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2022年の簡単な展望と「本当に新しい資本主義」

1.2022年のごく簡単な展望

表面的安定

発足して3か月を迎えようとしている岸田政権の支持率が異例の上昇をしている。

これまでのところ、隣国の韓国を含む諸外国と比べてコロナ感染をうまく抑え込んでいることへの評価が表れているものと思われる。所得制限やクーポン券の扱いなどでゴタゴタを繰り返した10万円給付問題や、オミクロン株の水際防御の不手際などは、幸いにして政権への大きなダメージにはなっていない。コロナに苦しめられ、発足3か月目にして大幅な支持率低下に見舞われた直前の菅政権とは対照的な展開となっている。
私見では、守りに強い安定的な官邸チーム(秘書官の集団など)を結成できたことが最大の要因だと感じているが、いずれにせよ、仮にオミクロン株の感染拡大を招かずに済むのであれば、とりあえずは、来年夏の参院選に良い形で持ち込むことが出来、長期安定政権への足掛かりをつかむことになると思われる。

ただ、この状況は、冷静に考えれば、決して諸手を挙げて喜ぶような状況ではなく、いわば、国家として「当たり前」に達成しなければならない状態である。「危機(主には新型コロナ)への適切な対応→政権運営安定→支持率の安定」のサイクルは、当然のスタートラインであり、後述するような「より大きな危機」に対して、日本としてどのように戦略的に対峙するかという問題に取り組まなければ、それは、いわばダチョウの平和(※)でしかない。
※ ダチョウは、危機が迫ると砂穴の中に頭だけ突っ込んで現実を見ないようにするとされる。(実際の習性とは違うとの説もあり)

流動化する国際関係と世界の危機

国際政治の不安定化が物凄い勢いで進行している。

最大の波乱要因は、隣国中国である。上海や杭州や深圳などを拠点とするハイテク企業の世界的躍進は、米国をはじめとする西側諸国のみならず、当の中国政府(共産党)すらも恐怖に陥れ、共産党政府は躍起になって、党の統制を乗り越えそうなまでの各種の勢いを抑えこもうとしている。この中国共産党が感じる「恐怖」には、海外への情報流出への恐れや、国富の流出など、いくつかの種類があるが、恐らく最大なのが、格差拡大による国内の不安定化である。

日本の地方の衰退を凌駕するペースで進む農村の荒廃や、不動産マーケットの崩壊(恒大の破綻や、いわゆる鬼城(建設中のまま放棄されている建物)などが多数生まれている状態)などにより、持たざる者はどんどん厳しい状況になっているため、圧倒的な勝ち組層の過度なまでの出現に対して国内の不満が暴発しかかっている。

また、ようやく国際社会も無視できない様相となってきたが、ウイグル族や香港人など、周辺地域の少数民族や開明的知識人に対する党(中央)による押さえつけも臨界点を越えつつある印象だ。海外に逃げ出す者も少なくない。

国内の不安定化が顕在化してくると、当然、政権運営者たちが考えることは、「外国勢力には屈しない」という大義名分で国民を一致団結させることである。特に権威主義的・独裁的国家にあって、軍部の台頭という無言の圧力も踏まえて、為政者たちが容易に選んでしまいかねない国際紛争への誘惑を断つのは大変だ。中国における台湾問題はその筆頭であろう。詳述はしないが、一説によれば、かなり現実的に可能性が高いとも言われるロシア軍のウクライナ侵攻説も、似た構造で説明がつく。

米国バイデン政権の支持率低迷も一つの波乱要因となっているところであるが、上記のとおり、岸田政権が何とか達成しつつある「政権運営の安定」という「当たり前」の状況づくりが、欧米をはじめとする民主主義国家下ではなかなか容易ではない。特に情報の拡散や拡大が過度に進んで不安定化する現代社会にあっては、民主主義で政治を安定させることの困難さが際立っており、そんな冷たい現実を横目に、じわじわと権威主義による統治が世界で拡大している

