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#ネタバレ 映画「キツツキと雨」

「キツツキと雨」
2011年作品
木こりも海苔を食べる
2012/2/23 11:32 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

イベント会場で、入り口に立て看板を建てたことがありますが、あの単純作業が私は大の苦手でした。「これを入り口に建てて来い」と先輩から指示されても、はたして入り口のどの辺りに建てたらよいのか、どのように固定したらよいのか。考えると選択肢は意外と沢山あるし、その中からどれに決定するかは、人によって見解が異なり、先輩ならどれを選択するだろうか、などと考え始めると分からなくなるのです。

さんざん悩んだ挙句に看板を建てても、あとで点検にきた先輩から「これじゃぁダメだよ」などと、簡単にやり直しを命じられるような事もあり、そうすると、もう自信喪失し、それからは自分自身の見解など信じられなくなり、オロオロしてしまうのでした。

しかし、私がもし、この映画に出てくる小心者の映画監督の様な立場であれば、基本的に迷う必要は無いのではないかと思ってしまいます。監督はアーティストです。アーティストは天上天下唯我独尊で良いのです。むしろ他人と違う感性を持ち、違う決定をすること自体にアーティストとしての価値があるのではないでしょうか。他人からの助言などというものは芸術の純度を下げる雑音にもなりかねないのです。雑音には耳を貸さずにゴーイング・マイウエイで良いぐらいです。

でも、引きこもりで小説を書いていたようなオタク君が、まかり間違って監督になってしまい、世間ずれもしていないのに沢山の人々を束ねる頭をしなければならなくなったのですから、その怯える気持ちはも分からないではありません。しかし、これも、バイトもやらなかった子が、学校を卒業して最初に就職した時に感じる、いわゆる社会人ショックと大なり小なり同じですから、ゆっくりとで良いですから、逃げずに克服していくことです。そうすれば後から、きっと懐かしく良い想い出になっていると思います。

さて、この映画の解釈にもいろいろな語り口ができそうですが、とりあえず映画の中で数回登場した「海苔」に注目したいと思います。あれは「糊」と「海苔」をかけていたのかもしれません。指に「将棋の駒がぺたぺたする」とのセリフがありましたから(半分冗談ですが)。

「ぺたぺたする」は「相手との関わり方」を表していたのかもしれません。「これじゃぁダメだよ」と突き放して終わりではいけないのです。木こりである克彦の、幸一への関わり方が「ぺたぺた」する関わり方ですね。あんな先輩が一人でもいると後輩は幸せものです。でも実の息子へは粘りが足りませんでした。将棋をやりはじめてからは「ぺたぺた」すると言ってましたが、将棋で心の交流が再開したのですね。

海鮮の中で、太古の昔、魚が最高のご馳走なら、魚を取れないときに食べたのが貝でしょう。貝が取れない時に食べたのが、ウニやナマコなのではないでしょうか。それも取れない時に食べたのが、海に漂っていた昆布など大きめの海藻で、それすら取れないとき(取れない人が)、最後に食べたのが、ゴミの様に漂っていた海草「海苔」なのでしょう。

しかし、この「海苔」は、皆様ご承知のとおり素晴らしく健康的な栄養食品だったのです。あんな薄っぺらな紙の様な「海苔」ですが、日本人はそこに気がついてよかったのです。人と人との関係も、成功するも失敗するも、心と言いましょうか、伝わる伝わらないは、紙一重の粘りなのでしょう。

山の中に引きこもるように暮らす木こりが、遠く海に漂っているゴミのような海苔を食べる。未熟な映画監督も、畑違いの初対面の木こりから、あんみつを食べさせられる。遠くの物や人との邂逅、それで成功する。これは映画「ロボジー」にも通じるものです。やはり時代が求めるテーマなのでしょう。そんな夢を見た佳作でした。役所さん。山本五十六の演技も良いですが、「はい?」が出てくる、こっちの方が好きな映画かもしれません。必見の作品です。

★★★★

追記 ( ゾンビの正体みたり・・・ ) 
2012/2/24 18:16 by さくらんぼ

「ゾンビ」というのは、詰まるところ、オタク君が脅威に思っている映画スタッフや俳優など、映画に口出しする、すべての他人様のイメージなのでしょう。彼はその「ゾンビ」に精神的に潰されそうになっていたからです。

だから、劇中劇で「ゾンビ」と共存共栄しようとした主人公たちが、「ゾンビ」の餌食になってしまう悲しきストーリーで正解なのでしょう。アーティスト監督としてはゾンビの雑音的言動のために悪影響を受けてはならないのです。

木こりもまた、映画の冒頭では「ゾンビ」の一人として登場しました。大きな音を立てて映画制作のじゃまをしたからです。監督は怒っていたはずです。だから、ゾンビ役として映画に登場させられる羽目になったのは道理なのでしょう。

しかし、この「ゾンビ」だけは例外的にオタク君に良い影響を与えました。メイクも落として人間に戻り、さらに温泉で裸の付き合いまでしたのですから、許してあげます。

追記Ⅱ ( 将棋盤という道場 ) 
2012/2/25 9:43 by さくらんぼ

将棋は、天文学的パターンの駒の動かし方があるゲームだそうです。しかも一人きりで、その中から最良の一手を選択し、決定しなければなりません。これはリーダーになる訓練にもなるのではないでしょうか。さらに「ぺたぺた」と人情をもって駒(人)を動かすという、人心掌握術まで付いていました。

さらに余談ですが、痔が悪くてドーナッツ型のクッションにすら満足に座れない俳優と、木こりが作ってくれた重量級(無骨な男が作ったものは概してあんなも)のイスについては、「痛くても、重くても、人には座らなければならないイス(責任)がある」という映画の記号だったのかもしれません。

そしてラスト。オタク君が重たいイスをロケの移動にあわせて持って行こうとしましたが、重すぎて動きません。やもうえず、その場に放置して走り去ります。

あのイスはどうなるのでしょうか。きっと満潮になり波がさらっていくのでしょう。そして、オタク君は本来のディレクターズ・チェアーに戻るのです。めでたし、めでたし、でした。監督も木こりにも一生忘れられない邂逅でした。映画「嫌われ松子の一生」の主題ではないですが、やはり「人生は他人の想い出になって完結する」のでした。

追記Ⅲ ( 同じ釜の飯を食うこと ) 
2012/2/27 13:21 by さくらんぼ

映画「南極料理人」の沖田修一監督が作った作品らしく、映画「キツツキと雨」にも食事のシーンが多数出てきました。

オタク君がディレクターズ・チェアにも座らないで、一人しゃがんで弁当を食べているシーンがあります。これはオタク君の自信のなさと、スタッフとの心の断絶表現なのでしょう。

そこへ、一人やってきたのが木こりでした。一緒に飯を食ってくれる友はありがたいものです。木こりとは、その後にも、二人で蕎麦を食べるシーン、恋人みたいにハシャギながら、あんみつを食べるシーンなどが出てきます。

よく、同じ釜の飯を食う、とか言いますが、同じ器からあんみつを喰らう仲、というのは象徴的なシーンなのでしょう。しかも、木こりは甘いものが苦手であるにもかかわらず、オタク君のために自己犠牲の精神で喰らい、ジンクスに縛られて大好きな甘いものを断っているオタク君にも食べさせるのです。「もっと自由になれよ」ばかりに。本当にいい男です。

これも食事が大切に描かれていた映画でした。だから人間を喰らうゾンビとは、同じ釜の飯を食うわけにもいかず、共存共栄ができないということにもなるのでしょう。



(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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