随筆事始

自分と書くこと

思い返せば、昔から文章を書くことが好きだった。
今でこそこうしてPCのモニタに向かって文章を書いてはいるものの、10代の頃は専らB罫のノートにひたすら書きなぐっていた。
その内容は、時に小説であったりもしたものの、ほとんどが詩のような散文のような、とにかく抑えきれない衝動の諸々を、毎日のように書きなぐることで心の安定をはかっていたように記憶している。

当時の文章は、いま読み返してみるとたいへんに青臭く、書いた本人ながら(だからこそ)赤面してしまうようなものばかりだ。
それこそ日本の純文学やサブカルチャー漫画や小説、歌などにたいへん影響を受けた文章を書いていたように思える。
今もまだそういった若かりし頃に書き溜めたノートが自宅に現存しており、めったに読み返すことはしないけれど、なんとなく所有しているだけで安心する。
それに加えて、当時から旅が好きだったのもあって、旅日記なども何冊か残っている。
何にせよ、それらはひどく稚拙で、前述の通り赤面を禁じ得ないような代物であることは間違いないけれど、少なくとも40歳を過ぎた今の僕には書こうと思っても書けるものではない。
即ち、これらは10代の鬱屈した僕が確かに存在したという証明に他ならないと思うと、なんだかとても愛おしく思えてくるから不思議だ。

そう、こうして時は流れ時代は移り変わり、文章を書くということからすっかり疎遠になっていた自分ではあるが、やっぱり書くことは自分のライフワークにしておきたいし、リハビリも兼ねてこうして書くという作業を継続していけたらいいなと思っている。
溢れ出んばかりの情熱をB罫のノートに書きなぐっていたのと同じ感覚で、このnoteに書きなぐっていけたらいいな。
できるできないは置いておいて、何でも始めなきゃ始まらない。千里の道も一歩から、継続は力なりの精神で書いていこうと思うので、お付き合いいただけたら幸いだ。

何について書く?

noteに日々のことを記すことに決めたのはいいけれど、何を書くべきか。
20代の頃にmixiという和製SNSが流行った時期があって、そこで日記を書くのを楽しみにしていたことがある。
頻度は全然憶えていないけれど、それでも3日に1つくらいは書いていたような気がする。
そこでは本当に自由に書いていたような気がする。
日々思うことであったり、フィクションを織り交ぜたネタ的な日記であったり、ライブの告知であったり、本当に色々だった。
こうしてnoteにて何かを発信するにあたって、昔のように友達だけに見せる特に内容のない日記だけでは、あまり生産性がないと思えるくらいには大人になった。
つまり、コンテンツとして他人に有益であるべきだと考えるようになった。
なったのはいいけれど、じゃあ僕自身が何か他人にとって有益な情報を持っているかと言うと、当然そんなものはない。

何について書くべきか、実はこうして書き始めるまでに1年以上悩んで悩んで悩み抜いた。
そしてついに天啓を受け、閃いたのであった。
なんてことはまったくなく、あんまり賢くない僕は相変わらず内容について悩んでいたのだが、別に特に内容のない、日々のことや思いついたこと、或いは読んだ本や見た映画などのレビューでもいいんじゃないかと思い始めている次第である。

noteという有名なサービスを使って書くのだからと、若干構えていたというのもあるけれど、この際それも無意味だし、自分自身のために何かを書いても、他人にとって良くはないかもしれないけれど、別段悪い、というか害になるものでもあるまい。

なので、好き勝手に書き進めていくことに決めた。

自分の文章

さて、今まであまりしてこなかったけれど、自分の文章について見つめ直してみよう。
ここまで読んでいただいた方はもう薄々感じていることだろうと思うので、あえて先に「お疲れ様、ありがとう」と労いの言葉を伝えておきたい。
自分で言うのも何だが、僕の文章は非常に読みづらく、難解であることが多い。
第一にひとつのセンテンスが非常に長く、これが何より読み手に対してのひとつの壁になりうると推測している。
また、僕自身、非常に大げさな文章が好きだし、大仰な物言いが好きなもので、文章もいちいち大げさになりがちである。
これもまた読者の方によっては不快感を覚えるものかもしれない。
けれども、とりあえず久しくこうして文章を書いていないので、どうか現時点ではゆるしてほしい。
そのうち慣れてくればきっと誰にとっても読みやすい、スイートな文章が書けるようになると思う。思いたい。

また、一人称が定まらないのも現時点ではご容赦願いたい。
ずっとずっと「僕」という一人称を使っていたものの、40歳を過ぎたら急に「わたし」「わたくし」のほうがしっくりくるようになってしまった。
ところが、こうして書いていると、何が一番いいのか解らなくなってしまった。
しばらくは「僕」だったり「わたし」だったり「おれ」とか「自分」だったり、定まるまで時間がかかると思われるのだけれども、これもご容赦いただきたいところである。

なんにせよ

こうしてまた文章を書き始めることができて嬉しい。
なかなかどうして、踏ん切りがつかずに今の今まで棚上げしていたのだけれど、一念発起やってみることにする。
できるだけ楽しく愉快でポジティヴかつ第三者にとって有益であるように努めてまいりますので、どうか温かい目で見守ってやっていただければ幸いです。

それではね。

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