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拡散する迷惑行為は「日本」の縮図

絶大な反応

昨今話題の回転ずしでの「迷惑行為」に説明はいらないだろう。
やめるべきなのは当然だ。しかし、未熟な少年を直接の被害者ではない人々がよってたかって罰したがる様は異様に映る。

SNSに投稿されていないだけで、似たようなことはそこかしこで行われているだろう。そのリスクを背負いたくないなら、より高いお金を出して一貫ずつ職人が握るお店に行くべきだ

でも人々は、回転ずしという仕組みの中で、不届き者が現れないことを求める。スシローは莫大な額の損失が見込まれている。くら寿司は、春からカメラを使って迷惑行為を監視しだすそうだ。

反応は絶大である。

悪いのは、どちらか

少年が悪いのか、反応するほうが悪いのか。
白黒はっきりつけることはできないが、「過剰な反応」は現代社会の大きな特徴である。

煽り運転、高齢ドライバーの暴走、将棋倒し…
どれもいつどこで起こってもおかしくない(恐らく過去数えきれないほど起こった)出来事だが、SNSで可視化されると「急に現れた」「恐ろしい」「防止すべき」問題となり、社会を動揺させる。

迷惑行為もまさしくこのルートを辿っている。
あの行為に衝撃を受け憤る人々は、自分の預かり知らない所で様々なことが起きているということを知らない。

SNSは預かり知らなければよかったものを見せてくることが多すぎる。

日々感じること

日本は、と括ってよいかは分からないが、「外」に対して理解が少ないと感じる。それは外国人であり、異なる考えであり、知らないことである。
回転ずしでの迷惑行為は、たまたま可視化されただけであると思えないから、人々は狂騒し、客は離れていったのだ。
人々は冷静に対処していたら、事態は大きく違ったはずだ。

また、サービスに対価を払おうという意識が極めて低い。
コンビニや安価なファミレスにまで、「丁寧な接客」を求める人は後を絶たない。価格にはサービスの質も当然含まれる。サービスを求めるなら本来はペイが必要であるが、サービスを提供しない側が必ず悪者になる。

回転寿司は客にペイを求めずサービスを高めた結果、徹底的にセルフサービス化され省人化されている。少し考えれば、衛生面や客のマナーをコントロールできるはずがない
それでも人々はペイを拒否する。「なんとかしろ」という声、「回転寿司は悪くない、悪いのは迷惑行為を働く人間だ」という声、どちらも結局はペイをしない。
回転ずし店は今後さらに追い詰められてしまうだろう。

迷惑行為が生んだ混乱に、現代日本の負の縮図を感じてしまう僕は、考え過ぎだろうか。

企業努力の限界

企業努力は美徳とされる。しかし、行き過ぎれば問題を引き起こす。

僕たちは「努力」を求めすぎていないだろうか。
自分たちは「努力」しないのに、満足できて当たり前だと思っていないだろうか

そう思うことが一番の迷惑行為なのだ。





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