既に各種国連決議に対して現実に起こっているが、例えば中国の少数民族に対する所業などを非難する国数よりも、中国を支持する国数の方が上回る事態が常態化しつつある。

オロオロするしかない日本

北京オリンピック(冬季)への外交的ボイコット問題が典型だが、上記のような国際社会の分断という現実に対して、日本は基本的にオロオロするしかないのが現状だ。乱暴に言えば、アメリカに軍事的には未だに占領されているとも言える状態の中で、米国の方針に楯突くことは現実的ではない。

さりとて、貿易額その他、特に経済面では我が国に対して今や最大の影響を持っている国が中国であるとも言える中、習政権に対して強く物申すことも難しい。そんな状況下、岸田政権もやむを得ず、ボイコットという言葉は使わずに、事実上の外交的ボイコットをして、どちらにも良い顔をする、という手を打つしかなかった。

日本が経済的繁栄を謳歌していた30年前は、基本的な力関係の差はあるものの、それこそアメリカに対して、多少の反発は買おうともある程度は「Noと言える日本」がいたし、ましてや、例えば円借款の供与対象でもあった中国に対してモノが言えないなどということは基本的にはなかった。

昔は良かったと慨嘆してもはじまらないわけだが、要すれば、日本の国力(特に経済力)が相対的にどんどん低下する中、気づいてみたら「オロオロするしかない」立場に追い込まれていたわけだ。正確には「オロオロ度」が格段に増したということかもしれない。いずれにせよ、今後も、「オロオロするしかない日本」の軛から逃れることは困難であろうし、状況は益々悪化の一途をたどるであろう。

経済力の停滞・低下を一つの出発点として、農業の荒廃、地方の衰退、財政の悪化、少子高齢化、インフラ関連の技術力の没落、などなど、日本の国力を支える要素は、いわば総崩れ状態である。嘆きながら、この負のスパイラルに身を任せて奈落の底へと落ちていくのは、もちろん誰にとっても本意ではなかろう。だが、あらゆる日本人が、先述の「ダチョウの平和」よろしく、ある意味、積極的に目の前のことに忙殺されつつ(砂穴の中に主体的に首を突っ込んで)、「見たい現実しか見ない」ようにしているようにも見える。

政治家も、大企業の経営者も、いわゆる知識層(医師、学者など)と言われる方々も、「私の仕事は、今、目の前の大事なことを黙々とこなすことだ」とばかりに、厳しい現実から目をそらしてはいないだろうか。本当に、これで良いのだろうか?

2.2022年への期待 

「本当に新しい資本主義」というチャンス

かつて通っていた剣道道場の館主は、よく「窮すれば変ず、変ずれば通ず」という格言について語っていた。追い込まれた状態で耐えていても、状況が良くなることは稀であり、そういう時こそ変化を求めて打って出なければならず、そこにこそ活路がある、という意味だ。

上述のような負のスパイラルから逃れるべく、日本の政治家や政府、或いは大企業の経営者や学者たちも、単に手をこまねいて来たわけではない。それこそ、無数の打ち手を講じて来た。窮する中で変じようとはしていたわけだ。

政策について考えてみても、過剰供給ということで、産業競争力強化法などで設備のリストラを促進し、需要不足だということで財政出動を思いっきりやった過去もある。規制改革を大胆に進めるべく、組織や体制を整備したり、特区、はたまたスーパーシティのような制度まで構築したりしたことは記憶に新しいところだ。大胆な金融緩和も思い切った打ち手であった。

しかし、残念ながら、本質的にゲームを変えることはできなかったと言って良いであろう。これらは打ち手として必ずしも悪かったわけではないが、大きな結果が出ているとも言い難い。例えば規制改革などは、まだまだ不十分という声も大きく、不断に努力を続けていくことは大事だが、もはや、それを今までと同じように進めても、「変ずれば通ず」という結果を生み出すほどのものにはなり得ない。

