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ヒモ男ロボ

いつからかわたしはヒモ男を飼うことを、いや、正確に言えば、ヒモ男ロボを所有することを、ぼんやりと夢にみるようになった。雑誌の編集者といういまの仕事はどちらかといえば向いているほうだとは思うし、忙しすぎるということを除けば、職場や仕事に対する大きな不満もない。それなりに出会いはあるし、気がつけば付き合っていたという感じでいつも彼氏が出来ることが多いが、でも大抵、彼らとはあまり長くは続かない。自分の仕事にプライドを持って生きているようなタイプ、つまりキャリア系とかヤリ手とか、そんなような呼ばれ方をする男と付き合うことが環境的に多くなりがちなのだが、わたしとて詰まるところでは彼らと似たようなタイプであって、結局はぶつかりあってしまうことが多い。その諍いは、始まりはいつも小さなものなのに、知らず知らずのうちに大きく育ち、結果としてお互いの家にあった相手の私物を郵便で送り合う羽目になる。アーティスト気取り、と言うと本人たちには失礼かもしれないが、自称だったり目指していたりだったり、細かい違いはいろいろとあれど、芸術とか文化とかのフィールドに生きているような男と付き合うことも、そう多くはないが、たまにある。彼らのほとんどはあまり経済的に充実していなくて、その代わりに、時間を持て余すような暮らしをしていることが多く、わたしが彼らの部屋に行くのではなく、彼らがわたしの部屋に入り浸るようになることが多い。これも個人差はあるが、付き合いはじめのうち、彼らは大抵、驚くほど積極的に家事に貢献してくれる。わたしが遅くに帰るとお風呂を沸かして身体に優しい夜食を作って待っていてくれる者もいれば、溜まった洗濯物を綺麗に畳むところまで済ませていてくれる者もいる。長年掃除していなかった本棚と壁の隙間までも掃除してくれたり、カーテンをすべて洗濯して窓をピカピカに磨いてくれた者さえもいた。だが、アーティスト気取り属性とわたしが呼んでいる分類の男たちのなかでも、わたしと付き合うような彼らは、どういうわけか、そういうことをしてくれる期間が長続きしない。彼らとて、経済力こそないが、プライドや自信は充分にあり、自分の人生をどうにかして前に進めようとしている者ばかりで、そのうちにわたしのことよりも自分の人生のことをまた考えるようになり、だんだん家事をやらなくなる。家事に積極的に貢献してくれるのは誰も彼もが長くてつきあい始めの2ヶ月くらいで、そのうちに部屋の掃除もしなくなるし、自分の分の洗濯ものや食器洗いさえもおろそかになって、疲れて仕事から帰ったわたしとそのことで言い争いになって、そのうちにわたしは鍵屋を呼んで玄関の鍵を新しいものに交換する羽目になる。おそらく、ヒモとして末永く活躍してもらうためには、ヒモとしての自分の人生にプライドを持っているという特殊な男か、何もやる気がなくてただ生き延びられればそれでいいと思っているようなタイプの者でなければ駄目なような気がする。だが、そんな者たちにはなかなか巡り合わないし、巡り合ったとしてもたぶんわたしは彼らとはあまり恋には落ちないだろうから、そういう彼らを家に置いておきたくとも、なかなかそうはできない。そこで登場するのが、この画期的な発明、ヒモ男ロボだ。ヒモ男ロボのことを妄想するようになったのはツイッターがきっかけだった。いつものように校了間際の時期にボロボロの状態で深夜に帰宅して、どうせいつも最後まで飲めずに寝落ちしてしまうのにも関わらず、つい五百ミリ缶を買ってしまうストロングゼロを飲みながら、ソファにだらしなく身を沈めてツイッターを眺めていた。タイムラインを遡っていると、aiboの広告を見てヒモ男が欲しいと思った、ヒモ男ロボが出たら三十万までなら出すと思う、そんなようなことをつぶやいている人がいた。なんの仕事をしているのかはわからないが、アラサーで独身の女の人のアカウントで、それを読んで、わたしも心から同感した。ゴミを出してくれたり、皿を洗ってくれたり、トイレ掃除をしてくれたり、布団まで干してくれる、そんなロボットがいたら、どんなに暮らしが快適になるだろうか。その人は、小説家とかバンドマンとか劇団員とかを目指しているという設定のヒモ男ロボのこともつぶやいていて、AIで生成した文章を読んでくれる機能とか、型落ちのMacBookで公演のチラシを作る機能のことも書いていて、わたしはかつて付き合っていたそういうようなタイプの男たちがほんとうに似たようなことをしていたのを思い出して、彼らの顔を思い出しながら思わず声を出して笑った。いま、わたしは、あと五分もしたらもう家をでなくてはならない。雑誌の編集者と言っても、ファッション誌とかのようなきらびやかなイメージの雑誌ではなくて、特殊な業界のことを扱っている専門誌をわたしは作っていて、男が多い職場なこともあって、仕事は本当に毎日がハードだ。昨日も帰宅できたのはほとんど明け方みたいな時間で、流石に今日は午前は遅出にしたが、起きてシャワーを浴びて朝食を食べたらもう出勤の時間になっていた。本当は洗濯も随分と溜まっているからヤバイのに、結局、ギリギリまで寝てしまって、今朝は洗濯機を回す時間がなかった。収入を考えればドラム式の全自動の洗濯乾燥機を買うことは全く苦ではないのだが、マンションの洗濯機置場が古く、現行で販売されている洗濯乾燥機を設置することが出来ず、泣く泣く昔ながらの縦型の洗濯機をいまだに使っている。乾燥機を置く場所もないので、洗濯物は毎回必ず干さなくてはならない。ヒモ男ロボがいれば…。今食べているトーストとコーヒーの朝食の片付けもしてくれるし、この朝食だって、わたしがシャワーを浴びている間に勝手に用意していてくれたはずだ。適当に淹れたコーヒーとトーストでわたしは朝食を済ませたが、きっと、きちんとハンドドリップでこだわってコーヒーを淹れてくれるだろうし、トーストには目玉焼きとサラダがついているだろう。洗濯物だってわたしがシャワーに入っている間に、さっきまで着ていた寝間着や下着も含めてすかさず洗ってくれていることだろうし、洗濯機が止まれば丁寧に干して、それが乾いたら綺麗に畳んでくれるに違いない。たまの休日とか珍しく早く仕事から帰れた夜には手作りの美味しいごはんを用意してくれて…。そんなことを考えながら、キッチンのシンクにトーストの皿とマグカップを放り込んで、慌てて鞄をつかんでマンションのドアをわたしは飛び出した。エレベーターで、なんどか以前も廊下ですれ違ったりしたことがある同じ世代の女性と一緒になった。彼女もこれから仕事なのだろうか、そんなことを思わせるような身なりをしていた。彼女も疲れた顔をして、きっと昨日も遅くて、それで少し遅めの午前のこの時間に、仕事に向かうのだろう。この人に彼氏がいるのかどうかとか、結婚しているのかどうか、はたまたヒモがいるのかどうか、わたしは知らないが、もしヒモ男ロボが市販されていたら、きっとこの人も欲しいのではないかとわたしはなんとなく思った。家の前の道に出ると仕事に行きたくなさが湧き上がって来たが、それでもわたしは、きょうもいつものようにバス停に向かって歩き出した。(2018/01/15/00:31)


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