの日のすべてが空しいものだと それは誰にも言えない 」

( 「時には昔の話を」 作詞・作曲・歌 加藤登紀子 より抜粋 )

私もこの詩が沁みる歳になってきました。

追記Ⅱ( ジブリパーク ) 
2021/12/10 8:38 by さくらんぼ

ジブリパークの紹介を、先日バラエティ番組でしていました。いろいろな作品が登場していましたが、残念ながら映画「紅の豚」のコーナーは見当たりませんでした。

以前、ジブリパーク構想が初めて発表されたとき、確か首長さんが、「ディズニーランドが発展し続けているように、ジブリパークも発展し続ける」と仰った記憶ですので(ライバルはディズニーか)、今回の中にもし無くても、いずれ登場するのだと思います。期待しています。

( HIROBA!「ジブリパーク」エリア速報 )

https://hiroba-magazine.com/2021/06/12/topics-76/

以下は新たに書いたものです。

追記Ⅲ 2022.1.23( 「男の顔は領収書」 )

先日TV放送されていたので、あらためて観てみました。以前から思っていたのですが、映画「紅の豚」の雰囲気は映画「カサブランカ」を連想させます。そして、あちらの主人公も、ある意味人生を降りてしまった男です。
人生を降りてしまった男をもっとデフォルメすると、映画「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」の主人公になるのでしょう。ここまでくると分かりやすいと思います。共通点は「戦争で仲間をたくさん失った」こと。それなのに映画「紅の豚」の主人公は、生き残った痛みの中、英雄扱いされそうになり、「人生の表舞台から降りた」のでしょう。しかし、それは才能にふさわしい生き様だとは言い難い。

そのように生きている人々を監督は「豚」で表現したのだと思います。監督の「豚」に対するイメージは映画「千と千尋の神隠し」で良く表現されています。

そして、「紅」は「日章旗の赤」でもあるのでしょう。映画の冒頭、主人公の島の空を、白い雲が覆います。そのカメラがビーチへと下りてくると、そこには赤い飛行機があるのです。ちなみに、この白と赤で日章旗を表現する手法は、映画「鉄道員(ぽっぽや)」では、雪国のトンネルから出て来る赤い電車で表現されていたと思いました。

日本は戦争でたくさんの人を失いました。あの戦争に対してはいろいろな主張があるでしょうが、もしも人生を降りてしまうような人生観を日本人が持つことになったとしたら、それは残念なことだと、監督は言っているのかもしれません。

追記Ⅳ 2022.1.23 ( 「男の顔は領収書」 )


映画のラストでは、主人公に惚れた少女のキスで、主人公は豚から人間に戻ったようです。

主人公は戦友を失い、ヒロインも夫を失っていました。二人は似た者同士です。二人とも過去に縛られている。

しかし、二人の間に少女が現れたことで、二人の視点は未来へと変化するのです。

追記Ⅴ 2022.1.28( 真空管の謎 )

映画の冒頭、主人公・ポルコがビーチで聴いていたラジオ、記憶の中ではトランジスタラジオだと思っていましたが、映画を観なおしたら真空管ラジオでした。

ところで、映画「紅の豚」の時代背景は、ウィキペディアによれば「世界大恐慌の時代のイタリア」のようです。世界大恐慌とは、同じくウィキペディアによれば「1929年に始まり1930年代後半」まで続いたとか。

という事は、主人公・ポルコが聴いていた(屋根の丸い)真空管ラジオは、それ以前に製造された物のはず。

ためしにネットで「レトロ真空管ラジオ」を検索すると、日本でも似たようなスタイルのラジオが、「1934年ごろまで流行」していたことが分かりましたので、映画とも符合しています。

しかし、映画でラジオの裏側からチラリと見える真空管の上部が、栗の実ように尖がっていたのです。あれはMT管と呼ばれる真空管に見えました。真空管も時代によって形状に違いがあり、MT管は1950年代 - 末期の物なのです。

ポルコが聴いていた年代のラジオにふさわしい真空管は、電球のようなナス管か、オスカー像のようなST管のはず。いずれも上部は丸いです。昔わが家にあった真空管ラジオは、ポルコのよりも新しい年代の、箱型のものでしたが、真空管はST管でした。

つまり、ラジオ外見と内部の真空管に、時代の違和感があるのです。

だからといって、この作品の価値がどうこう言うつもりはありません。万一、私の調べが正しくて、作品の時代考証が違っていたとしても、この程度の事は楽しいご愛敬だと思っています。重箱の隅をつつくようなハシタナイことを書きましたが、これも映画ファンの楽しみの一つだと思ってご容赦ください。

( ウィキペディア「真空管」 )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%A9%BA%E7%AE%A1#%E6%AD%B4%E5%8F%B2

追記Ⅵ (「紅の豚」紅のおじさん 2018-08-18 08byさくらんぼ )

平成最後の夏、山で行方不明になった2歳児を、遠くから駆けつけたおじさんが、たった一人、わずか20分で見つけました。

その後、おじさんの言動がTVに流れました。

彼はジェームズ・ボンドのようにダークスーツを着てはいませんでしたが、ふと、寅さんとか、この映画「紅の豚」の主人公・ポルコを思わせたのです。

「 カッコいいとは、こういうことさ。」( チラシのキャッチコピーより )

「 宮崎駿がこの監督第6作で披露するのは、彼一流のダンディズム。ただそれは雰囲気にすぎず、オプチミスティックな大人のメルヘンであるところに、同時にこの物語の不思議な魅力がある。」( 「映画生活」の解説より抜粋 )


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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