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遠い夏休み

 暑かったでしょ。美雨のお母さんが冷たい抹茶を出してくれた。最近ね、アイス抹茶にハマってるのよ、抹茶って、健康に良さそうって思って飲み始めたんだけど、美味しいし、水に溶かすだけで飲めるし、思ってるイメージよりも全然扱いやすいから、わたし、茶道とかはぜんぜんやったことないんだけどね、なんかハマっちゃって、どう、おいしいでしょ? 美雨のお母さんの話し方は昔と全く変わらない。私が美雨の家に遊びに来ると、あの頃も、こんな感じでとりとめなくおしゃべりが始まって、お母さんもうわかったから、と言って美雨に部屋を追い出されていた。美雨とは小学校の頃の友達で、学校は違ったが、児童館とかでよく会っていて、家が同じ方面だったのと、美雨と美沙で名前が似ていたこともあってか、すぐに仲良くなってお互いの家を行き来するするような友達になった。わたしの父親は営業職で、転勤の多い会社だったので、幼稚園の頃に一回、中学に上がる直前に一回、中学の後半で一回、と高校を出るまでに結局全部で三回も引っ越した。住んだ期間は短かったが、中学の時に住んだ街が一番、私には合っていたようで、いまでも一番仲がいいのはその頃の友人たちだった。小学校そのものにはあまりなじめなかったが、それでも、美雨とはかなり仲がよかった。まだSNSもケータイもない時代だったので、引っ越した先の中学に入って以来、美雨とは全く連絡を取っていなかったし、小学校時代を過ごしたこの街に来たことは引っ越してからは一度もなかった。それがどういうめぐり合わせか、いまの仕事の客先の研究所がこの街にあって、今年に入ってから何度か足を運ぶことがあった。駅から客先に向かうタクシーの中で、街の景色を眺めるうちに、なんとなく、当時のことを思い出すようになった。小学生だったので電車に乗ることもそう多くはなかったし、駅のまわりの景色には思ったほど馴染みがなかったが、住宅街を通り抜ける県道を何度か通るうちに、当時を過ごした景色と、タクシーの窓の外を過ぎていくその風景が、わたしのなかで重なり合うようになった。きょうは珍しく、仕事が早い時間に終わったので、当時の記憶を頼りに、小学生の頃に住んだ家をまずは訪ねてみた。その家は、家の裏が小高い丘みたいに盛り上がった形の土地に建っていた家で、その裏の丘で子供の頃にはよく遊んでいた。母親に当時の住所を聞いて確認したので、その場所に私と家族が住んでいたことは確かなのだが、私たちが住んでいたその家はもうなくなっていて、裏の丘も造成されて、その区画一体が平地になって、大きなマンションが建っていた。当時の家を見ることができなかったのは少し残念だったが、私は気を取り直して、一番の仲良しだった美雨の家を目指した。放課後に家にランドセルを置いて、美雨の家に電話して遊びに行くのがほとんど日課のようになっていた時期があった。美雨がうちに遊びに来ることもあったが、私の両親は共働きだったので、私の家には誰もいないことが多く、私が美雨の家に遊びに行くことのほうが圧倒的に多かった。小学生の記憶を頼りに住宅街の路地を辿ると、当時と全く変わらない美雨の家に着いた。表札には、美雨の名字である川崎、という文字が書いてあって、当時と変わらずに美雨の実家だということがすぐに分かった。ベルを鳴らして、自分の名前と、小学生の頃に美雨と仲が良かったことをインターホンで伝えると、美雨のお母さんが出てきてくれた。美雨のお母さんは私のことを覚えていてくれて、突然の訪問に嫌な顔をすること無く、私を迎え入れてくれた。まぁ美沙ちゃんも立派になっちゃって、スーツなんて着て、お仕事は何をしているの、あんなにちいさかったのに、でもそりゃあそうよね、わたしだっておばさんだったのがもうおばあさんになっちゃったし、ねぇ、ほんとに何年ぶりかしらね、もう十年は経ってるわよね、もっとか、そうねぇ、でもほんとにひさしぶりね、いいから上がって頂戴、暑いし、さ、はやくはやく。私に答える暇を一切与えずに美雨のお母さんはそう言って、私を家の中に上げてくれた。ブラウン管のテレビが液晶テレビに変わっていたり、家具の配置が少し変わっていたりするくらいで、美雨の家は記憶のなかのあの頃とあんまり変わっていなかった。美雨のお母さんが出してくれたアイス抹茶はすっきりと澄んだ味で、夏も終わろうとしているというのにまだ暑い外を歩いてきた身体に沁み入った。私がいまどういう仕事をしているのかとか、今どこに住んでいるのかというようなことをひとしきり話すと、一呼吸おいてから、美雨のお母さんは、美雨のことを話した。美雨が死んでもう二年になるという。どうして亡くなったのかを美雨のお母さんは話してくれなかった。大学を出て、就職して、一年目の半ばで辞めてもう一度大学院に入り直して、卒業して三年目のことだったらしい。美雨が死んだことを聞いて、私は美雨と遊んでいた遠い夏休みのことを思い出した。美雨とふたりでプールに行って、お小遣いの小銭で自販機の紙コップのジュースを買って、プールの近くの公園までそれを飲みながら歩いた。あの頃の夏は、なんとなく、今よりも暑くなかったような気がした。学校が同じだったわけではないし、町内会とかの付き合いがあったわけでもないので、メールもSNSもなかったあの時代の知り合い同士となると、連絡する手段はそう多くはないし、私や両親がいままで美雨の死を知るすべはなかった。美雨がどういう思いで生きて、どういう思いで死んだのかを知るすべも私にはなかったが、美雨のおかあさんが仏壇に案内してくれて、私はお線香をあげた。隣の部屋のテーブルにあるわたしが飲みかけのアイス抹茶の氷が溶けてグラスにあたり、カランという澄んだ音が、静寂の中に、静かに響いた。(2018/01/14/23:00)

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