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正月

 大晦日の夜に藤野さんにラインを送った。一年間お世話になりました、ということと、またご飯でも誘ってくださいね、というようなことを書いたのだが、年が開けてもう十二時間近く経つが、まだ既読にすらならない。藤野さんと二人でご飯を食べに行くようになったのはまだここ二ヶ月くらいのことで、まだ二回しかない。一回目は六本木のイタリアン、二回目は三田の鰻屋だった。どちらも気取った感じのお店でないし、人生の大事なシーンで行くお店というよりも、日常のワンシーンでふと行くというような感じのお店だった。オリーブオイルがたっぷりかかった生ハムを器用にフォークに載せて口元に運びながら、藤野さんは最近興味を持っているという仮想通貨のことを話していた。お小遣い稼ぎの投資として考えてもいいし、人生の資金を稼ぐためにやってもいいし、いろんな切り口があると思うけど、と言って、自分はいま五十万円くらいを投資したところだと藤野さんは話した。藤野さんの仕事のことをわたしはハッキリとは知らないし、どういう仕事をしているのかを簡単に説明してくれたことはあったがよくわからなかった。出版とかイベントとかを手がける企業で、新規事業開発を担当している、と藤野さんは自分の仕事のことをわたしに説明した。新規事業開発というのがどういう仕事なのか、わたしにはよくわからなかったが、それなりに楽しく働いている、と藤野さんは言っていた。種の抜かれたオリーブにフォークを突き刺しながら、仮想通貨に使われているブロックチェーンという技術がいかに画期的な技術で、この先、もし仮に仮想通貨市場が今ほどの盛り上がりを失ったとしても、ブロックチェーンという技術は必要不可欠なものなので、仮想通貨の存在自体が無くなることはないだろう、というようなことを藤野さんは話した。みさきちゃんもちょっとやってみてもいいかもね。藤野さんに言われてわたしは曖昧に頷いた。藤野さんと食べた鰻は関東風のスタンダートとも言えるような鰻で、ふっくらと蒸された鰻だった。藤野さんは関西の出身だが、関東の鰻のほうが好きだと言っていた。わたしは東京の出身で、蒸さずに焼いただけの関西の鰻というものをまだ食べたことがない。藤野さんは三五歳で、わたしのちょうど十歳年上で、彼女はいないらしい。イタリアンに行ったのは十一月で、鰻屋に行ったのは十二月だった。どうしてわたしのことをご飯に誘ってくれるのかよくわからなかったが、藤野さんと過ごすのは、なんというか、悪くなかった。悪くない、と言うとなんだか上から目線みたいになってしまうが、お互いのことをまだイマイチよく知らない関係の現状では、悪い、か、悪くない、のどちらかしかないような気がする。良い、と言ってしまうのも簡単だとは思うが、それだと、食べたものをなんでも美味しいと言うみたいな気がして、すこしイージーすぎるような気がする。いま付き合っている彼氏とは、たぶんもうすぐ別れるような気がしている。藤野さんと過ごすのが悪くないから、というのとは関係なく、このまま別れそうな気がしている。その彼氏のことを自分が好きなのかどうか、自分でもよくわからないし、もう一ヶ月近く会っていない。藤野さんからラインが届いているかもしれないと思いiPhoneの画面を見たが、友達からのラインしか来ていなかった。東京の出身だが、わたしはいま一人暮らしをしていて、正月に合わせて帰省していた。帰省と言っても住んでいるマンションからドアトゥドアで三十分もあれば帰ってこれる距離だが、普段実家に帰ることはあまりない。両親と不仲なわけではないが、帰る理由がべつに無いから帰らないだけだと思う。台所を覗くと、まな板の上に柚子が並んでいた。母親が知り合いにもらったものらしい。おせち料理にも使ったが、それでも余るくらいの量だった。ジャムにしようと思っているの、と母親は今朝言っていた。キッチンの窓から差し込む青白い光が綺麗だと思った。(2018/01/07/12:15)

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