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新都(メガ首都圏)構想  ~Go West!:西へ、東へ、そして北へ~

こんにちは。
青山社中広報担当の佐藤です!

今回は毎月配信している朝比奈一郎(あさひな いちろう)のメルマガに
記載した論考を掲載します。

2020年6月号メルマガ論考
「新都(メガ首都圏)構想
~ Go West!:西へ、東へ、そして北へ ~」


コロナとアメリカ ~急速な崩壊と希望~

アメリカが壊れかかっている。

コロナ下で直接訪問も出来ず、全て伝聞情報からの想像ということにはなるが、かつて2年ほど東海岸で生活した経験などから見て、とてつもない地殻変動が起こって社会が崩壊しかかっているような印象を受ける。

米国のコロナ感染者は250万人を超え、死者数はベトナム戦争や第一次世界大戦の戦死者数を凌駕する約13万人となり、止まる兆しがない。そうした中、5月の失業率はやや改善して13%台になったものの、州によっては20%を超えているところもあり、25%だった世界大恐慌時を彷彿とさせる。

5月には、日本で言うところの髙島屋などにあたるだろうか。高級百貨店のニーマン・マーカスが破産したと思ったら、その翌週にはイオンとも言うべきJCペニーが破産。衣料品大手のJCrewやレンタカー大手のハーツなど、お世話になった数々の店やサービスがどんどん消えていっている。

トランプ政権は国内的に何ら有効な手が打てず、その不満を外に向けようとして、世界のリーダーとしての地位を省みない言動の数々を積み重ね、却って国内外の信頼を失うという悪循環に陥っている。ガスのように国内に充満する「国民の不満」にジョージ・フロイド氏殺害事件が火をつけ、まさに手の付けられない混乱状態だ。ボルトン氏のごく最近の「暴露本」もその一つの火種だが、更に政権の統治能力が失墜する中、国中に分断の炎が燃え広がっていると言えよう。

そして現在は、ついには移民停止どころか、ビザの発給すら基本的に止まる状態となっており、デジタル課税をめぐる欧州とのバトル、香港問題・ウイグル問題・通商問題などを巡る中国との論争を中心に、世界との分断も顕著だ。

経済、人種、世代、地域などを軸とした分極化が、メタ的にアメリカ社会をズタズタに分断し、それがそのまま世界・国際社会をもバラバラにしている感じすらする。

私が小~中学生の頃、アメリカへの憧れを抱いた映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー 1~3』が、今月3週間連続でTV放映されていたので、思わず全部見てしまったが、あの良きアメリカはどこにいってしまったのか。

ご存知のタイムマシン・ストーリーだが、未来は白紙であって希望を持って書き換えられること、テクノロジーのすばらしさなどを言いようもないワクワク感とともに意識して、かつて大いに感銘を受けたことを思い出した。この映画では、途中、「過去」は俳優だったレーガン氏が「今」は大統領になっていることや、「過去」ではカフェでバイトとしてこき使われていた黒人給仕が、「今」は市長になっていることを強調するシーンもあったが、誰でも夢と希望を持てる社会、というのがアメリカの象徴的な良さだった。

ただ、現在のような絶望的なアメリカに全く希望がないわけではない。特に情報通信系のテクノロジーは、アメリカが世界の最先端を行っているのは間違いなく、ピンチをバネに、更に世界を席巻するような企業が生まれるかもしれない。必要は発明の母であり、痛みは改革を加速する。アメリカを象徴するIT系ベンチャー企業のウーバーやインスタグラムが生まれたのは、約10年前のリーマンショックの直後だった。

壊れかかっているアメリカの希望は、東から西への重点のシフト、即ち、ニューヨークやワシントンD.C.での従来的大企業や政治行政の没落を横目に進む、西海岸テクノロジー系ベンチャー企業の更なる誕生や躍進なのではないか。気づいてみたら、アメリカの事実上の首都は(世界中が注目し、連絡をとったりアプローチしたりしたがる先は)、サンフランシスコやロサンゼルス、などという事になるかも知れない。


