#ネタバレ 映画「マイ・サンシャイン」
( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
「マイ・サンシャイン」
2017年作品
何かに憑りつかれたような空気感
2019/1/3 9:58 by さくらんぼ
私は「やばい!」という言葉をあまり使いませんが、「1992年にLAで起きた暴動」、その直前のあの街は、まことに「やばい!」空気に満ちていました。
映画の冒頭、起きる事件の演技・映像のディテールを凝視してください。人々の多くはハングリーであり、ストレスは沸点まじかであり…それがあの事件を生んだのです。
普通の精神状態であれば、起きるはずのない事件でも、あんな場所では暴動や略奪が起きない方が不思議です。
有事でも日本では暴動・略奪が起きないと言いますが、それは、モラル云々以前に、日本には「やばい!」空気感がまだ無いからかもしれない思いました。
★★★☆
追記 ( 映画「万引き家族」 )
2019/1/3 10:10 by さくらんぼ
「 家族と暮らせない子供たちを引き取り、貧しいながらも希望に満ちた日常をおくっている黒人女性ミリー。隣家の白人男性オビーは、その騒がしさに文句をつけながらも、彼女たちを温かく見守っていた。しかし彼らの穏やかな生活は、暴動の発生によって歪みだす。」
( 「ぴあ映画生活」あらすじ より )
この映画の場合、暴動とはつまり、警察による主人公たちへの弾圧になりますが(子どもたちは万引きしている)、この構図は、遠くに、映画「万引き家族」を連想させました。
追記Ⅱ ( 映画「街の灯」 )
2019/1/5 9:51 by さくらんぼ
原題「KINGS」、これはキング牧師の事でしょうか。もしかしたら、黒人を弾圧する「警察官たち」を揶揄した言葉だったのかもしれません。
邦題「マイ・サンシャイン」、これは何でしょう。クライマックスに、何かに憑かれた警官から駐車場にある街燈に手錠で繋がれる主人公たち二人がいました。映画「街の灯」のように、街燈は街を照らし、見守るものであり、動物のように人々を縛るところではありません。
しかし、繋がれている黒人女性は、事実上、恵まれない子どもを助ける慈善事業をしており、白人男性は隣人で、口うるさいけれど、女性を見守る町内の頑固オヤジのような存在でした。
ほんとうは、その白人男性の役目を警察官がしなければいけないのでしょうね。
追記Ⅲ ( その空気感はどこから来るのか )
2019/1/5 16:43 by さくらんぼ
「何かに憑りつかれたような空気感」の、「何か」とはなんでしょう。
黒人のことを、商店は「万引きに違いない」と、警察は「犯罪者に違いない」という色眼鏡で見ています。この映画では、それが沸点寸前まで高まった街で始まります。
そうなった背景には、それなりの理由があるはずで、黒人の側にまったく非がなかったとは思いませんが、強い人種差別があったこともまた事実でしょう。だから、黒人たちも警察を「疫病神のように感じていた」のだと思います。
世の中には、ときに「葛藤というか、割り切れない苛立ち」みたいな感情があるものです。
街灯に手錠で繋がれている時、自分たちが親代わりになっている幼い子どもたちが、クルマのキーをいたずらして、動きだしてしまうエピソードがありました。
助けにも行けず、されとて、叱りつけて子どもがパニックにでもなったら最悪ですから、冷静に指示をして、止めさせることしか出来ません。
このエピソードも含めて、あの空気感があったのだと思います。
追記Ⅳ ( 射撃管制用レーダーの照射 )
2019/1/5 17:27 by さくらんぼ
先日、「韓国海軍が海上自衛隊哨戒機へ射撃管制用レーダー照射した」という問題が起こりました。
アーチェリーの世界では、「矢をセットしていない弓であっても、弦を引いていなくても、人に向けてはならない」というルールがあります。向けられると分かりますが、弓矢の威力を知っているだけに、瞬時に恐怖心が沸き起こります。遠目には矢の有り無しも、引いているのかも分かりにくいので、こちらを狙ったと思われます(その場で、速攻注意されます)。
それを思いだすと、射撃管制用レーダーの照射は「冗談でない」話なのだと思います。
韓国と日本は友好国のはずですが、2019.1.5現在の韓国は、同一民族である北朝鮮と親交を深めており、逆に、友好国の日本には反日感情が沸いています。
ここにも「葛藤というか、割り切れない苛立ち」みたいな空気が感じられるような気がします。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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