こうした中、岸田政権の看板として「新しい資本主義」というものが掲げられた。「変ずる」きっかけかと期待も集め、早速緊急提言も出されたが、残念ながら、新しさは今のところ感じない。

総理が主張する「分配重視」は、軸足をちょっと変えるくらいのもので、「新しい」と言うには迫力不足である。そもそも、普通に考えると、今更新しく資本主義の概念を日本が出すのは、流行の言葉を使えば、色々な意味で「無理ゲー」だ(達成することが出来ない目標が設定されているゲーム)。

※ 日本が、新たに新しい資本主義の概念を出して行くことの難しさについては、その背景にある経済史の概説や中国政府の施策との比較なども通じて、こちらに詳述してあるので、是非、参照されたい。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67901

かつてであれば、こういうポエムな抽象的概念を政権が掲げると、必ずや、各省が色めきだって、「その概念は、突き詰めるとこういうことであり、したがってわが省のこういう政策を是非取り上げて頂きたい」という政策提案が放っておいてもワンサカ出て来て、新たな予算獲得の口実などに使おうとしたものであるが、どうも霞が関筋から聞こえてくる声は、「最近は元気がない」というものだ。担当部局から各省に声をかけて何か出させようとしているわけだが、どうも迫力に欠ける印象である。

合計で約9年となる安倍・菅政権の官邸主導型の政策形成に霞が関がすっかり悪い意味で慣れてしまい、官邸からの「指示待ち症候群」が蔓延しているとの声も聴く。

「新しい資本主義」をポエムで終わらせないよう、本来であれば、官僚や在野のシンクタンクや学者などが、これこそが「本当に新しい資本主義だ」とばかりに、様々な具体的な提案を寄せるべきである。

世界に存在感を示すチャレンジを促す具体策

私はここで、端的に3つの思い切った具体策を提案したい。大筋としては、既に各種論考等で発表しているものを繋ぎあわせたものとなるので、詳しくは、それぞれ、そちらを参照して頂きたい。

① 官主導でのメガベンチャー創出
これまで、日本の資本主義は、社会主義ならぬ会社主義とも皮肉られてきた。特に80年代くらいまで、日本企業の在り方(労使協調・年功序列・終身雇用など)は、それこそ、マルクスも驚くような資本主義下での平等の在り方の体現として、日本が世界に新しく示してきたとも言える。

国家主導ともいえる産業政策も寄与して、まさに「新しい資本主義」を日本が体現し、一度は成功したわけだが、その存在感が低落の一途をたどっていることは上述のとおりだ。一つの要因は、新しい成功企業が殆ど生まれてこないことにある。そうした中、今、新たにどのような策が取れるであろうか。

日本が「窮すれば変ず、変ずれば通ず」的に、思い切った策をとってきたのは幕末と戦後であることは論を待たないわけだが、例えば、それぞれの時代を背景に今、新しい変化を作るとしたら、どうなるであろうか。

幕末でいえば、単なる無謀な異人斬りや無茶な対外戦争(薩英戦争や下関海峡での列強の艦隊砲撃など)を経て、「海軍力こそが重要である」と考えて実行に移した勝海舟や坂本龍馬の取り組みが参考になるであろう。

戦後であれば、自動車にしても家電にしても、欧米企業に比べて甚だ弱かった日本企業を世界有数の企業に育成していった産業政策の発動や当時のベンチャー精神の発露、ということになろう。

私見では、幕末で言うところの海軍力の増強にあたるのが、やや強引ではあるが、現代で言えば、世界に冠たるメガベンチャー企業の育成であると考える。これを、産業政策などの一環として考えると、まさに新しい産業政策としてのメガベンチャー育成に思い当たる。

