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#ネタバレ 映画「夜明けの祈り」

「夜明けの祈り」
2016年作品
「理由は聞くな、上からの命令だ」
2017/8/24 22:06 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

モノクロ時代のしっとりとしたフランス映画など観たい気分になることがあります。ハラハラ、ドキドキして、ラストはもちろん「よかったね!」と、胸をほっこりさせながら帰路につけるものを。

この映画「夜明けの祈り 」は、そんな味わいのカラー新作映画で、現代においては、なかなか出会えない佳作です。

「理由は聞くな、上からの命令だ」は、医療活動を行っている赤十字での人事異動で、上司が部下に言った言葉。同時にこれは「神の計画は、人には理解できない」という意味でもあるのでしょう。

夏休みの一本として、学生さんは読書の代わりに観に行っても良いのではないでしょうか。

ちなみに救世主になる、沈着冷静なヒロイン・フランス人女医マチルド(ルー・ドゥ・ラージュさん)。私は初見ですが、劇中ではアイドルかと思うほどに魅力的に見えます。

★★★★★

追記Ⅱ ( 虹のハーモニー ) 
2017/8/25 8:31 by さくらんぼ

映画のチラシ裏面には、雪が積もった林に、シスターがぽつんと一人立っている写真があります。まるで木立のように。

雪(冬)はシスターたちの寒々とした心象風景でしょう。健さんの映画と同じですね。そして林はお互い繋がりのない人々や組織を表していると思います。群衆の中の孤独とか縦割り行政みたいな。

シスターたちは神に祈りますが、シスター間はどの程度、親友と言えるほどの交流があるのでしょう。この映画では、軍隊と赤十字と教会、国、男女、上司と部下、色んな所が孤立しています。

そしてチラシの表面。朝日の中、笑顔で女医のマチルドを囲むシスターたち。これは縦割りの壁が一部壊れ、そこに生まれた「ハーモニーの中に問題解決の答えを見つけた」記号ですね。

注目すべきは、シスターが兵隊にレイプされた事件です。シスターたちを絶望の底に陥れました。これも壁が壊れたモチーフの一片です。ところがマチルドにも恋人がいてベッドシーンもあり、心の支えになりました。

二つはどう違うのでしょう。合意の有り無しですね。ハーモニーの有り無しです。虹の七色みたいな。

追記Ⅲ ( 神の計画 ) 
2017/8/25 9:41 by さくらんぼ

>「理由は聞くな、上からの命令だ」は、医療活動を行っている赤十字での人事異動で、上司が部下に言った言葉。同時にこれは「神の計画は、人には理解できない」という意味でもあるのでしょう。

7人ものレイプ事件という悲劇が起きましたが、そこにマチルドという救世主が登場します。

そして途中いろいろありましたが、生まれた子どもを、ほとんどのシスターたちは我が子として可愛がりました。さらに、口うるさい世間の目から隠すため、マチルドのアイディアで、街の孤児たちをも一緒に育てるようになりました。孤児院も兼業すれば、尊敬はされても偏見は持たれないわけです。修道院の中だけに生きていては思いつかないアイディアですね。

修道院はにぎやかに、明るくなりました。門外漢の私には、原理主義的な、信仰に凍りついた様な修道院が、ここに血の通った人間らしさを取り戻したように見えました。

追記Ⅳ ( 神の言葉 ) 
2017/8/25 9:47 by さくらんぼ

映画「地球が静止する日」(2008年)の中で、宇宙人ふんするキアヌが聴いて「美しい…」とつぶやいたバッハの「ゴルトベルク変奏曲」。

その中の一節だったのか、違うのか分かりませんが、映画「夜明けの祈り」の孤児を迎えるクライマックスでも、バッハらしきピアノ曲が流れるのです。

バッハの、信仰と調和のある宇宙的な美。

あれは神の言葉だったのかもしれません。

追記Ⅴ ( どうしてもそうするのか、どうしてもそうするのだ ) 
2017/8/26 8:26 by さくらんぼ

映画のラスト、マチルドが赤十字へ帰る途中のクルマを止め、そこへ乗り込んだ一人の女性がいました。

二人は阿吽の呼吸でつながる仲良し(ある意味「戦友」)に見えました。誰でしょう。チェーン店の飲食店でもそうですが、いつも制服を着ている人が私服に変えると、私はだれだか分からなくなる事がありますが、このラストを飾るエピソードのメッセージは案外重要なものだと思います。

