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#ネタバレ 映画「サイドカーに犬」

「サイドカーに犬」
2007年作品
家政婦の様な母と、母の様な家政婦
2014/4/11 18:14 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

映画館で観終わった後、うまく言葉にできない不思議な余韻が残り、いつまでも忘れられない一作になりました。

それが、ひさしぶりにTV放送されたので、また観てみました。やっぱり、良い映画ですね。この世界観は飽きません。でも今度は、胸の奥がズーンと重く、しかも無性に哀しくなったのです。

少女(薫)たちの両親は、子供を愛しては、いませんでしたから。

話題になったTVドラマ「明日、ママがいない」みたいに、施設にいたり、両親のいない子供もかわいそうですが、映画「サイドカーに犬」みたいに、ちゃんと同居する両親がいて、母は家事をし、父には仕事があって、一見すると順風満帆に見えているけれど、実は、さまざまな理由で、子供たちが愛されていない家庭、というのもあるのです。こんな家庭は、外から羨ましがられることはあっても、誰も同情してくれません。

さらに、それに気づかない周りの人は、当然に教えてはくれないので、子供たちは、自分たちが愛されていない、という自覚さえもありません。父は生活費を運ぶだけ、母は家事をするだけ、でも、それが家庭の全てだと、誤解して生きているのです。

さらに、子供たちは、生まれてからずっと寂しかったわけですから、自分たちが寂しい、ということさえも気づかない。

一人でお留守番は寂しいけれど、愛してくれない両親と外出すると、自分の世界が両親に浸食されている分だけ、さらに、寂しい。愛されていれば温かいけれど、ただ親に邪魔されているだけだから、寂しいのです。

でも、それさえ、すぐには自覚できない。でも、自覚できなくともトラウマだけは形成され、大人になってもずっと残るのです。

そして、ときどき心の奥底から、火山の噴煙の様に噴き出してくる、正体不明の暗黒の苦しみに悩まされ続けることになるのです。苦しみながら、そのまま一生を終えることもあると思います。その分だけ、とても哀れです。

一台の自転車がパンクしたまま、ホコリにまみれて放置されていました。家業は、自動車の修理販売をしているのですから、自転車がパンクしたままでは、いけませんね。あれは、あきらかに親の怠慢、愛情の欠落記号のひとつだと思います。

又、家出をする時に、台所を綺麗に磨いていた母。あれは、別居後も、自分は家事に手抜きをしない良き母だったと言われたい、悪口を言われないための工作でしょう。ほら、さっき言ったでしょ、母は家事をするだけって。まったく、そのまんまです。本当は、時を惜しんで、子供たちとの別れを惜しまなくてはいけない刹那なのに。だから、母も子を愛していない。

母が家出をしたり、又、しばらくののち、帰ってきたりしたとき、あのときの、子供たちの顔つきを思い出すと、胸が痛い。母に対する喜怒哀楽の感情表現が無いからです。そうさせたのは、親の責任です。

そんな家庭に、突如現れたのがヨーコさんでした。子供たちに料理を作りに来たのです。家政婦さんみたいに。でも、ヨーコさんは料理だけでなく、自然体で子供たちを愛してくれました。

こどもにとっては、大人に愛されるなんて、まさしく誕生以来の初体験です。

たぶん夫の愛人でしょうが、シナリオ的には、精神的な父母両性を具有しているようでした。男っぽい性格の女性だったでしょ。それが、父母を兼ねているという記号です。

幸いなことに、子供らは、特に薫は、ヨーコさんとのひと夏の経験で、父母の両方の愛情を、一度に学んだのです。初めての蜜月でしたね。

そしてヨーコさんは突然去っていきました。

哀しいなぁ。

描かれていませんが、ヨーコさんの過去も、薫と、おそらく似た者同士でしょう。寂しいもの同士、二人は心が通いました。子供時代の薫は本当に良い演技をしています。ヨーコさんと互角に張り合っていましたね。

ところで、薫は理性では実父母を愛さなくてはいけないと思っている。しかし、感情では、ヨーコさんに愛情が向かっている。自分は親不孝の、ヒトデナシかもしれない。そんな風に胸を痛めて大人になってきたはずです。麦チョコはA商品か、B商品か、それを選択できないシーンがありましたが、同じですね。単純に選べないこともあるのです。

思い起こせば、私にも忘れられない人がいました。
だから、この映画もよけい胸にしみるのかもしれません。

何十年も前の事です。職場で一人の先輩と出会いました。先輩は、仕事ができ、酒好き、本好きで、そして、いつでもタバコをすっていました。頼りになる男性ですが、とても優しかった。ヨーコさんの男性版といった、人柄ですね。先輩からはいろんなことを教わりました。

でも、ヨーコさんと同様に、先輩との蜜月も短かった。

今はどうして、いるのでしょうか。

★★★★★

追記 ( 麦チョコ ) 
2016/2/28 15:13 by さくらんぼ

>ところで、薫は理性では実父母を愛さなくてはいけないと思っている。しかし、感情では、ヨーコさんに愛情が向かっている。自分は親不孝の、ヒトデナシかもしれない。そんな風に胸を痛めて大人になってきたはずです。麦チョコはA商品か、B商品か、それを選択できないシーンがありましたが、同じですね。単純に選べないこともあるのです。

麦チョコ、この映画で思いだして、先日コンビニで探しました。そうしたら有りましたよ。

これは溶けないチョコレートなのですね。直径5ミリのマシュマロみたいな、そんな柔らかな麦だけが、舌の上で最後まで残るのです。

こちらが意を決して噛むまでは、ちゃんと口の中に居てくれます。けっして、どこにも逃げて行きません。

ピーナッツやアーモンドの硬質とはちがい、やさしいのに。

この家の子供たちは、そんな“小さな麦のお母さん”に、文字どおり甘えていたんでしょうね。

追記Ⅱ ( もし親が弟だけを愛したとしたら ) 
2016/2/29 9:40 by さくらんぼ

この家では子供二人ともが親から愛されませんでした。

ここからは一般論ですが、さまざまな事情で、もし姉だけが愛されなかったとしたら、どうなったでしょう。親が弟だけを愛したとしたら。

愛を学習できなかった姉は、こんどは弟を愛せないのです。

だから、弟は姉を嫌うようになることがあるのです。

弟は自分が生まれる前の複雑な事情など知るはずもありませんので、姉の哀しみは想像すらできません。だから、単純に冷たい姉だと決めつけてしまうのです。

さらに、弟は大人になるにつれて、周囲を観察するようになります。

そして姉のことを両親が悪く言っていることに気がつきます。それで弟も自分の感情に「やっぱりな」と合点するのです。

姉はひょっとすると両親の親せきとも仲良くできないかもしれません。姉は愛を学習していませんし、両親の親せきはたいてい両親の味方だからです。親せきの前で両親が子(姉)を悪く言えば、親せも子(姉)を色眼鏡で見るようになり、そうなれば、子(姉)も親せきを嫌うようになります。

かくして、愛を知らない姉は、親せき内でも孤立するのです。でも、一番哀しいのは弟から嫌われてしまうことでしょう。姉は兄弟も親戚もいながら、生涯、この世の孤立無援、その無情を味わう可能性があるのです。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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