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#ネタバレ 映画「オン・ザ・ミルキー・ロード」

「オン・ザ・ミルキー・ロード」
2016年作品
でも美しい映画
2017/9/19 7:38 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

映画が始まると、そこは戦場でした。しかし毎日のように戦いがあるので、人々は慣れてしまって、まるで都会の雑踏のようでした。大砲の弾が飛んでくるすぐそばで洗濯とか料理をしているのです。「それが何か…」とばかりに。

私は呆れながら…ここで眠りに落ちてしまいました。映画に対して大変失礼であることは重々承知しておりますが、ランチ後の睡魔には勝てませんでした。

次に目が覚めたのは映画の後半のようでした。

花嫁と男が逃避行を始めていました。

それは映画「ランボー/怒りの脱出」というか、映画「ランボー/最後の戦場」みたいな感じでした。男はビートルズのポールと、スタローンを足して二で割った感じの、「どっかで見た二枚目」でした。

それだけではありません、二人で映画「スーパーマン」みたいに空を飛んだり、鷹だと思っていた鳥が、突如、映画「空の大怪獣ラドン」みたいになったり、なんでもありのファンタジーだったのです。

ビデオならもう一度巻き戻し、最初から観てみたい。その価値がありそうです。

★★★★☆

追記 ( でも美しい映画 ) 
2017/9/19 8:49 by さくらんぼ

映画を観ていたら、戦争映画にもかかわらず、画がとても美しいことに気がつきました。日本で言うと「澄みきった秋の気配」とでもなりましょうか。日本的な美とは少し違うのですが、とても心に沁みるのです。

そして帰路に、私は不意にクリムトの「接吻」や、ミレーの「オフィーリア」を思いだしました。

映画に直接関係はなさそうなのですが、散りばめられた沢山のシーンの総体として、その絵が連想されたのだと思います。たとえば幻想的な川のシーンとか、タイルのような石切り場のシーンとか。

「 … 監督の語る“真実”には、人間だけでなく、動物や空を流れる雲、流れる水のしぶき、山々を通り抜けていく風、つまり“世界そのもの”も含まれる。『私はいつも映画の中の“空間”に執着しています。映画監督の良し悪しは空間の扱い方でわかると思います。

もちろん、私はキャラクターの行動を第一に演出していますが、そのためにはフレームの中の前景・中景・後景をすべて描くためにカメラをどう動かし、フレームを考えなければなりません。映画作りは、直感と入念な準備の組み合わせによって、活き活きとしたものになります。その点は、音楽と似ています。決まったかたちでの演奏と即興を組み合わせることで良い演奏になるわけです』 … 」

( 「映画生活」・最新ニュース 「“帰る場所”を求める旅。エミール・クストリッツァ監督が新作を語る」 より抜粋 )

追記Ⅱ ( 帰り道 ) 
2017/9/19 9:37 by さくらんぼ

郊外の田畑のある道を一人歩いています。たそがれ時、遠くには町の灯りと、国道を走る自動車のヘッドライトが点々と見えます。しかし、どうしてもそこへたどり着けないのです。

あるいは電車に乗っていたり、乗り換えの駅にいたりします。電車はいつまでたっても目的地にはたどり着きませんし、駅では乗り換えの電車が分からない、私はそんな夢を見ます。

「 … 同時に監督はいつもハイテンションでパワフルなストーリーの奥底に、居場所や行き場を失った人々の悲しみや想いを綴ってきた。本作でも物語の随所に、悲しい過去を断ち切って新しい人生を見つけようともがく人々の想いが刻まれている。… 」

( 「映画生活」・最新ニュース 「“帰る場所”を求める旅。エミール・クストリッツァ監督が新作を語る」より抜粋 )

追記Ⅲ ( 水浴びに集まる人たち ) 
2017/9/19 13:56 by さくらんぼ

映画の冒頭に奇妙なエピソードが描かれます。

豚を絞めて、流しのような所に血を溜めると、待っていた何羽もの白いアヒル(白鳥?)がそこに入り、「水浴び」みたいに血を浴びます。ハエをたくさん集めて食べるためです。

これは何の記号なのでしょう。

戦争はいやですが、戦争になると、それで儲けようとする人もいますね。代表的なのが「死の商人」です。それほど露骨ではなくとも、間接的に利益を得ている人は少なからずいるはず。

戦争に介入する国連も、間接的に利益があるからそうするのです。「流すであろう血に対して利益が薄い」と見れば放置されることもあるようです。映画「ホテル・ルワンダ」のように。

「 … 過去に花嫁を愛した多国籍軍の英国将校が、彼女を連れ去ろうと特殊部隊を村に送り込む。残忍な兵士たちによって村は焼き払われ、… 」(「Movie Walker」・映画のストーリー 「オン・ザ・ミルキー・ロード」 より抜粋 )も、戦争のどさくさで利益を得ようとしていますね。黒装束の特殊部隊は、血で赤く染まった記号でしょう。白鳥みたいに。

主人公の仕事である「戦場へミルク(白)を運ぶ仕事」もその一部だと言えなくもありません。クライマックスでは罪のない羊(白)を地雷原へ誘導して活路を見出そうともしました。

この映画、完全にクリーンな人は少ないようですね。それが戦争の実体だと言っているようです。そのせいでしょうか。ラストがハッピーエンドにはならないのは。

「 … 『 だからこそ私はいつも難民の味方でありたいと思っていますし、戦争によって難民が生み出されてしまう状況にも反対しています。現実には、難民に対して理解をしめす“ふり”をして英雄的な行動をとる権力者が、新たに戦争を起こして、さらに難民が増えている状況ですが、人々は真実から目を背けています 』 … 」

( 「映画生活」・最新ニュース 「“帰る場所”を求める旅。エミール・クストリッツァ監督が新作を語る」より抜粋 )

追記Ⅳ ( 川とウエディングドレス、そしてミルク ) 
2017/9/20 7:31 by さくらんぼ

>豚を絞めて、流しのような所に血を溜めると、待っていた何羽もの白いアヒル(白鳥?)がそこに入り、「水浴び」みたいに血を浴びます。ハエをたくさん集めて食べるためです。(追記Ⅲより)

>映画に直接関係はなさそうなのですが、… たとえば幻想的な川のシーンとか、… 。(追記より)

上記二つのエピソードは、「水(血)と白にまつわる相似形」として関連付けられていると思います。

川のシーンでは女が脱いだ白いウエディングドレスが流れていきますし、男はランボーみたいに水中に潜り敵を倒します。そして川を赤く染めるのです。

すると映画のタイトル「オン・ザ・ミルキー・ロード」の意味も分かるような気がします。戦争で白いミルキー・ロードも赤く染まったのです。

追記Ⅴ ( そして「白」にもどる ) 
2017/9/20 7:52 by さくらんぼ

>すると映画のタイトル「オン・ザ・ミルキー・ロード」の意味も分かるような気がします。戦争で白いミルキー・ロードも赤く染まったのです。(追記Ⅳより)

映画のラストシーンは、苦労して石切り場から運んできたレンガ大の「白い石」を、女や羊たちが眠る現場一帯に敷き詰めるところで終わります。

あの石を運ぶ行為自体が男の「鎮魂」であるのでしょう。そしてそれは「墓石」であると同時に、「白に戻す儀式」だったのでしょう。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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