全体の構成から推測すると、映画の冒頭にあるクルマのシーンと対になっているようですね。彼女は、独断で一人修道院を抜けだし、赤十字のマチルドに「助けて!」と懇願して、断られたので必死に神に祈った、あの勇気と行動力にあふれたシスターだったのかもしれません。

あの直後、クルマで修道院へ向かう二人の顔が映ります。二人の表情(内面の演技)が見事ですね。マチルドは戦士(救世主)の顔で、シスターは救世主の側で安心した使徒の顔をしていました。

たぶんその二人が、映画のラストでも同じクルマに乗り込んだわけです。どうやら、ここでもシスターは独断で逃げだしてきたみたい。でも今の二人は理解しあい、微笑んでいました。

何を言いたいのかというと、二人はこの映画の主役であり、命がけの働きで、仲間のシスターも、子どもたちも、修道院も、孤児たちも救われました。しかし、実は二人ともそのミッションを好きではなかったのです。でも「そうすべきだ」との信念が湧きおこってきて、行動せざるを得なかったわけです。

この「そうすべきだ」は、修道院長もそうですね。結果的に選択が間違いだったにせよ、彼女は子供憎しで動いたわけではなく、日本の「姥捨て山」みたいな心境で、泣きながら行ったわけです。彼女にとっても「苦手なこと」だったはず。

そしてラストシーンになります。無事にミッションを成し遂げた二人は微笑んでいました。そして、二人ともそこを去って行くのです(描かれていませんが、たぶん修道院長も引退でしょう)。マチルドは外の人間なので当然ですが、シスターは意外にも「子どもが苦手」とか言っていました。それでも立ち上がって子どもたちを守ったのです。でも、もう今なら、一人ぐらい逃げだしても修道院は大丈夫ですね。

ベートーヴェンではないですが、「どうしてもそうする のか、どうしてもそうするのだ」と「苦手なこと」を行うとき、それは神様の思し召しなのかもしれないと、映画は語っているようです。

追記Ⅵ ( 三本の映画 ) 
2017/8/26 14:38 by さくらんぼ

>この「そうすべきだ」は、修道院長もそうですね。結果的に選択が間違いだったにせよ、彼女は子供憎しで動いたわけではなく、日本の「姥捨て山」みたいな心境で、泣きながら行ったわけです。彼女にとっても「苦手なこと」だったはず。(追記Ⅴより)

「姥捨て山」だけでなく、TVドラマ「木枯し紋次郎」(参考)に出てきた「子どもの間引き」も、昔の日本ではありました。

ところで、映画「あなたを抱きしめる日まで」を観ると、昔の修道院には、生まれた子どもの扱いについて、いろいろ問題もあったようですね。

そして、あのフェリーニの映画「道」〈1954年〉には、昔の修道院の閉鎖性(住民を忘れ、神しか見ていない)が描かれていました。

そして映画「夜明けの祈り」と同じフランス映画である、映画「最強のふたり」には、どこか一滴の毒があるようでした。

この三本の映画のエッセンスも、映画「夜明けの祈り」には感じられました(詳細はそれぞれのレビューをご覧ください)。

追記Ⅶ ( 罪人 ) 
2017/8/27 9:04 by さくらんぼ

それでは、物語の火種を作ったソ連兵の、この映画での位置づけはどうなのでしょう。彼らは修道院に押し入り、少なくとも7人のシスターをレイプしました。言うまでもなく罪人(つみびと)です。

では、ほかに罪人はいないのでしょうか。

神に仕える身でありながら妊娠したシスターたちも、スキャンダル好きな世間様の目から見れば罪人になってしまうのです。修道院長が子どもの一人を野に捨てたのも、そのスキャンダルから修道院を守るためでした。赤十字の上司も、軍隊の上官も、そして神さえも、みんな組織を守ることを考えます。もちろん捨てる行為は間違いであり、彼女も罪人になります。

生まれた子どもの育児放棄をしたシスターもいました。その子どもの養母になったシスターもいましたが、後に院長により捨てられたので、ショックで自殺をしました。この二人とも罪人ですね。キリスト教で自殺は禁止されているようですが、それ以前に、人殺しは、他人であろうと、自分であろうといけません。自殺は悪いことです。自殺を人生の選択肢の一つにしてはいけません。留まれなければ逃げれば良いのです。追記Ⅴで書いた一人のシスターのように。

それから映画の冒頭、独断で密かに赤十字へ医者を呼びに行ったシスターも、そして赤十字には内緒で一人修道院へ通い詰めて出産を手伝ったマチルドも、所属する組織を裏切った点で罪人なのです。

