見出し画像

”○○すべき”って それホント?

おはようございます

先日、朝会(毎朝6:30~7:10頃ZOOMで瞑想やメモ書きをしています。
その日の目標とアクションプランを決めます)で、他の方からこんな目標を聞きました。

仕事で”○○すべき”と使わないようにする。

なるほどな とてもいい目標だなぁと思いました

そして、思い出したことがありました



結婚当初、私は今よりもっと未熟で、主人に対してよく感じていたことがありました

”普通はこうじゃない?”
こう考えるといいのに、どうしてこの人はそうは思わないんだろう?”

一番始めは、結婚して迎えた初めての年の暮れの出来事でした

そろそろ大掃除をしようかな。

新婚とはいえ、少しずつ気になる汚れも出てきていた頃でした
私の仕事は不定休。しかも年末年始はパートさんが休みに入るから、大掃除できる日は限られていました

いつ何をしようか? これは手が届かないから主人に頼もう

そんなプランを立てて、長期の休みに入った主人に天井の電気カバーの掃除のお願いをしました

ところが、何日経ってもしてもらえる気配がない

そこで、自分の休みの日の朝一番に、こう言ったんです

"ねぇ、そろそろ電気やってもらえない?
上が終わらないと次の掃除ができないし…"


彼は急に激怒しました

お前の都合で人を動かすな。

俺の家では大掃除なんてしなかった。


びっくりしました
私の実家は田舎だったせいもあり、ご近所中で大掃除をしているのが分かるほどでしたから

自分の常識は、自分の中での常識でしかないんだと知った瞬間でした


まして仕事に対しては頑固な部分が多くて(これは今も同じかも)
こうするべきなのにと感じることも多々あります

それにしても
○○すべきって、モヤモヤする感情ですね



そもそも、○○すべきという言葉はどこから来るのか?


これは、判断執着から来るそうです

まこなり社長や反応しない練習の本等でも言われていることです


上の例の場合、私は”年末には大掃除をするもの”と判断し、

それが”大掃除しなければいけない”という執着となり、

”高い場所の電気の掃除は主人がするべき”なぁんて、また判断と執着の上書をし、

毎日ゴロゴロしている主人を見てはモヤモヤ・・・

他人である(自分ではないという意味で)主人の行動をこうするべきと決めつけていたのです


まぁ、今でも思いますよ。やってくれてもいいじゃーーんって(笑)

ただね、判断と執着は人を不幸にするって気付いたんです

悩みを増やすだけなんです

判断しない。執着しない。

○○すべきを手放した時、心が軽くなります♪


○○すべきって、それ本当?

少しでもこの話に共感してもらえたなら、反応しない練習にあるメモ書きをおススメします。


ちなみに、判断しない。は、他人に対してだけではなく、自分に対しても言えることですよね

自分はこうでないといけない。
家族はこうあるべき。
絶対にこうしないといけない。

結構、苦しくなっちゃいますね
それを手放しても、案外死にゃぁしません(笑)

判断すると、執着を生み、悩みになる


もちろん、どうしても判断しないといけないこともありますよね

それは、アドラー心理学の課題の分離が有名な話しですが、意外とメモ書きをしているだけでもスッキリ整理できることが多いですよ


今日は久しぶりのお友達と会ってきます
皆さんにとっても、笑顔の1日になりますように♪



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?