これまでは、ベンチャー育成×政策と言うと、革新機構その他の資金の出し手としての政府のみが意識されてきたが、チャレンジする「人」がいないと始まらない。政府が現代の士官学校とも言うべき制度を整えて、パブリックのために世界に冠たるベンチャー企業を作ろうとする者を集めて応援し、色々なリソースを与える(=新しい産業政策)ことが重要だ。

色々とご批判はあることは承知しているが、日本はこれまで、弱小業種であっても重要とみればこれを育成し、無理な時には、石油の上流開発会社などが典型だが、官主導で、日の丸会社(石油公団やインペックスなど)を作って、世界にファイティングポーズを示してきた。

「新しい資本主義」の名を借りて、こうしたチャレンジを官民挙げて実施していくことが求められている。

参照:なぜ、役所が旗振っても日本にメガベンチャーが生まれてこなかったのか

② 首都機能移転(拡都策)
日本の資本主義は、これまで、先述の「会社主義」が典型だが、「一致団結箱弁当」的に、一か所に集中して、お上(政府)との関係を大事にして実現されてきた。資本主義は、基本的には、効率を求める仕組みであり、一か所への集中は、都市経済学的にみても、生産性を上げる行為であり、極めて合理的である。

一か所に集中している霞が関の官庁群の存在にしても、或いは、元々は地域の企業でも今や本社を東京に寄せているところが多いという事実にしても、このことを象徴している。反射的に、人口減少が止まらない地方都市はもちろんのこと、天下の台所ともうたわれた経済都市の大阪を含め、絶対的・相対的に、各地は衰退してしまった。

本当に一か所に凝縮していて(霞が関/東京)、便利と言えば便利であるが、大量破壊兵器や生物兵器(細菌など)が容易に手に入る現代社会や、急速に気候変動が進んで災害が頻発する現在を考えると、すなわち、テロや豪雨・震災リスクなどを考えると、危険と言えば危険である。例えば官庁群で言えば、諸外国を見ても、ここまで一か所に凝縮して集まっていることは稀である。

そしてもちろん、各地の人的資源等がすべて東京に吸い取られて、国土の荒廃を招いても果たして良いのか、という問題ももちろんある。

テクノロジーの発達で、インターネット経由で、ほぼ、いつでもどこでも情報が手に入る現代、都会と地方での情報格差は本質的にはない。交通にしても、例えばリニアモーターカーが開通した暁には、東京-大阪間は1時間強となるが、そうなるともはや、現在の東京都八王子市から東京の中心部に通勤するのと、未来の大阪から東京に移動するのとで大差はない。(大阪ですら通勤圏) 

余談にはなるが、先日、お話を伺った知人の山崎直子氏(宇宙飛行士)によれば、スペースポートが出来て、宇宙空間経由で日本からアメリカに行く時代が来ると、最速で、東京とNYが40分ほどで結ばれたりするそうだ。

つまりは、言いたいことは、新たな時代に即した「新しい資本主義」の体現方法の一つは、首都機能の移転だということだ。例えば、環境省を那須塩原に、観光庁を軽井沢に、デジタル庁を名古屋に、などと移転させて行けば、リスク分散にもなるし、各地の活性化にもつながる。東京も大阪も首都である、という「拡都」政策をとれば、それは、首都への人口集中を是としてきたこれまでの資本主義的あり方を乗り越える「新しい資本主義」となる。

首都機能移転が盛り上がりつつも、竜頭蛇尾に終わってしまった90年代の議論を振り返れば(種々の抵抗がある)、現実的には首都機能移転は、かなり難しい案ではあるが、一か所に丸ごと集中して首都機能を移転させるのではなく、一つずつ徐々に省庁をバラバラに移転させ、それに伴って企業なども移転し、という政策であれば、それはかなり現実的な案に近づくと言えよう。

リスク分散や地方創生に加え、拡都を目指した首都機能移転には、無視できない更に大きなメリットがある。それは景気浮揚効果だ。いわゆるワイズスペンディングを徹底し、DX化が進まない日本において、新たな場所で新たな省庁のスタートとなるようなデジタル化を徹底した施設や体制を新たに構築すれば、それは、直接的にも間接的にも大きな景気浮揚の契機となろう。