これらにも一滴の毒と言いますか、神の計画と言いますか、あまり学校では教えてくれない、大人の世界にある「連立方程式のような人生の解」が描かれていました。

追記Ⅷ ( 許し ) 
2017/8/27 9:25 by さくらんぼ

人は一度でも罪を犯したら、もう許されないのでしょうか。

この映画の中に、無断で赤十字へ行ったシスターが修道院長に叱られるシーンがあります。シスターは「お許しください」と言いました。すると院長は「それは二回目です。でも許しましょう」と答えます。

人がもう一度立ち上がるために、「許し」が必要なときがあります。聖書を引用するまでもなく、長い人生、誰でも何かしら罪を犯しているもの。もし「許し」が認められない世の中があったとしたら、それを「地獄」と呼ぶのかもしれません。

追記Ⅸ ( グールドの二枚 ) 
2017/8/27 9:55 by さくらんぼ

>あの直後、クルマで修道院へ向かう二人の顔が映ります。二人の表情(内面の演技)が見事ですね。マチルドは戦士(救世主)の顔で、シスターは救世主の側で安心した使徒の顔をしていました。(追記Ⅴより)

バッハの「ゴルトベルク変奏曲」。

ピアニストのグールドは二枚のCDを出しています。①一枚は1956年のデビュー盤、②もう一枚は1981年盤です。そして彼は翌1982年に亡くなりました。

たまたま私は二枚とも持っていましたので、この機会に聴き比べてみました。

①は、繊細でみずみずしい感じがします。赤十字へ医者を探しに行ったシスターを連想しました。

②は自信にあふれています。医師・マチルドのようでした。

映画などで流れるのは②の冒頭部分が多いようです。そのせいもあってか、どちらか一枚買う場合は②を選択する人が多いのかもしれません。

しかし、①の繊細なみずみずしさも捨てがたいです。むしろ私は好きかもしれない。年代を考えると、録音も素晴らしく、私には古さを感じさせませんでした。むしろアナログが再評価されている時代の音なのかも。

追記10 ( 神さまも徹夜してた ) 
2017/8/27 10:11 by さくらんぼ

>あれは神の言葉だったのかもしれません。(追記Ⅳより)

もしバッハの「ゴルトベルク変奏曲」だったとしたら、神様はなんと言われたのでしょうか。この曲、伝説では「不眠症に悩む伯爵のために演奏された」とも言われていますが。

映画「夜明けの祈り」の中でも、救世主・マチルドが徹夜で修道院へ通うので、赤十字では眠くて使い物にならず、同僚や上司に叱られたり、ソファーで仮眠したりするシーンがありました。

あれは伏線だったのかもしれませんね。

すると上司である神の言葉は、「やれやれ、これでやっと、私も眠ることができる…」とでも、なるのかもしれません。

追記11 ( 3.11 ) 
2017/8/28 11:40 by さくらんぼ

忘れがたい3.11直後の事です。

「 … ローマ法王ベネディクト16世が、東日本大震災で被災した、日本に住む7歳の少女のある質問に答えました。…

… 『 私は日本人で7歳です。私はとても怖い思いをしています。大丈夫だと思っていた家がとても揺れ、同じ年頃の子どもがたくさん亡くなったり、外の公園に遊びに行けないからです。なぜこんなに悲しいことになるのか、神様とお話ができる法王、教えてください 』と日本語で質問した。

法王は、『 私も同じように【なぜ】と自問しています。いつの日かその理由が分かり、神があなたを愛し、そばにいることを知るでしょう。私たちは苦しんでいる全ての日本の子どもたちと共にあり、祈ります 』などと回答した。… 」

( Yahoo!ニュース 「被災少女の苦悩にローマ法王回答…」 2011/4/2717:49:50 より抜粋 )

そして悲劇からスタートする映画「夜明けの祈り」でも、登場人物たちは皆、その着地点を想像すらできませんでした。

こちらも偶然3:11です。

「 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」

( 「口語訳聖書 - 伝道の書」第3章の11 より引用 )

追記12 ( 復活 ) 
2017/8/28 12:02 by さくらんぼ

シスターの中にはマリアという名の人もいました。それを加味して考えると、修道院を守るため野の十字架の前に捨てられた子どもは、体制の維持のために、役人に磔にされたイエスと同じだと思います。

十字架の前で命を落とした子どもは、やがて、たくさんの孤児を修道院に集める事になります。復活ですね。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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