コロナと日本 ~緩慢な崩壊と希望~

翻ってわが国はどうであろうか。ずっと頼りにしてきたアメリカの行方が、上述の通り心もとないとなると、日本は日本で、自立の方向を探っていかなければならない。が、残念ながら、コロナ下のアメリカほど急な変化ではないものの、わが国もまた「じわじわ」と壊れかかっている雰囲気だ。

別所で書いたとおり、コロナ第一波は、日本はうまいバランス(命も経済も、等)で乗り切った。新規感染者数は国全体で約100名/日程度(東京で50名/日)という安心できない水準ではあるが、アメリカなどと比べれば格段に安心な状況であると言えよう。

ただ、いわゆるウィズコロナの時代、経済活動を大っぴらに完全に戻すことはできず、徐々に、飲食店等が店を閉めたり、後継者の見込みが立たない地域の企業が廃業したりと、ボディーブローのように影響が出始めている。5月の完全失業率は0.3%増の3%弱とまだ低い水準ではあるが、「休業」という形の隠れ失業も少なくないとされる。

政権の支持率もじわじわと下げていて、もはや、憲法改正その他の大改革を行う余力は感じられず、「貯蓄」を取り崩しながら、何とか任期を終えるというモードに入っているように見えなくもない。

コロナ前から芳しい状態であるとはいえなかったが、国家財政、少子化、農業、疲弊する地域等々、真綿で首を絞められるように日本の諸課題もコロナ下で徐々に苦しさを増し、社会が蝕まれて行っていることは明らかだ。

特にわが国は、米国のように世界をけん引するIT系ベンチャーがあまり見当たらず、また、その萌芽もまだ感じられず、引き続き20世紀型のものづくり企業等が席巻しているという状況下、コロナ下での非接触型ビジネス(IT企業中心)の進展もあり、一層、ジリ貧感が強いともいえる。

そんな中での日本の希望は何であろうか。現在上映中の二つの映画に象徴的にそのことが表されている気がするので紹介したい。一つは、福島原発事故を描いた『Fukushima 50』だ。上映中、思わず何度も涙してしまったが、改めて分かるのは、日本の危機を救ったのは、現場の人たちの使命感とリーダーシップであった(注:ここでいうリーダーシップは、日本で曲解されている「人を率いる力」という意味ではなく、自分自身をリードする「始動」力という原義)。普通の国の現場作業員であれば、我先にと逃げ出したくなるような状況で、逆に、危険を省みずに積極的に止まろうとし、最後まで知力と体力のすべてを尽くして未知の事態に対処しようという精神性は現在でも日本の圧倒的な強みであろう。

もう一つは『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』だ。大学時代に、この討論の全文起こしの書籍を読んだことがあり、今回、それこそ映像と言う形で、四半世紀ぶりにこの討論会を感慨深く体感した。(記憶だと、書籍では、全共闘側は、学生A、Bのような形で表記されていたが、今回の映画では実名で映像が出ていた。予備校時代に小論文を教わったことのある好々爺な先生が、実は全共闘の闘士だったりして驚いた)

一見、右派を代表する三島と左翼の東大全共闘の互いを論破せんと意気込む「知のバトル」と見られがちなこの会だが、私が映像を見て改めて感じたことは、三島と全共闘の議論そのものを包む一体感というか、極端に言うと同志にしか感じえないような奇妙な一致が見えたことであった。それはつまり、日本の現状を憂う危機感だったり、それに対して、何かしなければならない焦燥感だったりするわけだが、要すれば、進む方向性は違うものの、彼らの共通の敵はいわゆるノンポリ・無関心であり、天皇制をめぐる議論なども誇張して言えば「内ゲバ」に見えなくもなかった。


日本の起死回生の一打 ~新都(メガ首都圏)構想~

わが国の希望が、今も確実に息づいている現場人の使命感・責任感、そして、やや薄れつつある現状への熱い危機感だと述べた。そんな中、より具体的な事象として特にやはり期待が持てるのは、奇妙な一致だが、アメリカ同様に日本でも主に西の動きのような気がする。