参照:コロナ危機に大胆な経済政策を!新・首都機能移転論

③ 上流・教育重視
これまでの日本の資本主義は、製造業に代表される資本主義、すなわち下流重視型資本主義であったと言えよう。勤勉な労働者や、品質を重視する分厚い中間層からなる消費者からなる日本社会は、しっかりとしたモノづくり、すなわち規格大量生産に大変向いている社会であった。

考えてみれば、かつての日本の花形産業であった製鉄業などの重工業にしても、自動車や家電などの産業にしても、根本的な発明を日本がしてきたわけではない。欧米から取り入れた製法などに関し、工夫に工夫を重ね、結果、本家も驚くような素晴らしい製品群を、規格大量生産してきたわけだ。

しかし、今や、「作る」ということのコストが劇的に下がって来てしまった。あらゆる国で、あこがれの製品がコモディティ化してしまい、「作る」ということはさほど困難ではない作業になってしまった。誰でも容易に使える3Dプリンターの発達などはその典型である。

世界の時価総額ランキングのトップを走るのは、米国アップル社である、iPadやiPhoneなどの製品群をイメージすると、一見、同社は製造業に見えるわけだが、彼らがいわゆるファブレス(工場を持たない)企業であることは有名だ。

即ち、資本主義で勝ち抜くための中軸は、如何に企画や設計で抜きに出るか、ということであり、主戦場は上流にシフトしてきている。いわゆるバーチャル・エンジニアリング(ウェブ上で様々な設計や検証をする)などの動きはその典型である。

製造業だけでなく、まだ、日本に「一日の長」がある分野(各種インフラやアニメ・食などのいわゆるクールジャパン分野)の上流シフトを強力に推し進めることこそが、新しい資本主義の一つの切り口となる。

究極的には、教育から変えていく必要があるが、これは、最も大事なのは、規制の緩和である。義務教育が典型だが、教育の分野は、規制ががんじがらめで、これまでも大きな緩和はされて来なかった。

どこの学校を出ても同じ、となるように人材も規格大量生産をしてきたのが、日本の教育の歴史であるが、もっと、自由にカリキュラムを組める学校を多数生みださないと、根本的解決にはならない。

参照①:上流の時代(上)(下)
https://agora-web.jp/archives/2047414.html
https://agora-web.jp/archives/2047428.html

参照②:教育の規制改革が最優先である理由
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62720

以上、「本当に新しい資本主義」について、あるべき基本的な考え方を挙げて見た。より本質的には、「短期的な結果」を求める「資本主義」の圧力に対して、中長期的な視点からの「存続」や「持続性」を求めるという考え方なども検討に値するであろう。また、見えないものを「見える化」して、数値で表そうとする「資本主義」の圧力に対して、見えないものをどのように価値化するか、と言った論点もある。(例:母親が子供に弁当を作る作業は、従来の資本主義では数字にカウントされにくいが、素晴らしい行為であり、これをどう「新しい資本主義」に取り入れるかなど。むろん、弁当屋で買ってくればGDPに含まれることになる。)

こうした議論は興味深くもあり、大切な要素は含んでいるが、それこそ、下手をするとポエムで終わりかねない。国際情勢などを踏まえた様々な危機の中で、どのように日本の国力増強のために具体的な手を打つか。

「本当に新しい資本主義」をしっかりと考える議論が、2022年の日本の各所で起こることを期待している。

筆頭代表CEO
朝比奈 一郎

2019年5月末から青山社中で働く広報担当のnote。青山社中は「世界に誇れ、世界で戦える日本(日本活性化)」を目指す会社として、リーダー育成、政策支援、地域活性化、グローバル展開など様々な活動を行っています。このnoteでは新人の広報担当者目線で様々な発信をしていきます。