コロナ下で最も評価を上げた首長である吉村知事は、大阪・近畿圏での基盤を確実なものにし、例えば今秋に予定されている大阪都構想についての住民投票などは成立する可能性が高い。久しぶりに日本が消費電力当たりの演算能力世界一を奪還したとして国民に希望をくれたスーパーコンピューター富岳は、神戸市に設置されている(理化学研究所計算科学研究センター)。静岡県との交渉が難航して開業延期にはなってしまったが、日本が誇る各種テクノロジーを活用するリニアモーターカーは西に延び、東京-名古屋間を約40分、東京-大阪を1時間強でつなぐとされている。西に日本の様々な希望が見えてきている。

更に言えば、フロンティアは別に西だけに限る必要はない。環境省・小泉大臣肝いりの温泉地テレワーク事業などが推進されはじめているが、コロナ下で、多拠点居住・BCP的文脈でのバックアップ機能など、地域への拠点分散が進み始めている。慶応義塾大学教授の安宅和人氏によれば、今後、いわゆる「開疎」化が格段に進展していくとのことだが、この流れはもはや不可逆であろう。

今こそ、東京だけではなくその西の力、いや、西に限らず、各地に延びている新幹線網なども活用しての東や北の力を活用した、新しい大首都圏構想を打ち出して実現させてはどうか。リスク分散、景気浮揚、地方創生、どの観点をとっても有益であり、働き方改革にもつながる一挙両得どころか、三得も四得もある起爆剤となる。

具体的には、政府としては、各地の要望なども踏まえながら、霞が関の各省庁や外郭団体などを例えば東京から約1時間圏などに移す計画を策定し、移せるところから移して行けばよい。かつて経産省で(特許庁出向時)、移転に猛反対する職員と議論した経験などを踏まえれば、東京から一部とはいえ省庁等を移転させることは容易ではないが、ただ、穴さえ開けば、つまり、ある省庁が、風光明媚な環境でテクノロジーも駆使して快適に仕事や生活を送っているということになれば、最初は抵抗していた他省の中にも、徐々に移っても良い、という流れが出来るであろう。既に安倍政権になってから、消費者庁の一部(徳島県)、総務省統計局の一部(和歌山県)、文化庁ほぼ全体(京都府)などの移転が決まっているが、こうした動きを加速させることが重要である。やがては、行政機関だけでなく、司法(最高裁等)や立法(国会等)移転にもつながり、関係する企業・団体等の移転も進むであろう。

例えば、栃木県那須塩原市に環境省があり、長野県軽井沢町に観光庁があり、名古屋市に経済産業省があり、大阪市に財務省があり、、、、という具合だ。ほとんどの会議や打ち合わせはオンラインで遠隔で可能だし、どうしても集まる必要があれば、いざ鎌倉的に、「いざ東京」ということで、リニアが開通する将来は、1時間くらいで集まれるという具合である。

かつて、90年代に首都機能移転が議論されていた際、東京をつくばなど60km圏内まで拡大させようという「展都論」があった。通信や交通の技術が格段に進歩し、今や60km圏内に止める必要はない。当時、展都論以上の拡都論もあったが、更にもっと大きく広げて考えれば良いわけであり、私が知る限り、既存の都市をベースに上記のような大規模なメガ首都圏を作ろうという動きは、世界ではまだ顕在化しておらず、日本がその嚆矢となるチャンスがある。

「東京に吸収される」(各地が「東京化」に抵抗する際に使うセリフ)ということでもなく、「東京から首都が動く」(東京が首都機能移転に反対する際に使うセリフ)ということでもない、新しい巨大な新都づくり。ネーミングなどは、国民から募集して決めても良く、今こそ政治の出番でもあると感じる。

筆頭代表CEO
朝比奈 一郎

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2019年5月末から青山社中で働く広報担当のnote。青山社中は「世界に誇れ、世界で戦える日本(日本活性化)」を目指す会社として、リーダー育成、政策支援、地域活性化、グローバル展開など様々な活動を行っています。このnoteでは新人の広報担当者目線で様々な発信をしていきます。